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正月価値なし

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結月でございます。

お正月と言ってもあまりお正月はなく、元旦から何をしたか思い出そうにも思い出せない。

確か大晦日の日、まもなく5歳になる4歳の愛娘とクルマでスーパーに向かうもひどく駐車場が混んでいそうだったので引き返した。しかし、元旦から食べるものがないため、人が少なくなった夜に出直すことにし、

「スーパー行くよ」

と言うと、まもなく5歳の4歳児は、

「めんどーだから家にいるー」

とのことで、YouTubeを見ているほうがいいとのこと。仕方がないので留守番を頼み、わたしはひとりスーパーへ。でもひとりのほうが正直楽で、サッと買い物を済ませられるからいい。

しかし、ピークをすぎた大晦日のスーパーは買い荒らされたあとでいいものは何もない。おせちっぽいものが惣菜コーナーに売られていて、30%引きになってはいたが、ああいう煮物はおいしくない。金を出して食べるのが愚行に思えてしまう。

結局、惣菜のお好み焼きや冷食のスパゲティなどお正月らしくないものを買って帰った。

そして元旦になっても、

「で、どういうわけ?」

なんて元旦見下し、興味なしのハートで、2022年の最初は何を食べたか憶えちゃいない。

昔はおせち料理があって、朝起きるとそれがコタツ台の上に乗せられ、お箸もいつもと違ったもので何やらいつもと違う雰囲気があった。だから、小さいながらもそんな特別感のせいでお正月を認知していたわけだが、今のわたしと一緒にいる4歳児はお正月を知らずに大きくなるのだろう。

しかしそれが悪いこととも思えない。なぜなら世の中全体がそうであるからで、スーパーも元旦から営業しているし、晴れ着姿なんて見ることもなく、わざわざ不味いおせち料理を食べるとか、この飽食の時代ではちょっとした拷問なのである。

とにかく、そんな正月は保育園がない冬休みでしかなく、流石に6連休となるとネタが尽きてくる。

今思い出すと、確かスーパーに行って紙粘土やアクセサリーに色付けするキットを買って家で遊んだ。あとはエヴァンゲリオンのテレビ版を少しずつ見たのだった。

これまでは年末年始はやることがないから、年末の12月30日くらいから1日三食でお酒を飲んで過ごしていて、だから三が日にはすでに胃も腸も肝臓も深刻なダメージを受けて体調が絶不調だった。しかし、アルコール量がグッと減ってしまったわたしは今年の正月はスペイン産のスパークリングワインCAVAをボトル半分飲んだだけである。

それも飲んでから飲まなきゃよかったと後悔した。飲むとだるくなって疲れてしまい、その体で元気溌剌な4歳児と遊ぶのは地獄なのである。

一応正月だからと思ってスパークリングを飲んでみたわたしが馬鹿だった。

というわけで、20歳以降もっともお酒を飲まなかった2022年の正月。今年もこの調子で酒量は減っていき、ゼロに近づくグラフのようになるのだろう。

とにかく、4歳児を横にしてお酒を飲んでも楽しくないし疲れるし、ひとりで飲んでもつまらないと思うようになり、しかも飲んだらすぐ寝てしまわないと体がきつい。

だから、今や結美堂山ガール部で奥日光に山登りに出かけ、そのあと温泉に入り、待望のビールを飲んで、酔っ払ってすぐに雑魚寝という飲み方しかどうやら受け付けないらしい。お酒と布団はセット。

と、小さな愛娘と過ごすことで体質が変わってしまって、決してお酒が弱くなったわけではないのだろうが、メンタルが変わった。

さて、そんな4歳児とエヴァンゲリオン テレビ版を見ていて、やっぱり綾波レイちゃんが可愛くて、わたしは綾波レイちゃんが好きでたまらない。

アタシの理想。綾波レイ。

まず綾波レイちゃんの部屋がいい。思い切り殺風景で生活感がない部屋で、あれこそ本物のミニマリスト。

必要最低限のことしか興味がないという冷徹ぶりで、そもそもミニマリストなんてミニマリストと自称している時点でアウト。本物のミニマリストとは綾波レイちゃんのようにそもそもあらゆることに興味がないという透明さなのである。

そして任務においてもその透明さは貫かれていて、まず恐怖がない。恐怖という概念がない。感情の動揺がない。必要最低限の知性。だから余計なことは話さない、喋らない。

任務が成功したらステーキをご馳走してもらうというアスカの提案に対して、

「わたしは行かない。肉、嫌いだもの」

と、ストレート。

これはヴィーガンのような偏った信仰でなく、ただ単に肉が嫌いという潔癖さがある。もし綾波レイちゃんが肉を食べていたらものすごくがっかりする。

そういう肉っ気のなさが冷静な判断につながって心地がいい。なので、

アタシの理想。綾波レイ。

一緒にいてあれだけの会話で済めば楽だと思う。わたしもこう見えて喋るのが好きでないから、人といても言葉は発することなく静かでいたい。

レッスンのときはアホなトークをしていたりするけどそれは例外で、わたしは本来喋らないよ。サシで飲みに行ってもそんなに喋らない。結構無理して喋ってる。だから無理して喋ったあとはものすごく疲れている。

だから、綾波レイちゃんとだったら楽だし、端的に的確に短くパッと言ってくれると助かる。わたしも「うん」とか「そう」って返すだけでいいわけで。

ひとりだとつまらないから、誰かといたほうがいいと思うそんなとき、やっぱり綾波レイちゃんみたいなのがいい。

しかし、現実にはそんな素敵なオンナはいないから、それに近い状態は猫といるとき。猫は余計なことを一切話さないで一緒にいてくれる。じっと静かに膝の上にいてくれたり、布団に潜り込んで股間で寝ているだけとか、言葉を発する必要がない。

好奇心旺盛で、いろんなことが初めてで謎だらけに直面して生きている4歳児といるとマシンガン的質問攻めにあってそれは頼もしい反面、いい加減疲れてくるけれど、猫はそんなところがない。

さて、実は寡黙であるわたしは正月はスタニスワフ・レムの『金星応答なし』を読み進めている。500ページほどある長編だが、正月の暇ゆえに4歳児が寝静まったあとにそこそこスピードアップして読めて半分くらいまできた。

やはり正月はおせちより読書である。

レムのデビュー作である『金星応答なし』を読んでいると、前半の長ったらしいくどさからいきなり舞台が宇宙になっていくのは、なるほど『ソラリス』の根っこはここにあるのだとわかった。

これから数ヶ月はレムにどっぷりになりそうだが、さて正月が終わるときっと読書のスピードは落ちる。この手の本はある程度集中して、ばっと読んだほうがいいのだけれど、まもなく5歳になる女の子の妨害でそれも叶わないだろう。

だから、やっぱり綾波レイ。

だから、やっぱり猫。

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