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クオリティの高いお客さんを集めること

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結月でございます。

東浩紀さんの『ゲンロン戦記』を読んだ。まあ、おもしろかったというか、大学人だった人がいかに自分が世間知らずであったかを事業を通して自らを知るってところはリアルで、でもそれはわたしも同じように銀座に店を出してから世間がわかった、つまり理想ってものが意外とつまんないもので独りよがりなものだとわかったことに共通するところがあった。

特にサントリーホールで公演をした経験は、わたしを大きく変わらせる現実があって、現実を成功させるプロセスを通して、理想的な思いのクソさがわかった。

だから、演奏家に対しては、東浩紀さんが大学人、特に文系大学知識人がいかに社会的信用を失っているかという思いと同じものをわたしは持っている。演奏家は音楽の効果に対して理想的すぎるし、その現実社会との乖離が甚だしいことをあまり理解していない。

例えば、文系大学知識人を支持する層が限られた左翼趣味な人だけだったりして、その力のなさは選挙結果にリベラルの弱さが出ているのを見れば明らかになる。

それと同じようにクラシック音楽も世間知らず的な音楽界だけの理想というか、意義みたいなものが当然、一般社会には受け入れられていないので、限られた趣味の人にしか通じていないのは文系大学知識人が社会的に信用が薄いことにとてもよく似ている。

と言いつつ、わたしは来年あたりからちょっとしたコンサートを企画するであろうけれど、そんな演奏家の意識を変えたいとかは思っちゃいない。それは無理なことだし、職人的にいい演奏をしてくれることがわたしにとって大事であるから、社会でどのように理解してもらうかはプロデューサーであるわたしが考えて、実行していればいいので演奏家には求めない。

求めないことが演奏家と良好な関係を維持できることだと思うし、小さい頃から音楽しかやってないのだからその世間知らずはどうにかなるものでないから。

ただ、一言言えば、日本の演奏家は音楽以外の勉強が圧倒的に不足していると思う。音楽しか知らないんじゃ、程度は知れる。もっと文学や哲学、宗教学、経済、社会学、宇宙物理学だっていい、もっともっと人間に繋がるものを勉強しないと深みのある音にはならない。

だからこそ、日本の演奏家は技術的にはうまいのだけれど、貫禄というか、奥行きが乏しい薄っぺらさがあるように思う。もちろん、すごい日本人演奏家もいるからすべてではないにせよ、全般的にそこあたりが疎かな気はする。それは日本の音楽大学の教育的問題かもしれない。

ともかく、演奏家はそれでいいにせよ、オーケストラを運営するところは世界が狭く、世間知らずであってはいけないのだけれど、そこは絶望的に駄目だと思う。やり方も古いし、保守的だし、目線が外に向いていないし、数少ないリベラルを相手に選挙する政党みたいな感じがしてならない。

でも、それもわたしには関係がないことで、わたしは自分が考えるやり方でコンサートをやっていこうと思っている。厳密には「音楽を知ってもらいたい!」みたいなことは一切考えないやり方。そういう悲しいことはしない。それを推し進めると、シカトされているのに演奏しているボランティアみたいになる。

と、そんなことをずっと前から考えていて、それはサントリーホールの経験からなのだけれど、そこが東浩紀さんのゲンロンの考え方と一緒だなと思った。

SNSで薄い拡散を狙うより、濃厚でコアなお客さんを規模は小さくていいから集めるほうがいい。

そのお客さんは何もコンサートだけではなく、これからやろうとする事業に共感してくれる人たちの意味であり、そういう意味で音楽は主軸ではなく、結果的に音楽が響いているというイメージ。

でも、音楽をやるなら最高の演奏をする。そういう演奏ができるメンバーを集めたい。

とはいえ、演奏家はわたしの事業には関係がないので、わたしからのオファーという形式にして無駄な負担を演奏家にかけさせないようにする。

さて、時代はSNSだけれど、確実に変化が現れている。無意味に拡大する方向とは真逆な方向性。会ったこともない不特定多数を何万人もSNSで集めてインフルエンサー的に宣伝するのはもしかして時代遅れになるかもしれない。そのやり方は当然残るだろうが、その広告効果のなさにもっとコアで確実なところにお金が動くようになるのではないか。

まずはコアな100人を集めたい。それは不特定の1万人よりは力強いように思う。

それでいて統制しないこと。統制しようとすると共産主義になってしまう。そういうやり方はうまくいかない。

数は多くなくていいから、クオリティの高いお客さんを集めること。それは音楽に関してだけでなく、リテラシーが高い人たちに共感してもらえるもの。

そこからの確かな発信によって、事業の意味が広がっていけばいいと考える。

コロナがなくとも日本のクラシック音楽界は先細りしているので、クラシックファンはそこまでターゲットにしないで、事業の共感を通して人が集まり、音楽も楽しめて、その結果、音楽に対しての新規のお客さんが増えてもいい。でも、ファンにはならず、音楽も楽しめる選択を手にするといった感覚。

だって、日本のクラシック音楽界は本当に社会からズレたところにあるから、リテラシーの高い人であれば音楽そのものに感動はしても、特定のオーケストラのファンになるとか、そういったところに関心は向かないだろうから。

わたしはそれが正常だと思っている。

わたしには今の日本のオーケストラを支持する意義がわからない。それは政党支持率が著しく低いリベラル政党を支持したところで選挙に勝てないことに似ている。

音楽は悪くなくても、運営の考え方が世間からは支持されないだろうという意味で。

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