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教育熱心な人

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結月でございます。

4連休2日目。

保育園がないとこんなにも1日が長いものか。終日、3歳の愛娘と一緒。

昨日はトイザらスに出かけ、ジグゾーパズルを買った。パズルは幼児用のものを昨年からたくさん買っていて、最大で68ピースのアンパンマンのものだったが、それはずっと前にマスターしてしまっていたため、今回は大人と同じ小さいパーツの108ピースを買った。

アナ雪が好きだから、そのパズル。

そんなチョイスが女の子だなと思う。

そして、ひらがなの練習帳も合わせて買う。

パズルはさすがに3歳児には難解だったけれど、隣に座って寄り添うことで完成。

アンパンマンのひらがな練習帳は「よくできたね!」シールが気に入って、そのゲットのために猛烈に勉強した。

「ご飯にするよ〜」

と、わたし。

「いま、べんきょうしてるから、いらない」

と、3歳児。

おおぉ!これはなんとも!

そんな集中力で、練習帳の半分を今朝で終える。ちょっと字が書けるようになってきた。

左利きの愛娘。字を教えるのも逆になるからちょっとやりづらい。しかし、よく書けたものはキャラに似合わず、

「はなまるだよ〜」

なんてやっている。

と、今日はお出かけなしで、本を読んだり、お勉強にかなりの時間を費やし、お昼寝もしなかった。

よし、よし、いい傾向だと思いつつ、愛娘に教えてばかりいて、自分自身の勉強をする時間がない。ちょっと今、勉強中のことがあるのだけれど。

まあ、それも仕方がないとする。

しかし、頭も随分発達してきて、コミュニケーションも正確になり、勉強内容もやりがいがあるものになったため、教えていてもまあまあ楽しい。学校へ行くようになるともっと楽しくなる。

今は学校でもプログラミングはやるようだし、それはやっておいたほうがいい。

小さい子供を見ていて、将来がたくさんあるっていいことだなと思う。だから、今のうちに教えられるものはたくさん教えておく。

でも、大人になったからこそできることもたくさんある。子供の時はできなかったこと。

わたしはようやくできそうになったことを今、取り組んでいる。うまくいくかはわからないけれど、明らかに昔よりかは理解が深まり、成功率は高まっている気はする。

10年前だと自分に理解できていなかったことが今は理解できているという発見。思いのほか、この発見がうれしくて、同時に今までそれがわかってなかったんじゃ、いくら頑張っても駄目だったよなという発見。

「ああ、そういうことだったの」

この境地が意外と身近にあるのに気づかない。気づかないことが能力不足だったんだよなぁ。

でも、気づかなかったせいで、なんだかいろんな経験が蓄積されて、だからこそ今後は楽しめる素材が豊富になったとも思う。それによって死ぬ直前まで充実できる生き方ができそう。

だからさ、今は自分が取り組んでいることに集中したいんだけど、3歳児に勉強も教え、3匹の猫の世話もして、それを制約と呼ぶかどうかはどーでもよくて、今ある環境でやることはしっかりやる。

思えば、愛娘も猫たちもそれらは自分に必要なものだからなくせるものでなく、つまりすべてが自分の世界であるわけ。

世界とは実は区別がない曖昧でありながら強い結合をしている集合体なのだ。

だから、排斥することはできない。大きな目で見れば、すべては一体であるということ。

これって、ちょっと構造主義?

これって、ちょっと仏教的?

すなわち、コロナもこの世界の一部であり、切り離せないものであり、世界という名の集合体の中に「在」るもの。

ということは敵対することもなく、善も悪もなく、「在」るものとして在る。

それを無理やりゼロにするのは不可能で、さらに言えば、それによって人に死がもたらされたとしてもそれも世界の現象の一部であり、切り離すことはできない。

存在という意味で、すべてはつながっている。つながって一体になっている。そしてそれは宇宙。

なんて思うんだけど、違うかな?

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