結月でございます。
幸せとは何か?
それに関しては、アランやラッセルなんかの『幸福論』が有名だけれど、いやいやそれよりもずっと昔、古代ギリシアのソクラテスの弟子の弟子、アリストテレスも『ニコマコス倫理学』で幸福を扱ってるし、あとは誰? ああ、ショーペンハウアーね。
と、哲学史に名だたるすげえ人たちが幸せについて必死に考えて、それは何?ってことをやたら難しく本にしてる。
「お前ら、アホ?」
と、わたし。
わたしはそれらの本は読んだと自慢しつつ、彼らを否定する。なぜなら、もっと最短で、容易にわたしは幸せに達していて、それが何かを知っているから。
本日の結月の幸せ。
① 栃木のしもつけ道の駅で買った手打ちそば(620円)を買って家で湯がいて食べたら、すげえ美味しかったこと
② 栃木のしもつけ道の駅で買った枝豆を買って家で湯がいて食べたら、超絶うまかったこと
③ 猫がお腹の上で寝ていること
④ ディナーにケンタッキーフライドチキンを買ってみたら、悶絶うまかったこと
⑤ またしても猫がお腹の上で寝ていること
こんなに幸せは身近にあるというのに、クソ難しい本を書いちゃってる奴ら、アホだろ?
と、時代的にアリストテレスはケンタッキーを食べたことないし、ショーペンハウアーはあのモテないルックスからしても猫は飼ったことないに違いない。だから、幸せ知らなかったんだろうな、あの人たち。お気の毒。
身近な幸せを知らん奴に限って、幸福を求め、幸せを難しく考え、その結果不幸な気分になって病んでるという原理。
猫、最高!
猫が好きだといつでも幸せな気分でいられる。猫に愛着が持てないスピリッツは自分を不幸に思いがちなんじゃないか。
なんて暴論を吐いてみる。
いやいや、まんざらでもないけどね。
さて、そんなハッピーなわたしはアリストテレスが食べたことがないケンタッキーフライドチキンを食べつつ、スターウォーズの『スカイウォーカーの夜明け』をDVDで観ていた。
映画専門家であるわたしはこの映画に関していろいろ思うことがあるけれど、それはいずれYouTubeのチャンネルで話そうと思っている。
例えば、ディズニーのスターウォーズのあのシーンのあの音楽は、
「あれ、マーラーのパクリだよね」
とかさ。
さらに、あのラスト近くのあの演出は、
「マトリックスのパクリだよね」
とか。
とは言っても、ジョージ・ルーカスのスターウォーズは、黒澤(明)さんのパクリだけど。
っていうか、ルーカスはちゃんと黒澤さんに直接「パクリました」って正直に言ってるのがすごいけどね。
そして、黒澤さんもそれを認めてる。
ところで、そんなスターウォーズを観たら、どういうわけか、どんな脈略もなく、シェーンベルクのピアノ曲が聴きたくなってしまい、ポリーニが演奏するCDをセット。
栃木に来たから一度も聴いていないから、CD見つからないかなと思ったら、すぐ近くにあった。
「シェーンベルク、最高だよ〜 麻薬だよ〜これは」
と、結月はシェーンベルクが大好きです。
でも、シェーンベルクの無調な十二音技法が気持ち悪かったのか、うちの猫たちはわたしから離れてしまった。
「ごめん!キモいよねっ!」
と、ねこのきもちに理解を示す。
でもさ、シェーンベルクって、文学ではアンドレ・ブルトンって感じだよね。
まあ、文学より音楽のほうが先行してるね。
それは音楽が感性的に直接的にできるからだろうね。文学は文字化するプロセスがあるからちょっと遅れる。
音楽や絵画はダイレクトに感性で動きやすい。
でもさー シェーンベルク、すごくいいと思うけどね。
なんて言っても、もう100年も昔の音楽だよ。
ところでさ、モーツァルトのアイネクの冒頭。あんなに有名すぎるほどなのに、いつ聴いても、
「新しいなー!」
って思うすごさって何?
あれ、200年も前の18世紀だよ。
ずば抜けて新鮮な音だから?
よくはわからないけど、古くならない旋律だよね。
なんてことを考えていたら、やっぱり不幸な気分にならない。
いやいや、人類にはこんなにハッピーなことがあるというのに、コロナなんかで鬱っぽいとかアホだよね。そういうのは罹ってから心配しろ!
と思いつつ、猫がいればいつでも幸せ。