結月です。
中国は旧暦なので、明日が新年。今日は大晦日。
またスーパーへ行くと、大賑わい。中国の大晦日はアメリカのクリスマスイヴに近いのかもしれない。新年のプレゼントをたくさん買ったり、親戚への贈呈品などなど、みんな山盛り買う。
わたしはすでに物質的な欲望がないので、欲しいものはないし、むしろモノはないほうが幸せで快適というミニマリスト化しているので、中国の物質主義は冷ややかな目線でなく、
「まだまだ青いのう」
なんて仏様のように眺めている。
金を出せば買えるものはすなわち金さえあれば誰にでも手に入るものなので、わたしはそこに幸福は見出さない。
それよりも精神。金があっても手に入らず、そして同じものがひとつもない独自なものは精神の中にしか見出せない。
とは言え、お金が大事なことは平均よりも遥かにその重要性を理解している自負があるけれどね。
と、そんなわたしが中国の大晦日に買ったものは靴。
しとしとと降り続ける雨に濡れた路上を歩いていると、靴の中に水が浸み出した。
いよいよボロ靴で、もう寿命だと感じつつ、栃木ではクルマの移動ばかりでそんなに歩かないからそのままスルーしていた。
しかし、中国で歩き続けるとこれはお役御免とはっきりし、これを機に新調することになった。
スーパーの靴売り場で、上海のメーカーのもので300人民元。それが大晦日で20%OFF。日本円だと3600円くらいだろうか。
そもそもわたしは身だしなみにはまるで興味がない人間で、普段のわたしを知るひとはわかるだろうが、最低のルックスなのである。
着物となると美意識がギラギラになり、
「美しくない着物はこの世に存在しなくていい」
なんて平気で言うのに普段着は雲泥の差ほどクソ。
持っているシャツなんて数枚しかないし、しかも全部自分で買ったものじゃない。
服を買わないわたしを見るに見かねて家人が買ったものなのである。
実は今回お役御免になった靴もわたしがあまりにひどいから栃木の佐野にあるアウトレットで家人が強引に買ってくれたもの。
さらにパンツから靴下まで同じくであり、あまりの無頓着さに呆れた家人が買ってきてくれたもの。とにかく、普段身につけるものは何一つ自分で買ったことがない。
普段着に興味がないのは子供の頃からで、要は普段着なんて美意識ギラギラにできないし、そもそも自分に興味がない。
着物だって自分が着るものはある程度揃えてからは自分の着物には興味がない。
それよりも自分の美意識で、普段着でないスペシャルな着物で結美堂に来てくれた方を美しくすることに興味がある。
自分の精神にはわたしでしか持ち得ないオリジナルの美があるから、普段着るものなんかどーでもいい。
しかし、それだと浮浪者みたいになるから、なんとかそれをうちの家人が食い止めているというわけ。
でもさ、本当に精神にオリジナリティがあると、服なんてなくても平気なんだよね。
それよりも普段着レベルの服で、しかも大したセンスでもない服でクローゼットをいっぱいにしているほうがアホだと思うよ。
そんな服ばかり持って、そこに金を使うのなら一枚でいいから極上の着物を買えよ。
そもそも普段着なんて使い捨ての価値しかない。
なんて思ってるから、自分の普段の姿がいい加減なのだと今わかったよ。
さて、中国では大晦日の歌番組がある。紅白に当たるものだけれど、漫才やコントがあるところが日本と違う。あとは歌で男と女が競って勝ち負けを決めるなんてことはしない。
中国の大晦日番組はとにかくド派手で、国家的に金をかけていると言ってもいい。これに比べると紅白の貧相さには涙が出てくる。あまりにも貧乏すぎる。そして地味で暗い。
わたしは中国のこれから新年を迎える嬉しさを爆発させるメンタリティのほうが健康的で好き。
日本は大晦日を一年を振り返るために使い、中国は新たな年の到来の喜びに使う。
そんな中国の大晦日番組はこんな感じ。とんでもない映像美。金のかけ方がとてつもなく膨大。
まあ、東京オリンピックの開会式はこの番組には遠く及ばないだろうね。
と、そんな中国の大晦日は爆竹や花火が盛大だけれど、この浙江省は雨が何日も降り続けるため、あまり花火の音はしない。
リビングからの夜景。
なるほど、この雨じゃ、花火の火もつかないか。
明日は春節。