結月でございます。
「マオミィに!マオミィにサーモンの寿司ネタを食べられちゃった!」
スーパーで買ったお寿司を食べていると、食卓にずっと座っていたマオミィがパクッと華麗にサーモンをくわえて食べてしまったのです。
銀シャリだけになった寿司ほど無残な姿はない。
「お前、中国人観光客かよ!」
マオミィというのはうちの猫ですが、実はカツオのお刺身も買っていて、それをお皿に盛ると3匹の猫たちが群がってきて、ほとんど食べられてしまった。猫はカツオ好きだよね。
しかし、うちの2歳の愛娘もお寿司を見ると、ネタだけめくって食べてしまう。さらにお刺身も大好きで、生意気にも箸でそれを掴むとちゃんと醤油をつけて食べているのである。
その食べ方がなかなか様になっていて、自分の皿の醤油が少なくなると、
「しょーゆ、ちょーだい!」
と、皿を差し出すのである。
2歳で寿司や刺身を食べるなんて贅沢な話で、わたしなんか2歳の頃にそんなもの食べたことなかったと思うよ。今は昔に比べて養殖もできるし、物流のおかげもあってお寿司やお刺身のハードルは低くなったよね。2歳児どころか、猫までお刺身食べてるわけだし。
昨晩は、小松菜と玉ねぎ、そして玉子を具材にしたスープを作った。うちの2歳児はスープが大好きで、いつも大きなどんぶり鉢を両手で抱えて飲む。その豪快さはまるで水滸伝のようであり、中国人の血が半分入っているからだろうか。
スープを飲むたびにわたしの顔を見て、
「おいしいね!」
と言ってくれるのは料理人としてはうれしい。
実はそのスープ、水餃子を湯がいた後のお湯に冷蔵庫にあったのが小松菜と玉ねぎだったからそれをぶち込んで、それだけだと寂しいから溶き卵をふんわりと中華風にしたもの。
その特製スープに名前なんかない。わたしは料理はアドリブでしか作らないから。
「ジャズに名曲なし。名演奏があるのみ」
ということで、料理もそういうことだと思う。
料理がアドリブであるべきなのは、家庭料理であり、レストラン経営などの話ではない。
人間はその日の体調などで何を食べたいかが変わり、それは栄養素の不足から感じるものかもしれず、そんな日々変化するものに適応するにはアドリブの才能がないといけない。今、この現在欲するものを作れる力。
さて、「おいしい」と言ってもらえるのはうれしいことで、
「愛情のない料理は餌である」
と、テレビで活躍する土井善晴さんのパパである土井勝先生は言ったらしい。
それはやっぱりそうで、人に食べさせるものに愛情がないなんてものはね、人として最低だと思うわけ。
プロの料理人は職人であるべきで、家庭料理は愛情だよね。
さて、わたしは愛娘が2歳であろうと、おいしいものは食べさせておこうと思っている。小学生中学年か高学年になれば、銀座の一流フランス料理店に連れて行く。それだけでなくパリの一流レストランにも連れて行くつもり。
それは小さいうちから上質で最高級なものに接しておかせるため。そこでもマナーや立ち居振る舞いなどを叩き込む。
子供の頃にそういう経験を身につけておけば、大人になってからどんな場所に行ってもビビらない人間になる。
子供の頃に食が下品で貧しいと、大人になって高級料理を見ただけで興奮してスマホでバシャバシャ写真を撮ったり、それをインスタにアップするような貧乏臭い上に精神が卑しい人間になってしまうから。
それに自分の金が融通できない年頃にいいものを食べていないと、大人になってから食い意地が張ってしまい、食べログをあてにして美食ばかり求め、食うことばかり考える人間になるからね。
どんなものを食べてきたかで、その人の性格も影響してくる。
あと、女の場合は、料理やご馳走の知識や興味を見るだけで、どんな男と付き合ってきたかもわかるよ。もっと言えば、男と交際歴ないなとかね。
男にどんなところに食べに連れて行ってもらっているか。女は誘われる側だから、付き合う男の程度で女も変わってくる。まあ、遊びすぎっていうのも困るけれどね。
洗練された料理は都会に集まるので、田舎住まいだとそういうものに接する機会がない。逆に都会人は田舎に旅行へ来て、鮎の炭火焼を食べただけで感動しちゃう馬鹿なところはあるよ。
ともかく、おいしいことの感動できるハートも大事だけど、ガツガツするのは良くないね。
でも、一番良くないのは、小さい頃から食が貧しいことだと思うよ。だって、それって愛情を知らずに大きくなるから。
世の中には通り魔とか、そういう犯罪をする人間がいたり、そこまでしなくてもグレて愚連隊やっているような人がいたりする。思うにそんな人間になってしまう原因のひとつとして、子供の頃から親にいいものを食べさせてもらっていなかったってことがあると思うんだよね。
親が極端に料理が下手だったとか、インスタントなものばかりで済まされていたとかね。
そう考えても、食においてリッチなものって大事だと思う。無駄に値段が高いものを貪るということでなく、テイストとしてリッチで、上質な料理っていう意味で。
つまり、それって文化だよね。
食文化って結構、人間の根っこになっていると思うよ。