結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

文化を持ってないと、話は聞いてもらえない。

【スポンサーリンク】

結月でございます。

文化というのは無形のもので、それは絵画だったり、文学だったり、音楽だったりといろんなジャンルがある。

それらは摂取するのに金を払うわけで、小説本を買ったり、コンサートチケットを買ったりなどいろいろ。

いずれにせよ、ある程度の文化があったがほうがいいのは、それがあったら金儲けができるとか、それがあっても金儲けができないとか薄っぺらい話ではなく、文化を持っていたほうが人として信用されるメリットがあるという点。

目先のことや、金のことしか頭にない人は、そんな文化を金にならないと馬鹿にする。しかし、そうした文化のない人のほうが実は馬鹿にされることは多いように思う。

どれだけ金を持っていても、文化がないとあまり尊敬されない。拝金主義の社会や国なら金だけあれば尊敬されるかもしれないけれど、それはその人が持っている金が対象になっているだけで、その人が尊敬されているわけでない。

だから、金の切れ目は縁の切れ目となって、何かの拍子に金を失って一文無しになれば、今まで持ち上げていた人々が虫を蹴散らしたようにいなくなる。

もし人間的な尊敬を持ち合わせていれば、金がなくなってもちゃんと助けてもらえるし、馬鹿にもされない。

というわけで、その人に文化の教養があるかないかは大事な一線を設ける。

バックグラウンドに何かしらの文化、それもある一定以上の理解や知識があるとそれはオーラーとなって文化と関係のない話をしていても言葉に重みが出てくる。

文化がない人間の言葉は軽いもので、それは小説を読んでないと語彙が少ない上に、相手に対する想像力も身につけられないので、話す言葉が単純に、そして軽薄になり、心の襞が作られていない人になる。

そういう人は必然的に相手にされない。もしくは嫌われたりする。

会ったことはないから名前を出すと恐縮だけど、百田尚樹というおもしろい人がいる。

わたしは彼の小説も読んだことがなく、時々Twitterを眺めるだけだけれど、極端な中国アレルギーとか、思想的にはどうかなと思いつつ、それもエンタメとしてわたしは見ていて、ああいう人がいていいんじゃね?とも思うから気にならない。

ところがリベラルや左派といった人たちからは猛烈に嫌われていて、百田さんへの誹謗が百田さんの中国への批判よりも汚い言葉であったりする。

で、思想的には偏りがあって、知的な雰囲気もないのだけれど、百田さんはクラシックにものすごく詳しくて、レコードコレクションもとんでもないらしい。

だから時折、クラシック音楽のことをツイートしているのを見ると、この人は専門家じゃないけれど、でも音楽という文化には造詣が深いんだなとわかる。

そうすると、時にはネトウヨちっくな発言も「まあ、いいか」なんて思えてしまって、それは単に頭がなくて、学校に行ってなくて、社会の底辺にいながら行ったこともない国のヘイトに一生懸命な知識のないネトウヨとは違う。

というように何か一つでも文化に詳しいと、ゴミ扱いされないというメリットがあり、それがないといくら頑張って力説しても話は聞いてもらえない。

だから、文化とはそれで金を稼ぐという一部の芸術家などを覗いては、教養として持つべきもので、それがあるとゴミ扱いされないという効果がある。

文化そのものが金にならなくても、文化の教養があるおかげで人から信頼されたり、尊敬されたりして、その結果、それがお金につながる人間関係になったりするわけで、直接的ではないにせよ大きな意味がある。

ところが文化がないとヤクザな稼ぎ方かブラックな仕事しかなくなってきて、金を目的に法的にスレスレなことをやったり、信頼と尊敬が得られず、ブラックな低賃金で友達もいない状態で日銭を稼ぐことになる。

やはり人に話を聞いてもらう、聞いてもらえるというのは重要であり、

「お前の話はアホすぎるから、聞く時間がもったいない」

なんて言われると、その先がなくなってしまう。

あと、文化がある人間は色気がある。

人間は色気に魅かれるものであり、それがあれば愛される。

愛されれば困った時に助けてもらえる。

だから、文化は人としての奥行き、そして色気を身につけるためにあると言っていい。

わたしは文化を教える仕事、具体的には着物を教えたり、バイオリンを教えたりしているけれど、教わった人たちがそうやって奥行きと色気が出ることでちょっといい人生になればいいなと思えるところにわたしの仕事の生きがいがある。

そして、何よりも教えることで常に文化に携わり、わたし自身も心が充実できるという相互にいい作用がある、それが文化なんじゃないかと思うのです。

【スポンサーリンク】