結月でございます。
朝、いつも通りに起きて、
「さあ、今日は病院にお薬でももらいに行くかー」
と、「趣味・病院」を発揮し、かかりつけの病院のウェブサイトを便座に座りながら開いてみると、
「あれ?休診になってる…」
木曜日は午後は休みを確認したかっただけなのになんで休診なワケ?
と、サイトのカレンダーを見ると、ギョギョッ!今日は祝日やないか! 全然知らんやった!
栃木に来てからというもの、カレンダーを見る生活をしていない。
危うく、愛娘に保育園の服を着せて、いつも通りに保育園に出かけ、そこには誰もいないという昨年もやってしまった粗相をやるところだった。
というわけで、4歳の愛娘を起こすこともせず、
「はあ… 今日一日、何やって過ごそう…」
と、途方に暮れる。
一人ならいいけれど、4歳児と共に一日をうっちゃるのは楽ではない。
でも、気分は東京。都会の雑踏を愛するわたしのハートは雑踏を求めている。4歳児を東京に連れていくか…
と思うも、東京は4歳児にとって楽しいところはそうあるものじゃない。銀ブラしたって仕方ないし、上野動物園はコロナで休んでいる。
いつもより遅めに起きてきた愛娘と、どこに遊びに行くかミーティングしつつも妙案は出ない。
時間ばかりが過ぎ、昼前になる。
そういえば、以前とちテレですごい長いローラー滑り台があった。あれ、どこだっけ?とスマホで検索すると、佐野の運動公園と出た。
滑り台が大好きな4歳児は興奮して「行きたい!」と言う。じゃあ、佐野までクルマを走らせるか!
およそ1時間強。典型的な田舎風景の中を走る。すごい田舎だと思って現在地を見ると「栃木市」とある。栃木市でこんな絶望的な田舎なんだ… しかし、風景としては好き。栃木らしいと思う。昭和な懐かしさもある。なぜなら、昭和から変わっていない建物しかないし、そもそも建物が少な過ぎて昭和から変わるものがない。
日本の原風景という気がする。どうせ住むならここまで極端なほうがいい。
一口に栃木と言っても、県北と県南ではまったく雰囲気が違う。わたしがいるところは茨城に近い趣があるし、それと栃木市は空気感が異なるし、日光と那須塩原は全然違う。
しかし、栃木をいうのは文字通り「木」の土地であり、海はなく、山の香りが深い場所が多い。それと同時にただだだっ広い平野も点在していて、それが日本の原風景なのである。
さて、そんな風景の先に佐野の運動公園はあった。田舎そのままの風景。
駐車場に車を止め、歩き出すとなかなか広い。
ローラー滑り台を目指す。なんとそれは150メートル超の恐るべし滑り台。とちテレによれば、長過ぎて尻が痛くなるという。だからそこではマットを有料で貸し出しているという。
と、受付らしき小屋を発見。どう見ても無人。
「臨時休館延長のお知らせ」
と書いてある。
コロナの感染拡大防止のため、休みを延長して2月21日までというやないか! ガッデム!ふざけるな! こんなクソ田舎のどこが感染拡大なんや! そもそも人なんか歩いていないやないか! それにこんな風景、どうやったら人が密になるというんや!
コロナウイルスは花粉のように舞っていると思っているのだろうか? ともかく、こんな場所でコロナ自粛がある不可思議。この風景の中、老夫婦はマスクして散歩してた。それは感染対策というのではなく、アホというのや。
仕方なしに滑り台は3月に出直すことにする。しかし、150メートル超の滑り台は見るからにデンジャラス。
これが降り口。
そしてこの高さ。これを監視員なしでやるほうがコロナより危ないのと違うか!?
これは愛娘を抱っこして滑らないといけない。4歳児単独は無理。しかし、3月に挑戦しようじゃないか。
さて、この公園にはこんなものがあった。
これは化石にはなっていないが、昭和時代の遺物。破損が痛々しく、放置されすぎ感が惨めで、それがむしろ昭和の栄光を感じさせる。昭和は楽しかった!
しかし、この二つの恐竜は、こうして並んでいる。ああ… 寂れるとは虚しきことよ…
と、その向こうにはなかなか圧巻なものが見える。
おおぉ!巨大だ! これはすごい!
等身大のスケール。これにはちょっとばかり感動。しかし、田舎風景の木々の中に恐竜というシュールさ。これも昭和の好景気がもたらした幻影だろうか。
さて、滑り台は残念だったが、そこからクルマで15分ほどで佐野プレミアム・アウトレットがある。そこでご飯でも食べようよと言うと、4歳児は、
「アイス食べたい」
と言う。
わかった、わかった。確かそこはアイスはあった。
と、プレミアム・アウトレットに着くと、駐車場には夥しい車が! かなり広い駐車場がいくつもある本格的な施設であるのに満車が連続する。
あまりの繁盛ぶりに中へ入るのは無理じゃないかと些か諦めていると、巨大立体駐車場の屋上にかろうじて空きがあった。
そして、中へ入ると、
「コロナなんて、カンケーねーよ〜」
という来場者たちの胸の中のつぶやきが漂う平和的な繁盛。マスクをしていることだけがアンチ平和だけれど、それもポーズだからね。
そもそもあんな広い施設で感染なんかする状態じゃないし、人がものすごく多いといっても満員電車のように密接するわけじゃない。それに今日は風が突風並みに吹いている。まあ、百歩譲って店内だけマスクで常識的なところ。だって厚生労働省だって密でない屋外はマスクは必要ないと言っている。当たり前だけどね。
でも、みんなブランドもの、好きなんだね。わたし、あまり興味ないけど。とはいえ、有名なブランドは品質がしっかりしているから、見ているとなんとなく欲しくなるものはあるよね。値段もアウトレット価格でお得だし。
しかしながら、わたしたちのお目当ては食事であり、アイスクリームなのである。
と、飲食店を覗くも、人が多くてゆっくり食べられそうにない。それにたいした店もないし、どうせ値段も割高。
「じゃあ、アウトレットの外にあるところで食べよっか」
と、映画館がある方向へ向かう。
その途中、サンリオの店があって、せっかく4歳児と来たからと思い、中へ入ってみた。もちろん買うつもりはない。
物色しながら、
「なんか、買う〜」
と、せがむ4歳児に、
「おもちゃ、いっぱいあるから買わないよ」
と、キッパリ。
そう言いながら商品棚を眺めていると、
「むむっ!このスマホケース、すごくいいじゃん!」
と、目に止まったのはキティの顔が貼られたスマホケースでストラップが付いていて首や肩から掛けられるようになっている。
実はわたしはこういうポシェットタイプに弱い。昔、フィレンツェに行ったときも肩から掛けられる小さな革製のポシェットを買ってしまった。それはずっと愛用していた。
iPhoneも12 Pro Maxにしたことだし、カバンを持たずに愛娘と散歩するときなど、このストラップ付きスマホケースは実にいい。
と、瞬間的に気に入ってしまったわたしはそれを手に取る。こうなったら4歳児にも何か買ってやらないと公平性が保てない。
一度は「買わないよ」と断ったときに手にしていたマスコットが入ったおもちゃを再び手にし、
「これがいい〜」
と、お気に入りの様子。こんなもん、ほしいの?と思いつつ、これがいいと言う。
レジに並んで、それらを渡し、クレジットカード一括払い。
おもちゃの入った紙袋をぶら下げて大喜びの愛娘。それだけ嬉しいんだったら、買ってよかったよ。
そして、アウトレットの外に出ると「かっぱ寿司」があったから入った。回転寿司なんていつ以来だろう? わたしは基本的に寿司は外で食べない。なぜなら、寿司はお酒を飲むにはどうも単調で、ご飯率が高すぎて楽しくお酒を飲めないから。
とは言っても、今はほぼノンアル生活をしていて、積年のハードドリンカー生活が嘘だったようなわたしは車の運転がないにしたってノンアルでお寿司。
しかし、かっぱ寿司って食べてみたら寿司としては最低だと思うけど、これでいいんだと思った。
一皿100円だし、それなら味は「ない」で不満はない。そう。かっぱ寿司はネタに味がない。味が濃厚なネタを使ってないし、味を感じさせるまでの厚さがない。
そして、お財布のことを考えなくていいという設定が売り。それに隣にいるのは落ち着きのない4歳児で、味わいながら食べるというものじゃない。いいネタはいらないのだ。
唐揚げやアイスクリームを入れて、お会計は二人で1600円ほど。本当の気楽さとはこういうものなのかもしれない。
うちに帰り、愛娘はおもちゃを開け、わたしはスマホケースを取り出した。
これに入れてバッグに入れておけばスマホは傷つかないし、バッグを持ち歩かない時は首にかけるだけでいい。
キティのことはとりわけ好きでもないけれど、とりわけ嫌いでもないどーでもいいものだから気にしない。それよりもこのスマホケースの機能的なところが気に入った。ファスナーがあり、そこには紙幣も入れられそうだし、裏面にはカードを収納できるポケットもある。
強いて言えば、スマホの上部を留めるホックみたいなものがあればよかった。首から下げている分には物理的にスマホが抜け落ちることはないとはいえ、ホックがあれば最高だった。
でもまあ、よしとしよう。
さて、愛娘が選んだおもちゃはなんでこんなものがいいんだろう?と疑問に思ったが、それでママゴトに付き合わされてしまい、そういう世界を見ていたのかと納得した。
4歳児というのは、やることなすことすべてが可愛らしいのである。