結月でございます。
都知事選があるせいで、学歴がちょっと話題な今。
小池百合子がカイロ大学を卒業しているかどうかは怪しいところで、都知事選が始まるこの時期にカイロ大学が声明を出すというのも胡散臭い。
普通に考えれば、小池側からの要請で選挙対策のためにお願いしたのだろう。
さて、小池百合子がカイロ大学を出たかどうかは眉唾のままなのは、きっと彼女にその「雰囲気」なるものはないからだろう。
しかも首席で卒業していたのなら、アラビア文化や言語にもっとバリバリな感じがするもので、いくら日本の政治家歴が長いといっても人間にはその「雰囲気」が出るものだから。
あとは小池百合子が約束した公約を全然果たしてなかったり、演出臭が強くて、ハリボテ感があって、「見せる」ことに長けていても中身がなさそうという「雰囲気」がな〜んとなく出ているからではないか。
ハリボテ感があるから、カイロ大卒と言われても中身がなさそうに見えて、
「ほんとに出てんの?」
という話になってくる。
また卒業証書を頑なに見せないというのも当然怪しくなってくる。
卒業証書と聞いて、
「あれ、アタシ、あんなのあったけ?」
と、思った。
確か、卒業式で黒い筒に入った賞状みたいなもの、もらったよ。あの中に入ってたのが卒業証書かな?
大学の卒業式は何をやるのかよく知らなくて、日時だけ聞いたからその日に指定されたゼミ室に行った。すると、学科のみんながスーツとか着て、
「あれ? なんでそんなの着てんの?」
と、疑問に思ったわたしは普段通りのヨレヨレの服だった。
さらに教授陣も似合わないスーツ姿で、
「キモ!」
とか思ったのは、だってさ、文学部の教授になんてフォーマルから遠ざかった人ばかりで、そのルックスが根暗すぎて危ない人たちばかりなのに、そんなのがスーツなんて着たら気味が悪い。安物の詐欺師以下だよ。
とまあ、大学の卒業というものにほとんど価値を感じていなかったわたしはなんだかよくわからないまま黒い筒をもらって学生生活を終えた。
と、わたしは一応大学を卒業はしたけれど、卒業証書を見せろと言われたら、どこにあるかわからない。
引越しの度に見かけた気がするも、探してみないとわからない。
でも、それもなくてもいいやと思うのは、今の自分は大学で学んだこととはまるで関係ない生き方をしているからで、大学は自分の中で大変影の薄いものになっている。
社会人になると学歴って本当にどうでもいいもので、仕事をお願いする相手がどんな学校を出てるとか気にならないし、だから仲のいい人の学歴も知らない。
しかし学校って不思議とキャラみたいなものを形成するらしく、それはその学校を選んで受験勉強し、入学する時点でその人のキャラになってくるからだろう。
明らかに早稲田と慶応はキャラが違うし、国立大と私立大でもキャラが違う。共学と女子大でもキャラが違う。
ところでわたしは早稲田と慶応が結構嫌いな人間で、それは大学を卒業して何年も経っているのに母校に執着が強い人が多いから。
「いやいや、お前の大学のことなんて興味ねーし!」
とこちらは思うのだけれど、先方にとっては違うみたいなのである。
しかしながら、自分が会社員でなく自営で仕事するようになり、いろんなところで人と出会うと、ちゃんとしてくれる人だなと安心して仕事を頼めたり、当たり前のことをきっちりとしてくれることに好感が持てたりする人が慶応卒だったりする。
わたしが超絶嫌いな慶応なのに、一方で慶応卒は付き合いやすいな、なんて思ったりする。
早稲田はルーズっていうか、なんかメンドクセー感じがして、精度の高い仕事を一緒にするのには精度が低いって感じることがある。しかし、それは早稲田卒全員のことでないから、あくまでわたしの勝手な印象だけれど。
とはいえ、慶応は家庭の経済環境がいいところで育った人が多い事実は影響あると思う。
なんだかんだ言って、人のマナーというか、きっちり具合というのは家庭環境が大事だから。
つまり、卒業式にヨレヨレの普段着で行って、他がみんなスーツであることに驚いているような人はいないわけ。
そんなヨレヨレのわたしも長らく自分で仕事をするにつれて、これでもきっちりモードな人間になったとは思う。
だから、言ったことをちゃんとやらないとか、納期がいい加減とか、そういう相手とは仕事ができなくて、とにかくちゃんとしてほしい。
大事なことは、できないことはできないとはっきりと言うこと。意外とこれ、できてない人が多い。
それをはっきりと言わずにできそうなことを言って誤魔化したり、「難しい」と言う言葉を使ったるされると困る。
「難しい」とは、もっと頑張ればできるかもしれないってこと?とわたしは解釈するので、「できない」とは受け取ってないから。
日本でははっきりと断ることが失礼に感じたりする風習があるせいか、お茶を濁すパターンや結果的に返事をしないとかが多い。
そういうのはとても困るのであり、ダメならダメとはっきり言ってもらったほうが次の作戦を立てやすいから助かる。それなのにはっきりしないから、無駄な時間が過ぎていく。
というわけで、仕事では「はっきりさせる」ということが重要。
これを日本全国でちゃんとやらないから、コロナ対策もわけわかんない玉虫色のものになって、無駄なことばかりになる。
さて、学歴そのものには意味がないと思えど、やはり私立大と国立大とは人間が違うし、まともな大学卒とFラン大卒とも違う。高卒と大卒とも違うものがあって、それは当然、どんなことをどれだけ勉強してきたかによって人間が形成されるからだろう。
それによって人間は「雰囲気」を醸し出すのであり、そこが小池百合子のカイロっぽいものがない怪しさに繋がる。もしわたしが、
「大阪体育大学卒ッス」
なんて言ったら、
「なに、冗談言ってんですか?」
と、冷たい表情で相手にされない。
それは見るからにわたしが運動音痴で、身体能力の低さが「雰囲気」に出ていて、運動なんか部活ですらしたことがないのが言わなくても「雰囲気」でわかるから。
とまあ、学歴はどこか人間の雰囲気を作っていて、雰囲気作りのために学校へ行くのは大事かもしれない。
わたしが仕事相手にするのは慶応卒が結果的に多いのも、それはその「雰囲気」がわたしが仕事で求めるものであり、逆に早稲田的なものは「雰囲気」でパスしているだけなのかもしれない。
人によってはその反対もあって、慶応っぽいのはやりにくいということもあろう。
結局のところ、学校名がどうとかというより、学校時代も含めて、自分が現段階までどんなことをどれだけやってきたかというのが「雰囲気」に出るわけであり、それが正式な「履歴」なのかもしれない。
その履歴の中で学校名は一部のものであり、ただし、占める比重は少なくない。
そんな意味で、小池百合子の学歴が疑われるのはどうもエジプトっぽいところがないからであり、必ず真実はある。