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愛がつくものにはケチれない。

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結月でございます。

まもなく7月。ということは、自動車免許を取得してちょうど丸4年。

クルマの運転なんてまったく興味がなく、そもそもその概念が頭の中のなかったせいで、

「えっ!?今頃取るの?」

という状態だった。普通は大学在学中の時間がある時に取るものなのだろう。

確かに自動車学校に通うのは時間がかかるので、サラリーマンだと社会人になってからではちょっと難しい。

さて、栃木に来てから愛娘の保育園の送り迎えがあるため、クルマは毎日乗っている。しかも田舎だから、スーパーへ行くのも徒歩でちょっとというのもキツいし、なんて言っても実は徒歩でいける距離にある。

足がクルマに慣れると、東京にいる頃だったら歩いていた距離も歩きたくなくなって、考えもせずエンジンをかけるようになる。

しかし田舎は東京のようにちょっと電車に乗れば、いろんなキャラのある街に行って遊んだり、仕事したりということができないため、クルマがないと身の回りのものには事欠かなくとも、老後生活みたいになって生きている心地がしなくなるのである。

栃木に住むことなんて思いも寄らなかったけれど、結果的に免許を取っておいてよかった。

さて、クルマはなんやかんやと金がかかる。

この間、どこかのアンケートで「不要だと思うもの」というのがあって、1位が学歴だった。2位は忘れたけど、確か3位がクルマだったような気がする。

日本は学歴があまり関係ない国なので、学歴がどうとかは就職してしまえばどーでもいいものになる。

国によっては学歴がうるさいところもあれど、とにかく日本は学歴はそんなにうるさくない。

社会人になって学歴で差別されることもないのだから、「不要」というのはよくわかる。

そして、クルマが要らないとされるのは、都市部での話。確かに東京では本当にクルマはいらない。わたしも週一くらいでしか乗ってなかった。

東京だと月極駐車場も高いし、都内を走るのも面倒だし、走ってから駐車場を探すのもこれまた面倒。あったと思ったら満車であることは珍しくなく、

「電車で来ればよかった!」

となる。

とにかく、都市の構造上、生活にクルマは要らないのが東京。

さて、そんなクルマは田舎では活躍し、必要なものであるけれど、やはり金がかかる。金がかかるものだとは聞いていたが、持ってみると本当に金がかかるものだった。

わたしの場合は幸い、駐車場は不動産にくっついているからタダ。これは大きい、と思えど、田舎は土地が安いから借りたって東京ほど驚く値段ではないけれど。

金がかかるのは車検などであろうか。先日、車検を通して法定費用で5万6000円くらいは払ってる。

そして、その事前の整備で、擦り減ったブレーキローターとブレーキパッド一式交換してオイル漏れのパーツを交換してなどしていたら車検費用と合わせて30万ほどはかかっている。

あとはガソリン代。おそらく1ヶ月あたり1500キロほど平均して走っているから、ガソリン代は月々2万数千円だと思う。

考えてみれば、電車の定期代より高いくらいか。あとは自動車保険。自動車税。

といった感じで、しかし車種によって整備費はかなり変わってくる。10万キロで乗りつぶすタイプの国産車なら、それまではそこまで整備費がかからないだろうし、部品を交換しながら末長くいいコンディションで乗り続けるドイツ車となるとマメな整備が必要になってくる。

これはまあ考え方で、使い捨てのたびに車を買い替えるコストで見るか、整備費の蓄積だけで末長くと見るか。

いずれにせよ、クルマは金がかかるわけだけれど。

しかし、ガソリン代を考えれば、これだけ乗って定期代よりちょい高くらいだとお得意かもしれない。

定期は決まった区間しか乗れないため、区間外での使用を考えると思いのほか切符代は嵩んでいる。この辺はあまり計算するほど律儀な人は少ないだろうから、知らぬ間にお財布から流出しているものと言える。

クルマの場合は、好きなところにいつでも行けるメリットがある。

それ以上に「お出かけ」してしまうもので、そこが楽しみでもあり、出費の元にもなる。

わたしの場合は、愛娘が小さいから週末はいろんなところに連れて行ってあげたくなり、ガソリンを燃やしている。

家の中にずっといてもつまらないし、それは子供のためにも良くない。

これが東京なら子供のためにとなると、意外に楽しめるものがないような気がする。あってもそこまで電車で行くとなるとかなりハード。読売ランドだってディズニーランドだって、東武動物公園だって電車で行って帰ってくるとかなりグッタリする。

クルマがあるから奥日光へも行こうと思えば行けるし、それゆえに結美堂山ガール部だってできる。

自動車免許を取ったおかげで自由になったって気がする。正確に言えば、制約がなくなったというか。

となると、クルマが要らない東京での生活は自由に見えて、自由でないとも言える。

わたしはもともとあちらこちらに行くのが好きな性格で、今まで免許がなかったから日本国内では引きこもりで、外国にばかり行っていた。

こんなことなら、さっさと免許を取っておけばよかったのに、不思議とそれに興味がなかった。

と、そんな金が何かとかかるクルマだけれど、好きなクルマを買うべきだということがわかった。

コストや出費を考えて、好きでもない車種をケチって買うと、おそらく「乗る」ことが楽しくない。楽しくないがゆえに乗らなくなる。乗らなくなるがゆえにそこにかけた金が無駄になる。

ペーパードライバーなんて費用対効果で考えたら最悪で、自動車学校に30万も払って、身分証だけの価値しか発揮できていないのはほぼ金を捨てたのと同じ。

やはり「生かす」ことが大事で、生かすことでいろいろなものを増やせる。

あとは気に入っているクルマだと整備に多少の金がかかろうとも納得できる。ここは重要なところ。

「愛」がつくものがいい。それがつけば大事にするし、それを生活の中心に持って行ける。

わたしに取って愛がつく三つは、

「愛猫」「愛娘」「愛車」

思えば、それらは自分に一体化するものなのだろう。

猫とわたしは一体化していて、猫はべったりとくっついてくる。

娘もまだ小さいから目を離すことができず、保育園に行っているとき以外はべったりしている。

車はお尻がシートのべったりとくっついて、一体となって遠いところまで行く。

逆に離れていたほうがいいものもある。くっついているよりも離れていたほうがうまくいくものもある。

きっと「愛」がつくものは、離れていては駄目なもので、絶えず構ってやらなくてはならないものなのだろう。

猫はわたしがいなければご飯ももらえず死んでしまう。3歳の子供は一人ではまだ何もできない。車は整備してやらないと走らなくなる。

すなわち、愛がつくものには金はケチれないってことで。

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