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コロナでもコンサートやっちゃうよ

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結月でございます。

なんだかコロナ騒ぎでイベントやコンサートが中止になったり延期になったりしているらしい。

そんな中、椎名林檎ちゃんはライヴをやったらしくて、

「うん、林檎ちゃんはそうでなきゃ!」

と、安堵。

林檎ちゃんがコロナなんかの世相に迎合するんじゃ、もう歌詞なんて書けなくなるよ。

なんて思いながら、林檎ちゃんのキャラもありつつ、現実的な金銭の問題もあったと思う。ライヴを中止にすると、とてつもない金がぶっ飛ぶから。

イベントやコンサートに参加しようとチケットを買った人はそういった恐怖はわからないと思う。チケットは返金されるし、

「残念だったね」

なんて言っとけば済む。

ところが主催者っていうのはそうはいかない。コンサートができないと自分のクビが飛ぶ。会社員としてクビになるという意味でなく、自分の生活が破綻したり、経営する会社が潰れたりと本気と書いてガチと読む死活問題になる。

多くの人はチケットを買うだけの人たちだから、イベントやコンサートの中止を仕方ないと認めると思う。そんなお気楽な意見が世論ってものを作っていく。

イベントやコンサートをやるにはとてつもない労力、とてつもない金が必要で、それは失敗したらそのまま損失になるリスクを抱え、ウンザリするほど困難なもの。

企画の立ち上げからその準備、チケット販売、広告戦略などなどそれは大きなダムを建設するように土地を地上げして更地にし、川を堰き止め少しずつコンクリートを積み重ねていくような気が遠くなるほどのものがある。

それが中止に追い込まれるというのは、主催者は死にたくなるよ。

コロナごときの感染で好き勝手言うなって言いたくなるね。

もしわたしがこの時期にコンサートを主催していたら、強行するよ。カンケーねえもん、コロナなんて。

だって、わたしのコンサートはコンサートホールで築き上げる芸術だから。芸術はコロナに感染しようがそんなものはどーでもいい。芸術が第一。それによって感染者が出ようとも関係ない。もっと言えば、感染して人が死んでもどーでもいい。

なんて芸術至上主義だからね、わたしは。

それにコロナなんて言い出したらさ、何もできなくなるから。コロナがなくても人間なんていつ死ぬかわからない。コロナがなくてもインフルエンザには罹ることもあるし、コンサート会場へ向かう途中で車に轢かれて死ぬかもしれない。

人間はそんな不条理の中を実は生きていて、それなのにコロナだけピックアップして怯えるっておかしいんだよ。

でも、コンサートを主催するような事務所も芸術家じゃない。音楽が好きなことで興業を仕事にしている人たちばかり。なので、そういうタイプの人はコンサートを中止にするだろうな。

そんな状況なので、演奏者もギャラが得られない事態に。まあ、それは仕方ないね。演奏者はギャラがもらえないだけで済むからいいよ。主催者はもっと莫大なリスクを負ってるんだから。

ところでクラシック音楽の場合、演奏者って芸術家とも言えないところがある。

それはクラシックは誰かが作曲したものを演奏する再現芸術だからで、つまり演奏者は書かれた楽譜を再現する職人的なところがあるから。

それでいながら自分でしか出せない音が求められる点においては芸術。でも椎名林檎ちゃんのように自分で歌詞書いてってわけじゃないから、クラシック奏者は芸術的ではない。

とは言え、例えばユジャ・ワンとか五嶋みどりになってくると、作曲家を演奏者が超えてくるほどのオリジナリティになってきて、そのコンサートはブラームスを聴きに行くのではなく、ユジャ・ワンを聴きにいく!みたいなフィーリングになる。

とまあ、そんなのは世界的にも少ないわけで、普通は演奏者は芸術的職人という感じがする。着物の友禅職人も同じ感じかな。友禅職人は絵がものすごくうまいけど、芸術とは言えない。芸術的な絵なんか着物にしたら着にくくて仕方がない。あくまできれいな絵を描くわけだけど、でも人間的な凄みがあったりして、その人間らしさがあるところがインクジェットプリントとは異なる。

なので、クラシック演奏者と話すと、芸術家と話しているというよりは友禅の職人と話しているような印象を受ける。

楽譜があるように、図案があるように、そこを原点にして自分がどうしたいかがあるみたいな。

芸術家となると、原点からオール自分。他人が入る隙がない。

とまあ、そんなだからコンサートが中止になっても演奏者は「今月ギャラないっす」みたいな感じなのかな。

もし演奏者が芸術家だったら、コロナなんてどーでもよくて、コンサートをやっちゃうと思う。

しかし、コンサートの場合は演奏者は仕事を依頼を受ける立場だから自分ではやれない。だから中止と言われれば中止になる。

なんでこんな話をしているかというと、演奏者にわたしはもっとクレイジーな芸術家になって欲しいって思ってるから。

なんかさ、社会がいくらこうでもそこに反骨してやっちゃいたいじゃん。わたしはそう思うわけ。

たとえコロナに感染する人がいて、結果死んじまっても芸術やりたいじゃん。芸術のほうが上じゃん。芸術を体感して死ねたんならいいじゃん、それで。

というようなエネルギーを演奏者に感じたいわけ。

みんな、お利口さんになってサラリーマンみたいだからなぁ。まあ、オーケストラとかコンサート会場がないとできないから仕方がないけど、なんかね、わたしは演奏者に反骨精神をそこまで感じないわけよ。

それどころか、今コロナがあるからお客さんの安全が第一だよ、みたいな感じだよね。

お前らさ、芸術家だったら「コロナなんかどーでもいいよ!」ってコンサートを強行しろよ。そう主催者に働きかけろよ。弾きたくて弾きたくてしょーがない欲望を爆発させろよ。

って、少なくともわたしはそう思っていて、だからわたしだったら林檎ちゃんみたいにコンサートをやっちゃうね。

芸術がコロナみたいな風邪にビビってどーすんだ。

でもまあね、林檎ちゃんはよくても、クラシック音楽は観客の高齢化がすごいから、死亡率高いかも。

でもいいんじゃない。「死んでもいい!」って思っちゃう演奏を聴かせれば死んだって後悔ないさ。

と、わたしはマスクしている奴が大嫌い。

マスクはウイルス予防にならないと専門機関がこれだけ言ってるのに売り切れになるほどマスクする馬鹿がいる。マスクするって何を信じてるんだろうね?

そもそもお前さ、コロナを気にしてマスクするほどすげー生き方してんのかよ。コロナで死んで困るほどのすげー生き方してんのかよ。コロナを怯えなきゃいけないほど貴重な人間なのかよ。

と、ああ、芸術って残酷。もっと言えば、美って残酷。

なぜなら、美の実現のためには人のことなんて心配しないから。

って、コロナばかり話題になって、インフルエンザのほうはあまり話題にならない。インフルエンザのほうが感染者は多いはずなんだけど。そして毎年インフルエンザで日本では1000万人が感染し、1万人ほど死んでいるはずなんだけど。(by厚生労働省)

でもさ、インフルエンザの予防とコロナの予防と基本変わらない気がするよ。それなのに恐怖感だけがコロナが逸脱しているという不思議。

コロナが駄目なら、毎年のインフルエンザでどうしてイベントやコンサートが中止にならなかったのだろう?

怖いウイルスっていうのはね、実は人間の心の中にあるんだよ。みんなの心の中にあるウイルスが他人の心に感染し社会がウイルスだらけになっているんだよ。

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