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カルピスウォーターはペットボトルより缶がうまい

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結月でございます。

この間、猫を膝の上に乗せながら、いろんなところに電話かけたりメールしたりしているとなんだか喉が渇いてしまったが、冷蔵庫にはドリンクは何もない。

そういう時は得てしてそのまま諦めてしまうわたしだが、その日はちょっと自販機まで出かけようと思った。

基本、引きこもり的性格であるからして、猫と一緒なモードに入ると近場でさえ外に出たくなくなる。それでも雪駄を履いて自販機を目指したのは電話したりして喉が渇いていたから。

近くには桜並木があって、それはなかなか見事なのであるが、引きこもり性格はそこにはあまり関心が向くことはなく自販機を遠くに見つめる。

さて、その自販機はろくなものが売っていなかった。仕方なしにもう少し歩いて別の自販機へ行くと、買おうと思えたのはカルピスウォーターだけであった。

しかし、そのカルピスウォーターはペットボトルではなく、500mlの缶。飲み残すと面倒だと思いつつ、それしかないからそれを買う。

猫のもとに戻り、早速それを飲むが実に懐かしい。昔はペットボトルはほとんどなく、ジュースと言えば缶だった。ところが今はすっかり缶のほうが珍しい。

勢いよく飲むと、

「やっぱ缶はうめーわ!」

と、そのうまさにちょっとした感動。昔はこうだったよなと思う。

中身は同じだと思うが、不思議とペットボトルより缶のカルピスのほうが断然おいしい。缶のほうがさっぱりとしたテイストに感じる。ペットボトルはちょっとヌルヌルした舌触りがあってよろしくない。

この現象はコカコーラも同じで、コーラは何度飲んでもペットボトルはイマイチで、缶が断然うまい。

缶のコーラはドライであり、フレッシュ。ウォッカ、ウイスキーのコーラ割りもペットボトルでなく缶でやるのがいい。

とにかく同じものを入れていると予想するが、こうもテイストが異なるのはどういうことであろうか? 缶のほうが熱伝導率がいいからよく冷えることはわかる。しかし、ペットボトルのまずさはそれだけでなく、根本的なところが違う。

これをビールに置き換えてみると想像しやすいが、もしスーパードライがペットボトルに入っていたらおいしく感じるだろうか?

どうもペットボトルは内容物をまずくする何かがあるらしい。

思えば、ペットボトルが主流になったのはいつのことだろうか?

缶だと飲み切らないといけないから、その不便さでペットボトルが普及したと考えられるが、それほどまだ時間は経っていない気がする。

ペットボトル飲料はもはや自販機で買える飲料水入り使い捨て水筒であって、飲みきる必要がなく、飲みたいときに飲めてバッグに入れておける。この便利さを手に入れたら缶が主流に戻ることはない。

しかしプラゴミを減らすとかいって、コンビニのスプーンが木製になったり、空洞部分を作りプラスチックの使用量を少なくするような取り組みが始まるようだが、コンビニでスプーンを削減したところで意味があるのだろうか?

これだけペットボトルが世界中で普及して手放せないようになっていて、ペットボトルのゴミを大量に排出している。

兎角、社会は意味のないことをやるものだ。SDGsも怪しい取り組みだとわたしは感じている。

そういえば、今日、愛娘を連れて栃木の小山にある映画館におしり探偵を観に行った。5歳で背が低いから座高を高くするシートを取ろうとすると、そのラックにはひとつもない。その場にいたスタッフの女の子に訊くと、

「コロナなので…」

と言う。

「それじゃ、この子が映画観れないじゃないか」

と言うと、

「すみません…」

とのこと。

金を払って映画を観に来ているのに、子供が映画を観れない環境にすることになんとも思わないのだろうか?

バイトの姉ちゃんに言っても仕方がないから、かなり腹が立ったが劇場に入る。どうせガラガラだから、見えるところに座ればいいと思ったからである。

しかし、子供用シートでコロナに感染すると思っている根拠のなさはなんだんだろう? コロナも3年目になり、かなりわたしたちその特性を学んだはずだ。接触感染はほぼないとデータもあるし、尻からコロナに感染するわけがない。子供用シートを触ることで感染するなら、そもそも映画館の椅子に座れない。

ちょっと考えればわかるようなことが理解されないで、

「コロナなので…」

という一言で思考停止している。

根拠がないことなのにそこを検証しようとしないでちゃんとしたつもりになるアホさが日本にはあって、先日も那須の千本松牧場に行った時もわたし以外はみんなマスクしている。あんな青空の下のだだっ広い牧場で感染するなんて限りなくゼロである小数点以下天文学的数字の確率であって、マスクすることに理解ができないが、科学的判断で自分の行動を決められない空気感。

コンサート会場などのガイドラインもいまだに馬鹿なことをやっていて、ディスタンスを取るとか、数十センチの距離を言われる。しかし、ステージ上で演奏したり、歌ったりするのにそんな微々たる距離が有効な差が出るわけがないのはわかりそうなものだが、お役所的なガイドラインが生きている。

思考停止なままの空気感が漂っていて、意味のないことをちゃんとやって、問題のない行為が制限される。

ペットボトルは問題なく、なぜかコンビニのスプーンやフォークが駄目。

馬鹿らしくて呆れてしまう。

さて、そんなおしり探偵だったが、劇場内の客はわたしたちだけで完全貸切だった。だから子供用シートがなくとも大丈夫だったわけで、5歳児とポップコーンをモシャモシャ食べながら、私語もしながら映画を観た。

しかし、貸し切りはよかったが、大人と子供で合計2800円払うような内容ではなかった。

テレビ放映で十分なおしり探偵。

劇場版ならクレヨンしんちゃんやプリキュアのほうが映画として成り立っている。

と、映画にする必要があったのかな?と思えるおしり探偵だった。

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