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公演が終わり、穏やかな人に。

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結月でございます。

マロオケ・レクイエム公演が終わりちょうど一週間。公演が終わってから何をしていたかというと、まずは公演翌日は恒例となっている奥日光のホテルに直行して一泊。公演をやると必ずここの温泉に入って体を癒す。

とはいえ、ピリピリした精神のほうはそんなすぐに癒されることはなく、安堵はしているものの公演モードは抜けきれない。そして演奏の感動がそこに混ざって旋律が頭をグルグルとエンドレスに回り続ける。

緊張状態は継続中で毎度眠れないから今回は医者にもらった睡眠導入剤を持参。おかげで眠ることはできた。

とはいえ、今回は4歳児も一緒というだけあって、ゆっくりとした気がせず、奥日光の空気の中を佇んだという実感がない。

その翌日は京都から公演を見に来ていた母と4歳児とで佐野プレミアムアウトレットに行って買い物をし、行きつけのかっぱ寿司で安物の寿司を食べ、そのまま足利フラワーパークへ。

フラワーパークは今、大掛かりなイルミネーションをやっていて平日だというのに駐車場が溢れるほどの人気ぶり。しかし、そのイルミネーションは大変美しく、幻想的で、4歳児は「きれい!きれい!」とジャンプしながらはしゃいでいた。

いつまでかは知らないけれど、夜の足利フラワーパークはとてもおすすめ。

さらにその次の日は、4歳児と同じ名前のパンダ「シャンシャン」を見に上野まで車を飛ばす。

平日とは言えシャンシャンの人気は衰えず、かろうじて整理券をゲット。上野では精養軒の名物オムライスを食べて動物園へ。

パンダのシャンシャンは腹を出して寝ているという一瞥して笑っちゃう猫のような熊ぶり。コロナで中国へ連れて行かれるのが延期になっているらしいが、いつになるだろう? 

というわけで、母が土曜に帰り、そのあとは4歳児を連れて宇都宮のいつものショッピングモールに遊びに行き、さらに日曜は東京でレッスンだったから、やっと今日になって「平常通り」となった。

しかしながら、「趣味・病院」のレパートリーの中のひとつの病院がインフルエンザワクチンを少量ながら集荷したという情報を見つけ、しかもそれは明日にはなくなることを知り、保育園に早退の電話をし、2時間お迎えを前倒しして4歳児と一緒にワクチンを接種してきた。

11月はずっとどこもワクチンがないという状態だったので、このチャンスは逃すまいと当日ダッシュで予約したのである。

12月になれば例年通りの供給になるらしいが、その数週間の遅れでインフルエンザに罹ってしまう不運もあるわけであるから、ワクチン接種は早いほうがいい。

過去10年を遡っても、わたしはインフルエンザに3度罹っている。あれはかなりキツい。勘弁してほしい。10分の3の確率は高い。33.3%の感染率である。ちなみに感染したときは3度ともワクチンを接種していなかった。

ところで4歳児のワクチンは500円。そしてわたしのワクチンも500円であった。子供はその値段だとして、大人は2500円くらいは昨年取られた気がする。しかし、病院で渡された問診票には500円とスタンプが押されている。

なので受付で、

「これ、安くない?」

と、訊いてみた。すると、助成金で今年は安いと言う。

そんなこともあるのかと思いながら、二人分で1000円だけ払う。

しかし、あとでネットで調べてみても同じ市内の病院では3500円というものある。自己負担が1500円というのもある。どうもこの差がわからない。ともかく、500円という激安ぶりはお得感はあれど、腑に落ちない気持ちのままである。

とはいえ、品薄のインフルエンザワクチンを接種できてよかった。4歳児は2回接種であるから1ヶ月後にもう一度。

ところで新型コロナワクチンの5歳以上からの接種はどうなったのだろう? 今月に議論が始まったという話を聞いたが、早く接種を進めてほしい。承認はされると予測するもスピードが大事。内閣が変わってワクチン担当大臣も変わったから、ワクチン情報がちょっと疎かになっている。河野さんに引き続きやってほしかった。今の大臣は仕事をしているのだろうか?

承認されれば、年明けに5歳の誕生日を迎えるうちの愛娘にはダッシュでコロナワクチンを接種させる。新種が出たなどコロナに関してはワクチンしか防御手段はないのだから。

とまあ、そんなこんなで公演が終わっても落ち着くことはなく、やっと明日から公演の事後処理に取り掛かれそう。

そうなのである。公演は終わってもまだ片付けなければならない仕事があるのである。

結美堂の大きなテーブルには公演に関する書類や領収書などが山積みになって散乱している。公演準備中は整理することなくテーブルに積み重ねていた。それは中途半端に整理すると、かえってどれがどこにあるのかわからなくなるからで、この山積みにしか書類はないという状態にしたのである。見た目は悪いが、間違いがない。

とはいえ、公演が終わって一週間が経ち、精神的な緊張はほぼなくなった。母も京都へ帰り、愛娘も保育園に復帰。今朝、一週間ぶりに保育園に行くと、園児たちがちょっかい出してきたりしたが、ほのぼのとした気持ちでなんとも思わない。公演前は極度にピリピリしていたから、

「わかった、わかった、あっちいけ」

と、口にはしないがそんな気持ちでいたし、保育園の先生たちとすれ違って挨拶するときも表情は不機嫌そうなのが自分でもわかったし、終始、眉間にシワを寄せていたように思う。

それが今日からすっかり穏やかになって、平穏そのものである。

公演は2016年のサントリーホールに引き続いての歴史的名演奏になって大満足以上のものを得られた。しかもコロナ禍の中で2016年のときとは異なった感動があり、両者質が異なるそれぞれの最高点が得られたと思う。

同じようなものが二つだとつまらないが、明らかに質の違うもので最高点、つまりブルゴーニュで最高点、ボルドーで最高点といった具合で、2016年に匹敵するか超えるかしないとコンサートはやれないという思いも達成できた。

と、そんな歴史的名演奏のおかげで、事後が大変心地いいのである。

すなわち、今の平穏の中には11月22日の感動が溶け込んでいて、今のわたしは11月22日以前の人間とは違う人間になっている。これはきっと聴きにきてくれたすべての方に言えることだろう。

さて、およそ7ヶ月の間、わたしはずっとコンサートのためにピリピリしていて、コロナのこともあり不機嫌でイラついていて、極度の緊張の中にいた。

しかし、当然ながらそういう緊張は長く続けるべきものでない。なぜなら、その状態が長いとわたしの周囲にいる人が迷惑を被るわけで、ちょっと話しかけてもヤンキーさながらに、

「ハァ?」

と、わたしから睨みつけられたりと、扱いにくい人間がいるとよろしくない。

とにかく公演前のわたしは柄が悪かった。もともと柄が悪いのに輪をかけて柄が悪く、コンサート以外のことには、

「知らんわ、ボケ」

と、そんな感じだったのである。

というわけで、コンサートなんて頻繁にやるものじゃないと思うわけで、わたしはしばらくニートでもやろうと思う。

ちょうど2021年もあと1ヶ月。慌てることもあるまい。ちょっとこれからやろうかなと考えている新しいことはあれど、ゆるりと考える程度で良さそう。

今年は公演の事後処理業務をやれば、あと2回のレッスンをやって、恒例の忘年会をやってオーラス。

コロナの中でのコンサート企画で、2度は味わえない特殊な2021年だった。

残る1ヶ月は穏やかな人であろうと思う。

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