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日光でコンサートやるよ、多分。

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結月でございます。

昨晩は2歳の愛娘と一緒にモーツァルトのピアノ協奏曲第20番、21番を聴いていた。

それぞれの第2楽章は大変美しく、というかモーツァルトはすべて美しいけれど、そんな透明感のある美しさを耳で捉えていると、

「やっぱ、日光でコンサートやるなら、モーツァルトだな」

と、再認識。

日光でコンサートやりたいなってずっと前から思っていたけれど、モーツァルトの透明感は日光を流れる大谷川の透明度によく合う。

ベートーヴェンとか人間臭すぎるものはダメだね。モーツァルトまで。

コンサートといっても日光は東京から離れている。地方での集客の難易度の高さは船橋で経験した。地方はどんな一流の演奏をお膳立てしても音楽とは関係のない原因で客が来にくい。

それが日光となると、普通にやったら客席はスッカラカン。もうこれは目に見えている。

それはわかっちゃいるけど、日光の自然と風景、そしてその空気にモーツァルトは絶対に合う。それを自分が体感したい。

開催を企画するなら、地元の力も必要で、さらに音楽というコンテンツだけじゃ無理。総合的なフェスティバル感があることが大事。

日光にあるホールは座席数が1000。首都圏からクラシックファンがここに来てくれるのはおそらく2割。多くても3割じゃないかな。残りの700席を栃木県民で埋めるとなるとこれは夢物語になる。

しかし、フェスティバル感のあるものにするなら、1000席を1回公演じゃつまらない気がする。2回公演にして、それぞれテイストの違ったものがあるといい。そうなってくるとベートーヴェンはダメだと言いつつ、透明感たっぷりのモーツァルトに対比させるとおもしろいかもしれない。

日光まで来て音楽だけ聴いて帰るというのはつまらないから、一泊はして日光を楽しめる内容を考えている。

栃木県民は内向的なところがあるので、日光でフェスティバルをやっても反応はないだろうし、だから県外からの集客で成功させる。県外の人のほうが日光を見て珍しく思うから。

音楽は軸足になりながらもそれとはまるで関係のないコンテンツを周囲に張り巡らせて、ついでにコンサートも観られるし、コンサートに来たかった人も音楽とは違う楽しみも味わえる。

とまあ、そんなことを「考え」ていて、というより「感じ」ていて、具体的なところはまだまだだから、考えているのではなく、抽象的に感じている。

この感じているフィーリングをどう具体化するかを考えるわけで、フィーリングは目に見えないエネルギー。原動力。

少なくとも5年後までにはやりたいなと思っている。

でも、まだまだわたしも情報不足だし、5年後までというのもフィーリング。

要するに金と集客。

イベントとはこの二つが克服すべき大きな問題で、それを克服するためにひたすら考え、ひたすら行動する。結局これしかない。

いい音楽が云々なんてのは実務的には関係ないんだよね。

いい音楽なんて最低条件すぎて、取るに足りないことなんだよ。現実の克服こそ大変だからさ。

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