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GWは死に時間、死に金ばかりだった。

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結月です。

やっとGWが終わり、愛娘は保育園へ。GWは10日ほどあったけれど、10日間、何をしたのかあまり覚えていない。5歳児に付き合って時間をいかに潰すかに終始し、自分の時間を生きていないからである。

自分の時間を10日間も過ごしていないと流石にうんざりと来てしまう。と、昨日の最終日には、自分へのご褒美としてスーパーで本マグロのお寿司を買って5歳児と食べた。

食べるものにはほぼ関心がなくなってしまったわたしだけれど、GWの最終日の晩、あまりにしょぼいものを食べるのもときめきがなく、それでも食べたいものなどないからスーパーに行ったわけだが、そこで本マグロのお寿司を発見してしまった。

スーパーの惣菜売り場のお寿司だから寿司職人が握ったものでなく、ただネタが本マグロというだけ。お値段は1700円ほど。食に金をかけることが馬鹿らしくなって久しいから1700円というプライスにも躊躇したが、GWの鬱積は大きかった。

というわけで、スーパーの本マグロ寿司を食べてみたが、予想に反して結構おいしく、そんなに後悔はしなかった。

しかし、普段が大したものを食べていないからスーパーの本マグロでもおいしく感じたのかもしれない。

美食のコツはいいものをひたすら求めるのではなく、日常レベルを落として舌の感度を雑にしておくことである。毎日いいものを食べていたらそこに慣れてしまって「うまさ」を感じなくなる。

お酒だって吟醸酒ばかり飲んでいたらそれもそんなに特別なものでなくなり普通のテイストに感じる。しかし、普段をパック酒にしておいて、たまに吟醸酒を飲むと、

「ほほ〜」

と、おいしく感じられる。

さて、いつも5歳児といると、食というのも5歳児が基準になってしまう。例えば、5歳児が高級料亭でものすごく優れた料理を出されたとしても、それは5歳の舌にとってはおいしいものでなく、それよりもスーパーの惣菜の唐揚げのほうが喜んで食べる。

であるからして、5歳児といるとわたしも大したものは食べられないし、しっかりとした店にも食べに行けない。飲食店ではまずじっと落ち着いていられないし、食べ方も下手だし、というわけでフードコートで食べたほうがいいとなり、メニューはフードコートに限られる。

要するに同伴する大人にとっては大変不自由を強いられるのであり、はっきり言って、5歳児と一緒に食事をしても美味しいと感じる余裕もなく、そんなことより茶碗をひっくり返さないかとヒヤヒヤしている。

ともかく、5歳児はまだ自分だけでいろいろできるわけでないから目が離せないわけで、つまりわたしは自分の時間を生きていない。

目が離せないから時間を潰さなければならず、そのためにお出かけをしたりするのであるが、そうすると金がかかる。

ゴールデンウィークは一体、いくら使ったのかはわからないが、結構金が流出している。

別に金をケチっているわけではないにせよ、自分の時間を生きていない中での時間潰しに金を使うのがな〜んとなく嫌だなと思うわけで、愛娘の体験にとっては無駄にはなってないにせよ、わたしがやりたくもないことに金を使っていることにな〜んとなく嫌なのである。

長らくちっぽけな事業をやってきたせいで、

「経費としてそれ、どうなの?」

と考えるのであり、金額の大小ではなく、その内容を気にする。すなわち生き金か死に金かというジャッジ。

GW中は明らかにわたしにとって死に金が多すぎた。しかし、その死に金を使わないと時間を潰せない。ずっと5歳児と家の中に閉じこもるわけにはいかない。家の中で朝から晩まで過ごすネタはないし、精神的にも辛い。

そもそも食に興味がないのに本マグロの寿司なんかに1700円をかけてしまいたくなるところがよろしくない。死に金である。そんなもの、食べたって何も残りやしない。本マグロなんて何度も食べたことがあるし、それを食べたところで感動はない。ただ気分的にあまりにもショボいものは食べたくなかっただけ。

さらに生き時間、死に時間というのもある。愛娘と過ごす時間は確かに人生という大枠で考えれば大事なものかもしれないが、さすがにGWで10日連続はちょっと多い。死に時間に死に金が濃厚すぎる。

というわけで、やった終わったGW。わたしはその10日間で失った時間、失った金を肌感覚的に感じて、なんとなく憂鬱なのである。無駄が多い虚無感というか、喪失感というか、思わず途方に暮れる。

とにかく5歳児をひとりにできないから、思えばわたしの片足には重い足枷がつけられている。

遠くには行けない。保育園があったとしても夕方の6時には戻ってこなければならない。サロン・ド・シマジに出かけて、島地さんと文化の話をしたり、ジョークを話したりしたいなと思いつつも、容易には出かけられない。

と、そんな不自由はありつつも、愛娘も着々と成長していていつしか放っておいてもよくなるだろう。

それに応じて死に時間、死に金も少なくなり、わたしは解放される。

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