結月でございます。
スーパーへ行くと、大きな箱で鮭が売られていて、そういう季節かなと思う。そういえば、わたしが鯉を釣りに行く五行川では先日、鮭が昇ってきていた。
五行川は小さな川だけれど、鮭を放流してるようでちゃんと川に帰ってくる。でも、鮭が遡上するところなんて初めて見たよ。
そんな鮭を年末サイズでスーパーで見てしまって、あまりにも禁断な「しもつかれ」が食べたくなってしまい、買ってしまった。
というのは、「しもつかれ」には鮭の頭が鬼おろしですられたものが入っているから。
しかし、この「しもつかれ」、栃木県民でさえ食わないという地元でも見て見ぬ振りをされている郷土料理。
わたしはこちらに来て何度か食べてみたけれど、その見て見ぬ振りはちょっと理解できた。
まずは味がビミョーすぎる。
美味しいと言うにはそこまででもないし、不味いと言うにもちょっと違う。
しかし、栃木県民の話ではこれが給食に出てくるとゲンナリしてしまうようで、となるとどちらかと言うと不味い認定されたものなのかもしれない。
あとはテイストが今の時代に合わない。
栃木は日本の原風景の土地だとわたしは認識しているけれど、まさしく「しもつかれ」は日本の古典的な食べ物、これぞ和食と言えるほど「ニッポン」なのである。
和食と言えば、上は懐石、下は肉じゃがといったイメージ。いやいや、ああいったものは原始的なものを感じない。日本の原始を感じるのは「しもつかれ」であり、あれこそが日本の味なのである。
とは言え、今のように西洋化されて、さらに料理も洗練されて美味しいものばかりになった時代では、「しもつかれ」のように原始的なものは口に合わなくなってくる。
おそらく「しもつかれ」が生まれたのは、日本という痩せた土地で、食材も少なく、手に入るものも多くない事情の中での懸命のご馳走だったのではないか。
さて、そんな原始のテイストである「しもつかれ」をわざわざ買ってしまったのは、わたしが食に関しては贅を尽くして、もうシンプルでいいやという境地にいるからだと思う。
例えば漬物なんて絶対に口にしなかったのに、今は日光のたまり漬けを好んで食べている。
オクラを買っては、さっと湯がいて輪切りにし、醤油と鰹節をかけて、
「ああ、うまい」
なんて言っている。
というわけで、鮭を見たから「しもつかれ」が食べたくなり買ってしまったわけ。
そんな栃木県民でさえ食わないという「しもつかれ」はこちら。
これで360円くらいだったから、割高と言えば割高かもしれない。
しかし、栃木県民でさえ見て見ぬ振りの「しもつかれ」を買い物カゴに入れていたわたしはレジのおばさんからどう思われていたのだろうか? きっとちょっとおかしな奴だと思われている。
そんな「しもつかれ」にうちの猫ラッキーが早速、興味を示した。
「なんだニャ?」(あまりにも禁断なネコ語)
そして開封するとこんな感じ。
う〜ん、やっぱルックス的にも食べたいと思われない。
実は開封した途端に猫のラッキーがペロペロと舐めながら食べ始めた。そのあと、マオミィという猫も舐め始めた。やはり鮭が入っているからだろうか。
しかし、最初は美味しそうに舐めてはいても、すぐにどこかへ行ってしまった。猫にとってもビミョーな味だったのかもしれない。
ところで「しもつかれ」は作る家庭によって使う材料も味付けもかなり違っているらしい。今回の「しもつかれ」はなかなか濃厚なテイストで、鮭の風味がしっかりとしていた。
とはいえ、「ビミョー」という印象は変わらない。不味くはないけど、箸が進むものでもない。
そうは言っても半分くらい食べてしまった。と同時に、別に買わなくてもよかったかなと後悔まではいかない反面、大きな感動もなし。
まあ、ネイティヴが食べないというんだからね。
いやいや、アタシは都道府県魅力度ランキングで栃木県をまずは30位にするミッションを背負っているのだ。
なんて思いつつ、
「よそ者のアタシが食ってんだから、栃木県民も食えよ!」
と胸の中でシャウトしつつ、やっぱテイスト的には時代に合わないって気がする。
食のシンプル化が進んでいるわたしだから食べるけど、そうでなければ好んで食べないのはわかる。
でも、これを食べると日本の原点がわかる。ほんと、栃木は日本昔ばなしみたいな日本の原風景の土地だと思う。
日本の原点を知るなら「しもつかれ」を食べてみよう。
う〜ん、そうなると学者になっちゃうね。学者の好奇心だよ。