結月でございます。
TOHOシネマズが全劇場で営業再開
映画館なんて今日日、空調もいいし、黙って映画観てるのだから、もともと自粛なんてしなくてよかったと思うんだよね。
しかし、営業再開とは言っても、前後に1席ずつ間隔を空けるとなると、総座席数の半分以下くらいしかお客さんを入れられないってことか。
とはいえ、そもそも昨今、一部のヒット作以外、映画館はスカスカで、コロナがなくても間隔ばかりだったけれど。
困るのは映画を観に行っても、一緒にいた人と離れた席になることかな。
これまた映画は観るだけだから実質関係ないにせよ、好きな人と離れて観るのもなんだかね。哀しい気持ちになっちゃう。となると、哀しい気持ちになってまで映画は観ようと思わないから客足もイマイチなんてね。
東京でも感染者数からして、ほとんどの人がウイルスを持っていないという確率になる。しかもちょぼちょぼ出ている感染者もキャバクラとかホストクラブの可能性が高いみたい。
となると、普通に生活していて感染するというのは、かなり確率的に低くて、実質的にゼロに近いと考えていい。
そんなことが肌感覚的にわかっていて、過剰な「念のため」で映画を離れて観なくちゃいけないって、なんだか悪質なママゴトをしているようで辛いよ。
先日、愛娘を連れて、宇都宮までミスタードーナツを買いに行った。
すると、ドーナツをトレイに入れた後も店員が毎回そばにある消毒液で手のひらをスプレーするわけ。
「ちょっとさ、ドーナツに消毒液、かかってね?」
なんて思ったよ。
つまり、そこまでポーズを見せないといけない強迫神経症がキモいって思うわたし。
でも、「モーニングショー」を見過ぎて、脳内がコロナ強迫神経症の人は本気と書いてマジと読むほどどこかにウイルスがあるのではないかと恐れているので、結局、社会というものはそういう水準に合わせなくちゃいけなくなる。
人が歩いていないようなところでも、たったひとりでマスクしている非科学的な人も相変わらずよく見かけるし、保育園に行けば、小さな子供が隙間ありまくりなスカスカ状態でマスクしていたりする。そういう親がいるのだろう。
きっとウイルスは空気中に漂っていて、どこにでもあるように思っちゃっているのだろうなぁ。
得てして、商売というのは、人を選ぶことができない。会員制のものだとできるけれど、多くの商売は不特定多数を相手にする。
だから、非科学的であることも理解できない層に社会が合わせないと、メンドクセーわけで、その最たるものがコロナ警察なのだけれど。
ところでわたしは好きな人となら「密」でありたい人間だから、映画を一緒に観に行って席が離れ離れにっていうのは受け入れられない。映画は基本的にひとりで観ちゃうから、映画を一緒に観るのはよほど好きな人とじゃないと行かないんだもん。
バーカウンターでお酒飲むにしたって、好きな人としか行かない。
銀座で同じテナントビルに入っていたバーも6月から再開するとのことで、久しぶりに行きたいななんて思いつつ、よく知るバーテンがマスクしたりしてるだけでこれまた哀しくなっちゃって行けないよ。
久しぶりなんだから、顔見せてよ。
わたしは密で全然気にしないのに、社会から密を強制されると、愛情まで規制されそうで嫌なんだよね。
しかもコロナの確率なんて、かなりかなりかなり低いのにそんなポーズを取らなきゃいけない馬鹿馬鹿しさに腹が立って来ちゃったりさ。
とまあ、会社員の人なんかにとっては、密の回避で行きたくもない飲み会がなくなって嬉しいってことはあるだろうなぁ。
ところが、わたしみたいに好きな人としか飲まないタイプは寂しいんだよ。
好きな人からだとコロナもうつされてたって、まあ、いいよって感じで。
こいつからうつされたらムカつく!っていう相手とは交流がないんだよね、わたし。
でも、会社員だと、こいつからうつされたらムカつく!ってたくさんあると思うよ。
大嫌いな上司や同僚からうつされたら、殺したくなるくらいムカつくよね。
そんなところでも、人間関係のあり様って色々あるものだね。
とにかく、わたしは密派。
一番の密は猫だね。
今もずっと猫が膝の上にいて、密着状態。