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【大阪都構想】否決はいいとして、じゃあこれからどうすんの?

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結月でございます。

大阪の都構想が否決されて、今は栃木にいるわたしは、

「ふ〜ん…」

くらいしか感じなかったとはいえ、大阪には高校生のときに毎日いたわけで、ミナミが遊び場だったから興味がないわけではなかった。

とはいえ、大阪にはもう20年近くは行ってない。そんな前でも大阪はすでに活気がなくて、自分が知る大阪ではないんだな…なんて思っていた。だから、今はもっと衰退しているんだろうなぁ。

わたしとしては都構想がいいのか悪いのかそれはよくわからない。いや、政策なのだからいいも悪いも混在するのが普通だし、それもポジションによって変わるものだから絶対的に100%良いものというのは存在しない。

それを踏まえつつ、どちらかと言うと都構想はやったほうがいいんじゃないか、と思っていた。

なぜなら、新しい試みを思い切ってやらないと、衰退から抜け出せないのは確実だから。

現状維持とは実は維持ではなく、緩やかな衰退なんだよね。現状を維持しようと思えば、新たな試みを少しずつでもしていないと維持すらできない。

なので、変わろう!と思ったならば、リスクがあってもそこにぶつかって今までやったことがない挑戦をしないといけない。それくらいの気持ちでやらないと変われない。これは政治のような大きな話でなく、個人でもまったく同じ。

とにかく大阪の経済的衰退は著しいわけだから、ガラッと変えちゃうくらいのことをやらないと今の高齢者は先が短いからギリでセーフだとしても、若い世代にとってはヤバいんだよね。

都構想賛成が現役世代の男性が多く、反対が高齢者と女性が多かったのもよくわかる。やはり現役の男は仕事を通じて経済的なヤバさをリアルに感じていて、積極的に変えていかないといけないと思える。しかし、そうした現場から離れたところにいる高齢者と女性はそれを実感できず、都構想で今より悪くなったらどうしようという不安が先行して現状維持を望む。

結果的に賛成も反対もほぼ同数という結果。

思うに維新の会も都構想の魅力を感じさせる色気に乏しかった。そして、都構想を始めればどうのように良くなるのかが具体的にわかりづらく、ちょっと曖昧だった。

おそらく維新の会も都構想後の将来はやってみないとわからないといった具合だったのだろう。それはそうで、物事はすべて予想通りにはいかないし、やらなきゃわからない事はたくさんある。

ただ、それは選挙や投票という問いかけでは理解されなくて、行政から遠く離れた一般ピープルにわかるわけがない。そこがちょっと甘かったのではないか。

だからこそ、選挙では単純明快なフレーズばかりになるのであり、都構想はそこがちょっと複雑でアピールするにはやりにくいものだった。

あとは維新の会の胡散臭さとか、怪しさもネックになったかもしれない。

都構想はよくても、政党としてなんとなく胡散臭い感じがする。なんかヤクザっぽい感じがする。

そこがどうも信用ならないから、都構想を可決して、都構想以外のところで力を持たれるのもなんとなく嫌だなという気持ちになるところもある。

そこが大政党になれない原因かもしれない。

そんな政治的印象からか、左翼的立場の人に反対が多いように見える。

維新の会が自民党の補完勢力という位置づけで捉えていて、自民党嫌いの左翼にすれば維新の会のやることには賛成できないといった具合。

政党的には共産党と自民党が反対するという珍しい現象がローカルでは起きるのだけれど、左派リベラルは右派の維新の会にはアレルギーがある。

ここでおもしろいなと思うことがあって、それはもう何年か前から若者は左派が保守で右派が革新と認識していること。

このデータが出たときはちょっと驚いたけれど、今はわたしも同じ意見でものすごくよく理解できる。

つまり、昔だと保守が右派で、革新は左派だという認識だったから。

ところが今は「変わりたくない」という保守的なところが左派で、変えていこうとするのが右派になっている。

学術会議というどうでもいいような話でも、従来通りに任命しなかったことを非難するのは左派であって、変化を認めようとしない。

顕著なのは憲法で、何がなんでも変えないというのは左派で、変えようというのが右派。

左派は保守的で、昔の頑固オヤジさながらに変化を否定する。

とはいえ、憲法に関しては今のところ変えなくていいとわたしは考えていて、解釈憲法で第九条もスルーされているから、まあコストかけてまで変えなくてもいいし、国民生活の大事なところは憲法で護られているからね。

それはいいとして、ともかく変えようとしないのが左派リベラルという話。

しかしながら、そんな左派政党はやっぱり選挙に弱くて、野党である力もほとんどない。きっとそれは批判はすれど、じゃあ、何をどうしたいのかという具体的な未来像を語ってくれないからだと思う。

選挙においても与党の悪口に終始してしまうのは、おそらく左派に未来像そのものがないからだろう。

大企業や会社経営者は自民党支持が多くなるわけだけれど、それは日々の経営を通して、常に未来像を描きながら現実と闘っているから、未来像のない悪口だけの政党には同調できない気持ちになる。

そもそも経営とは変化の連続であり、周辺事情が絶え間なく変化するに合わせて方針を変えながら進むものだから。

京都の老舗の和菓子屋が潰れたりするのは、和菓子より洋菓子が好まれる時代に、

「うちは江戸時代からずっとこの味どす」

と、変化を受け入れないからであって、一方、長く続く企業は自分の過去を否定することに躊躇いがなく、新しさへの順応がある。

新しさに順応するためには、提案をし続けなければならない。たくさんの提案をして、そこでトライアンドエラーを繰り返し、試行錯誤しながら新しさを生み出していく。

そしてその新しさが時代を作り、ニーズが生まれる。

それは実は簡単なことで、歳を取れば着る服だって変わるようなもので、いつまでも20歳の時代の服は着られない。流行は変わるし、自分の体型だって変わっている。じゃあ、今の自分にとって一番素敵な服はなんだろう?という問いかけに対して、新しい提案をしていく。

それなのに左派というのは、新しい服を着てみたら、

「なんだんだ!その服は!」

と、いきなり激怒する昭和のオヤジのようで、

「じゃあ、何を着ればいいの?」

と訊けば、

「前のままでいい!」

と言うような感じ。つまり、具体的な提案がない。

さて、今回の都構想の投票はイエスかノーかの判断だけだった。住民投票とはそうならざる得ない。

しかし、否決はしたけど、これから大阪はどうすればいいのか?という問いかけには答えられていない。

山積する問題は変わらぬままだし、否決されたことによって維新の会も目的を失い、政治的にやる気を失う。

実はこうなる状態が最も大きなリスクであり、それは未来に向かって新しい試みをするリスクよりはるかに危ない。気力なしというリスクなのである。

気力がないと衰退する。与党である維新の会が気力をなくすことで、じゃあ、大阪の重要事項はどうなっていくのだろう?

そうなると、やはり現状維持は緩やかな衰退に他ならず、それならリスクを取って挑戦してみるべきだったとなる。

しかし、結果がほぼ半々だったのはなんとなく嫌なものだと思う。

未知の新しい提案に対して半分の賛成を得られたというのは、実のところ大勝だった。普通は新しいものは受け入れられないものだから。

でも、結局は変われないんだなと、ブラック企業に勤めて、給料が低く、パワハラがあってヤバい現実はわかっているのに、もし退職したら他に雇ってくれるところがないんじゃないかと不安になっていつまでも転職もしないでブラックで働き続けるようなメンタリティーと同じようなものも感じなくはない。

都構想はそこまで単純なものでなかったにせよ、変わりたい!と思えるPRも維新の会ができなかったのかもしれないし、もしかするとイソジン騒ぎを見て、

「維新って、アホなんとちゃうか…」

と、能力を疑われたことも微妙に関係しているかもしれない。

ともかく、わたしは新しい試みはやったほうがいいんじゃないかと思いつつ、否決したはいいけどこれからどうすんの?という問いかけの答えを知りたい。

都構想に関しては反対でいいとして、じゃあ、これからどうするのかを聞かせてほしい。

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