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今年の初詣は人が少なくて快適!

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結月でございます。

一昨日の元旦は初詣。栃木に来てからの氏神様は正月はそこへ至る道が駐車場待ちで大渋滞するほどだけれど、今年はスカスカで、難なく駐車できた。

境内に入っても人はかなり少なめで、賽銭をするまでの行列は、

「ちょっと待ってればいいや」

という具合で、おそらく10分程度だっただろうか。

コロナのおかげで初詣を自粛する意識高い系の人が多いってことなのか、それとも強迫神経症になっているのか、ともかくまもなく4歳になる愛娘を連れて初詣に出かけるわたしは意識低い系ということか。一応、これでも科学的、合理的に考えて生きているのだけど、世間は「安全」より心の「安心」なのよね。

さて、元旦から初詣に出かけたのは、まもなく4歳の愛娘が神社へ行きたいとうるさかったからで、わたしはコロナに関係なく元旦でなくていいと思っていた。コロナとはいえ、昨年の大渋滞を思い出せばちょっと出かける気になれない。

だから、一応行ってみて、混んでたら引き返すよという条件でうるさい愛娘と折衝し、出かけてみたらスカスカで、

「こりゃ、快適でいいよねっ!」

なんて言いながら、新年のご挨拶をする。

まあ、わたしが逆張りで生きてるところもあるし、世の中が強迫神経症になって出不精になっているときは、引きこもりのくせに平気で動く。ただ、それも科学的、合理的に考えてるからできるわけなんだけど。

結果的にわたしみたいな意識低い系が初詣では得をして、多くの人が控えてくれたおかげで快適を過ごせる。

こういうご時世だからこそ、行動したほうが得という論理があって、コロナを言い訳にしたり、ウイルスを正しく理解しないで非科学的に怯えたりしてその結果、何もしてないっていうのが一番悪い。

家に篭るなら、今でしかできない勉強をしたり、何か将来に繋がることに時間を使わないとね。テレビ見て、馬鹿正直に煽られて、いい加減な情報を真に受けて、

「お前、やってることってテレビ見てるだけじゃん!」

というのは最悪。

どうにもならないウイルスのことなんかを憂えて、床屋談義する暇があったら先を見据えて今がチャンスと思って大事なことをやらなきゃ。

平時においても行動しない人のほうがはるかに多いわけで、行動しないと得るものは得られんよ。

さて、わたしもまだ若いながら残りの人生の時間を意識し始めたのは、愛娘が生まれたことが大きい。だから、以前に増して無駄なことに時間を費やしたくないと思うようになり、時間の密度が高まっている。

年を重ねるたびに瞬発力が上がるという肉体とは異なる精神。

そのせいもあり、コロナに関してもそこは気にしなくてもいいところだよねってことにはスルーするからストレスがないわけよ。

無駄の最たるものは「取越し苦労」だから。

それよりまだやってないことを気にかけていて、それをやらずに死ねないよね。まだ達成してできてない大きなことが三つほどある。それをやんなきゃ。

でも、仮にそれができたとしたら、また新たなやりたいことが出てくるに決まってる。だって、ひとつをやり遂げたら、やり遂げた人間に生まれ変わって、やり遂げる前とは違う自分になっているわけだから、能力値も戦闘力も上回ると違う世界が見えてくる。

そうやってやりたいことは尽きない。クソつまんないテレビなんて見てる時間はないよ。

でも、コロナみたいに以前よりもひとが行動的にならないときはチャンスだよね。人と差をつけやすいから。

コロナを無駄に怯えてテレビ見て引きこもったり、今の仕事がコロナで大打撃て現状維持すら難しくて奮闘しているひとが多いと、今、行動できるとチャンスなんだよ。

なので、わたしはコロナ禍をあまり悲観してない。ウイルスだから罹ったときはしょーがないから治るまで大人しくしてる。

ワクチンだって喘息など基礎疾患があるから、これまた人より早く打っちゃう。

副作用がどうとか、不安ビジネスのマスメディアは煽ってるみたいだけど、わたしが調べた感じではワクチンはよくできていて問題ない。自分なりに確信したことだから、ワクチンが打てるようになったら「趣味・病院」のスピード感で喜んで打ちに行くつもり。喘息持ちなんで人より早くてお願い〜って。

そしたら、防御力がさらにアップして、バリバリ行動できるよね。

まあね、コロナの怯えなくていいところまで怯えたり、謎対策を懸命にしちゃってる人って、ワクチンができても今度は副作用が怖いとか言い出してワクチンを打たないだろう。

物事は自分が見たいようにしか見えないもので。

あるひとには悲劇でも、あるひとには喜劇であり、その逆もある。

ところで映画でも演劇でも悲劇より喜劇を作るほうがはるかに難しい。

同じく、ひとつの現象を悲劇に捉えるほうが簡単。悲劇は馬鹿にでも作れる。悲劇は恋人が突然死ねば成り立つし、可愛がってるペットが死ぬだけでいい。誰にでもできるんだよ。

でも、ひとを笑わせる喜劇はそうはいかない。楽しいことを生み出すのは大変難しくて、とてつもない才能がいる。

だから、コロナが流行ろうとも、それを喜劇にして生きるほうが難しい。

わたしはコロナ禍を喜劇で生きたいんだよね。効果もないのにマウスガードしたり、消毒液の噴射機が市役所や学校に置かれて、空気清浄できてる気になったり、通気性のいいマスクしてそれで安心してる馬鹿とか、喜劇なんだよ。

こんなに人間がアホだっていうことかコロナでたくさん見られて、おもしろいったらない。そしたら、もう笑えちゃってさ。

まあ、今年の秋くらいにはコロナネタも下火だろうけど、この喜劇を目の当たりにしながら、今のうちにやりたいことを実現する準備はしとけ。

と、そんなわたしは正月に作ったお雑煮にせっかく買っていた焼豆腐を入れるのを食べてから気づいたことに、

「チクショー!!」

と、悲劇のシャウトをしたのだけれど、これって喜劇だよね。

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