結月でございます。
本格的に暑くなって、今日も35℃。
これは外をまともに歩けるような気温ではない。
そんな暑さに伴って、川や海で溺れ死ぬ人が毎年出てきて、今年もすでに何例かあるらしい。
わたしはまったく泳げない。ちょっとくらいの平泳ぎならできるけど、スタミナがないからきっと10秒も泳げないと思う。なんて言うと、たちまち、
「泳ぎっていらない力を使わないから楽なんだよ!」
という泳げる人からツッコミが来そう。
あのさ、それは泳げるから力が抜けるんであって、泳げないから力が入るんだろ!という根本をできる人は理解しない。
と言いつつ、わたしもバイオリンを教えていて、
「そんなに力入れて弓を持ったら、弾けるわけねーじゃん」
なんて生徒に言っている。
そうそう。頭でわかっちゃいても、力って抜けない。抜けてる時は泳げてるし、弾けてる。
さて、バイオリンなんか力入れて弾いても死なない。でも、泳げない人が力を入れてジタバタすると沈んで死ぬ。
というわけで、泳げない人は水に入らないのが鉄則であり、そうすると100%溺れない。
溺れるのは、自分が少しは泳げると過信している人に違いなく、中途半端に水に入るからなのだろう。
ところでこんな記事があった
水難学会なんてあるのがまたすごいけど、いろんな専門があるものだと思う。
これによると、溺れた時はとにかく「浮いて待て」ということ。慌てると沈むから、浮いて救助を待つのがよろしい。
しかしながら、これはかなり理性的な人間でないとできない。普通ならパニックになって浮いていられないし、自分の子が溺れていたら、後先考えず飛び込むのが親だろう。
また陸上から溺れている子に向かって、
「浮いて待て〜!」
と叫んでも、子供が浮いて待つことに頭をシフトするのはこれまた子供でもかなり理性的でクールな頭脳でないとできない。
その絶叫も届かず、溺れて沈みそうになるのと黙ってみているわけにいかず、やっぱり親は飛び込んでしまう。
泳げないわたしだって、その場面になったらきっと飛び込んで助けに行くだろう。
この記事には、人間は陸上と水面の高低差は10cmほどしか這い上がれないとある。これは知っておく知識だろう。
当然、防波堤やコンクリートの港の淵となるとどうやっても上には上がれない。
また、子供を助けられたとして、子供を両腕で持ち上げ、陸上の人に渡そうとしてもそれは30秒ほどしかスタミナはもたないらしい。それもそうだと思う。
そして運よく子供を受け渡せたとしても、体力は30秒で使い切り、救助した人はそのまま沈んでしまうのだそうだ。
想像しただけでも恐ろしい。特に泳ぎが苦手なわたしにはゾッとするような話。
というわけで、仮に泳げたとしても川や海にはあまり入らないほうがよさそう。
しかし、わたしには危ない欲望があって、それは奥日光の中禅寺湖の水の中に入りたいってこと。
中禅寺湖は実に美しい湖で、霊気がバンバンにある。
中禅寺湖も湖水浴ができるところがあるらしい。しかし、人前で服を脱ぐなんて嫌だから、人がいない静かなところでこっそりと入りたい。
「それ、あぶねーじゃん!」
うん、それはわかってるんだけど、中禅寺湖の霊気を静かにひとりで味わいたいんだよね。
だから、せいぜい腰くらいまでのところを歩くくらいにしようと思う。泳いだら絶対に溺れるから。
なんて言いつつ、あの中禅寺湖の美しさに頭がおかしくなって、泳げないくせにどんどん遠くまで行ってしまうそう。
うん!やっぱ危ねー!
でも、中禅寺湖なら死んでもまあいいかな、なんてヤバいことを思ったりして。
岸にある木に紐を巻きつけて、それを腰に巻いて水に入ることにしようか。
と、もし中禅寺湖で水難事故があったら、わたしかもしれないよ。
泳げない奴は水に入るな!という鉄則を破ると危ないよね。