結月でございます。
マスクが入手できないほどマスクが売れたわけだけどさ、世界保健機関(WHO)がマスクは効果がないって言ってるのにマスクする人って何なんだろうね。
なんてわたしは思うわけ。
だって、世界でWHO以上の医療的組織ってあるの? そんな組織が言ってるのにマスクするって何を信じてマスクしているんだろう?
それにマスクなんて1日使えばかなり不潔になって、
「おいおい、そっちの方がウイルスドロドロじゃん!」
マスクが売ってない状況でマスクしている人って、毎日マスクできるほど大量に購入した人ってこと? もしくはわざわざアルコール殺菌をしてるってこと?
でも、それでもウイルスは極小だからマスクをすり抜けるんだけどね。
うちの家人にもこの間、言ったんだよ。
「お前、そのマスク、何日使ってんの?」
そんな汚濁なマスク触って手で3歳児触るほうがヤバいよ。しかも貧乏性だから汚ねえマスクも捨てないしさ。
だからわたしとしてはマスクの中で雑菌を培養させてる奴のほうが避けたい。あとは情弱だからさ。おまけにWHOを無視する根性って考え方が科学的でないって証拠だから、そういう人はちょっとパスしたいよ。
ホント、うちの家人なんてわたしがいくら科学的な説明をしてもまるで無視して、ってか理解しないでマスクを信仰しちゃってる。
そう。マスクはすでに信仰の領域。
あんなもの、神社のお守りだよ。
お守り買ったらいいことあるとか、お守りあったら安心できるとか、そんなレベルのメンタリティー。
あとはさ、マスクってわたしが一番嫌なのは、人を遠ざけたいっていうか、自分だけは感染したくないとか、人をウイルス扱いして疑ったりとか、なんかさ、人間的に嫌なんだよ。
マスクによって本当にウイルスを防げるのならマスクしていいけど、そうじゃないとはっきりしている中でマスクするっていうのはさ、わたしは人として嫌なわけ。
そしてその疑いの心の結果、経済が停滞するって愚かだと思う。
だって、怖いのはウイルスよりも経済停滞だから。
多くの人はウイルスに感染して死ぬのが嫌だとか思ってるかもしれないけど、経済が落ち込むと人は死ぬからね。
死亡率で言ったらウイルスよりも経済の落ち込みのほうが殺傷能力は高いから。
あと馬鹿なことがあってさ、うちの娘の保育園は現在工事中のため、お迎えはクルマまで先生が子供を連れてきてくれて、ドライブスルーのようにクルマに乗せてくれる。駐車場がないからね。
でも、それがさ、敷地内の狭い道で、そこで待機している子供たちがじゃれ合ったりしながらそばにいるわけ。
で、先生は一人の子供をお迎えのクルマの座席に乗せている間は他の子供はノーマーク。だから、うちの子なんか、そのクルマの側にいて、あれ、クルマが発進したら轢かれるよ。
だから流石に言ったね。あのやり方は危ないって。園長先生に言っておいてって。
とりあえず、うちの子はあそこでなく、わたしが面倒でも下駄箱まで迎えに行くって言ったよ。
つまりさ、死亡確率で言うとウイルスよりもはるかに高いものはそこいらじゅうにあるってこと。危機管理がずさんな現場のほうが死ぬよ、本当に。
だから恐るものが違うってこと。もちろんウイルスの集団感染は警戒しなければならないけど、交通事故には注意を払ってないって馬鹿だと思うんだよ。
みんなマスクにばかり気を取られて、もっと大事なことを忘れている。
もう一度言うと、マスクにウイルス防御効果が確実にあるならいいよ。でもないものに神経を使って、本当に危ないものに気を使わないってことが問題なわけ。
あとは社会が疑心暗鬼になってるのが嫌だね。
どこかに感染者がいるんじゃないかっていう疑心。
世界にウイルスが広がるのであれば、必要なのは疑心ではなく、撲滅への協力だよ。その心があっての警戒心があるなら人は意地汚くならない。
ところがそれがなく疑心暗鬼に警戒しているから、意地汚くて、いや〜な雰囲気になる。
そもそもウイルスだってこの世のものだからね。排除できるものじゃない。この地球は人間のものだけのものじゃないから。共存するものなんだよ。
それを人間が自己中になりすぎてる。
効果がないと言ってるのにマスクを買い漁ったり、マスクをしなきゃ不安っていうのは、愚かな自己中じゃないか。
目に見えないものを無駄に恐れすぎ。恐るなとは言わなけれど、正しい恐れ方をすべき。
正しく恐れていれば、正しくないものなんかには恐れないから。
根拠がないものを信じるって、悪質な宗教と同じだよ。