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ハッピーに難しさはいらない。

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結月でございます。

「ニジマス、超〜うめ〜よ〜」

と、近所のスーパーでニジマスを買って食べると、それだけでハッピー。

人間というのはハッピーになるのは簡単なのに、なんで多くのひとはハッピーになれんの?

多分さ、意地汚いんだろうなぁ。卑屈なんだろうなぁ。欲望強すぎなんだろうなぁ。

つまり、贅沢すぎる!?

素朴になればなるほど、ハッピーは身近になる。なぜなら、素朴さは継続するのが簡単だから。

素朴でないものでハッピーを味わっても、それを味わうのに金がかかりすぎるとまた明日もっていうのができないからね。

ニジマスなんてスーパーで1尾200円だからね。塩をかけて焼くだけ。簡単。安い。だから明日も食べようと思えば食べられる。

デカい家を買いたいとかバカだし。だって、それを買うのに日々我慢に堪えて貯金に励み、ローンで買えば毎月返済のことを考え、買ってからも維持費のことを考える。

買った直後1週間ほどはハッピーかもしれないけれど、それは持続するものでもない。

一人で住むならまだしも、家族で住めば夢のマイホームも家庭内不和で雰囲気最悪。帰りたくない場所になってたりさ。

だから欲張らずに快感なものがハッピーの近道というわけ。

しかし、ニジマスの塩焼きは美味しい。明日は鮎にしてみよう。

栃木にいると、こうした魚を家で焼いても美味しく感じられる。栃木には清流があり、それらの魚が名産だけど、スーパーで売っているのは養殖だから、今日買ったニジマスは静岡産だった。

意外と栃木では栃木の鮮魚は流通していないのかもしれない。

ところがそんなニジマスだって東京の自宅で食べるよりも栃木で食べるほうがなぜか美味しく感じられる。

東京にいた頃もスーパーでニジマスを買って食べたりはしていたけれど、こちらで食べるほどの美味しさはなかった。

やはり空気なんだろうね。

栃木のほうがニジマスが合う空気があるんだ。

東京の一流の料亭で鮮度のいい魚を食べると美味しいけれど、どうも自然の空気がないせいか、人工的な演出のような気がして身にしみない。

グルメには興味がなくなって、食べるものはどうでもいいと思っているわりには、美味しいものを食べているという結果がある。

それってもしかして、金持ちになろうと思ったら金持ちになれないっていう理屈と同じ?

極意だよね。

追いかけずに得るっていう。

猫に気に入られるのと同じかもしれない。

猫は追いかけると猫に嫌われる。

しかし、そんな美味しいニジマスもガスコンロのグリルで焼いている。だから、炭火に比べるとちょっと湿っぽい。

卓上に置けるような小さな七輪を持っているから、あとは炭を買えば炭火でニジマスが焼けるのだが、そこまでは追い求めないことにしている。

そんなことに欲をかいて火事になっては困るし、猫が火傷するといけない。

そこまでのリスクを負ってまで家で炭火焼きにこだわることはなく、ガスコンロのグリルで十分と、足るを知る。

そんなニジマスを猫のマオミィと一緒に食べるのだから、ハッピー度はさらにアップ。

猫といえどもそのまま与えると骨が喉につかえて危ないから、身の部分、つまりいいところだけを指でつまんでやる。

卓上に座り、皿の前にいるマオミィはわたしからニジマスの身をもらって食べている。

七輪を使うと、猫と一緒に食べるというハッピーが得られない。

そういえば、昨晩は下野の道の駅で買ったお蕎麦を湯がいて、2歳の愛娘と食べた。この手打ちそばは620円で2.5人前ほどあって、実に美味しい。

さらにその蕎麦を打ったひとが幾人かいて、同じパッケージで、同じ値段なのだけれど、麺の太さや色も違っていて、食べてみるとやっぱりそれぞれ異なる。ハンドメイドだからそば粉の配分なども違うのだろう。

もちろん栃木の名店「いづるや」の蕎麦には敵わないけれど、家で湯がけて、ゆっくりと食べられるものとしてはかなりの美味しさ。

ちなみに「いづるや」も通販で蕎麦を買えるのは知っている。でも家で湯がいて、市販のめんつゆではあの特級の美味しさは出ないのはわかっているから最初から買わない。

あれはあの場所に行って、専門の人が湯がくから美味しいのであるから。

とまあ、そんな風に塩をかけて焼くだけであったり、湯がいてめんつゆにつけるだけであったりするシンプルなものがいいと思うようになった。

ついでに言うと、こちらの道の駅で売られている野菜がこれまた最高で、オクラも買っていたのである。

それは見事というほど立派なオクラが10本ほど入って160円。ツヤツヤの表面で、輸入物とはまるで艶が違う。

それを塩もみして、30秒ほどサッと湯がいて、鰹節と醤油をかけるだけ。これがまた極上に美味しい。

この境地になると、凝りに凝ったフランス料理など食べたいと思わない。それどころか見るのも嫌。

もしかして料理というのはできるだけ手間をかけずに美味しさを感じさせるのが最上なのではないかと思い始めた。

求めないから美味しいものにたどり着けて、求めないからハッピーな気持ちになれる。

情報過多、物質過多の東京では得られないもの。

モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス。

美しさはたったあれだけの音符で表現できるってことで。

 

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