結月でございます。
ちょっと話題になったアベノマスク、あたしんとこにはまだ届いてない。
あたし、基本、マスクはしないんだけど、アベノマスクが届いたらつけてみようかななんて思ってる。
だって、アベノマスクってもらっても使わないって人が多数らしく、人と同じことをするのが嫌なあたしとしては、アベノマスクをつけないのが主流であるなら、あえて使ってみようなんて思っちゃうわけ。
まるで小学生の給食当番のような古典的布マスク。サイズがビミョーらしいし、洗ったら縮むとかいう噂も聞いたことがある。
洗って縮んだマスクをするなんて、まさしく小学生の給食当番であり、あたしも小さな頃、縮んだマスクをつけたことがある。
さて、そんなアベノマスクをつけて、
「どう、このマスク。イケてる?」
なんて声をかけてみて、
「ええっと…」
と言われたら、
「モチ、アベノマスク」
と堂々と、かつ悠然と答えることにしよう。
マスクにチャラいデザインを施したりするのもトレンドのよう。であれば、あたしは純白のアベノマスクにあまりにも禁断な女陰のマークをマスクのど真ん中にマジックで描いちゃおうかなと思ってる。
この禁断のイラストマスクは、普段付けちゃいけない。あえて、マスクつけてください!と言われるシチュエーションを狙うべきなのである。
先日、裁判で弁護士が裁判官からマスク着用を求められ、それを拒否って審議が2時間も中断したらしい。
こういう時は女陰マスクのチャンスなのであり、弁護士はマスクを拒否るよりも、
「裁判官がそう言うなら…」
と、おもむろに革バッグから女陰マスクを取り出してほしかった。
でもそもそも、裁判にマスクする必要あんのかな?
裁判官なんかほぼ、何も喋らないで座ってるだけなんだけど。しかも弁護人だってあれだけの距離があって感染するとは思えない。
それはいいとして。
これだけマスクをしている人が多いというのに、どうして暴走族的なノリのマスクってないんだろう?
マスクに、
「感染上等!夜露死苦」
とか書けばいいのにね。
さて、アベノマスクが届いても、もしかして日本でそれを使うのは安倍晋三とあたしだけ?なんていうレア。
あたしは安倍晋三のことで、「この人、すげえな」って思うことがある。
それはこれだけ批判されたアベノマスクだけど、頑なにそのアベノマスクを使用し続けているところ。
しかもサイズが小さくて、どう見ても顔面の大きさとマッチしていなくて、ヤバいルックスになっているというのに毎日、アベノマスクを使い続けている。
普通だったらもう少しマシなマスクに付け替えそうなものを、一応自分のプランとして全国配布したから、他の閣僚たちが付けていなくてもただ一人、アベノマスクを使う頑固さ。
もちろん、それは自分が配布して、自分が使っていなかったら壮大なツッコミが日本各地から湧き上がるからであるけど、その頑なさは政治家安倍晋三にではなく、人間安倍晋三に好感が持てたりする。
しかも、アベノマスクの立案を安倍晋三本人がやるわけはなく、他人のアイデアであるのに発起人の立場を背負って給食当番さながらのヤバい姿で国会に出るところに人間的な義理堅さを見てしまうわけ。
総理大臣という立場でサイズの合わない布マスクを付けて、その姿を全国ネットで晒し続ける苦悩に比べれば、あたしの禁断のイラスト入りマスクで外を歩くことなんか、その恥ずかしさは比較にならない。
でも、それをやる安倍晋三という人はすげえなって思うわけで、
「おいおい、安倍批判してる奴ら。お前ら、ちょっとはシンゾーのハートを考えてやれよ。あれはちょっとやそっとの覚悟でできるもんじゃねーぜ」
って思ったりする。
さて、そんな布製の古典的マスク「アベノマスク」を装着して、それは洗濯のたびに縮んでしまったとして、もはやマスクの形を残していないくらいになっても使い続けてみようかな。
そして、
「結月さん、そのマスク、縮んで小さすぎるんで新しいの買ったらどうですか?」
なんて訊かれたら、
「ふざくんな!気に入ってんだよ!口出しすんな!」
と、恫喝しよう。
ウイルスのためではなく、おもれーからマスクするというスタンス。
「それ、もしかしてアベノマスクっすか!」
と、訊かれることを待ちわびて、
「モチよ」
と、答える。
あたしはコロナを絶好の選挙活動にしている小池百合子なんかより、これだけ墓穴掘りながらもアベノマスクを装着し続けている安倍晋三のほうがまだ好き。
でも肝心のマスクが届かないんじゃ、しょーがないよ。