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将棋の女と麻雀の女

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結月でございます。

いつの頃からだろうか、テレビを見なくなったのは。もう数年、いやそれ以上は経つ。

自宅に大型テレビはあるというのに、すっかりコンセントは抜きっぱなしで、それはテレビを見ない上に、猫がコンセントをかじっては危ないからで、使わないテレビだから抜きっぱなしでまったく不便がない。

テレビを見ない代わりにスマホやタブレットでGYAO!で古いアニメを見たり、YouTubeを見たり、あとはネットテレビのAbemaTVを見たりしている。

AbemaTVでは将棋チャンネルがあり、弱いくせに見るのは好きな将棋はしばしば見ている。そして、ルールはまったくわからないのに麻雀のチャンネルも時折見る。

麻雀は大学生の頃に先輩がおもしろいからと言うので無理に教わったことがある。それは単に人数が足りなかっただけなのだけれど、ともかく教えてもらって麻雀はまるでおもしろいと思えず、それっきり。

中国へ行くようになって、向こうでは麻雀は病的なほどにやられていて、中国へ行くなら麻雀ができたほうがいいと実利的に思う。

それでも麻雀は体質に合わないから、中国で何度も誘われつつ、興味がないからやることはない。

その代わり、中国将棋である象棋(シャンチー)は好きで、中国でルールを教えてもらい、それから日本でパソコンでトレーニングして、中国へ行ったときは指す。

要するにわたしは麻雀的人間ではなく将棋の人間なのである。

さて。

さっきまでAbemaTVで女流将棋の対戦を見ていた。

将棋は女は弱くて、到底、男には勝てない。

これは差別で言っているのではなく、事実である。

日本の将棋連盟は男女平等で、男女関係なくプロ棋士になれるのだけれど、力の差でプロ棋士は男ばかりになっている。平等にチャンスは与えられてはいるものの、女流は勝てない事実がある。

だから「女流」という枠を設けているわけであって、この女同士の戦いがなかなかおもしろい。

それは戦略的に強い男の棋士からすると、

「一体、何を刺してんだ?」

と思うことでも、女同士はとにかく女同士でぶつかり合う。

要は女の将棋は戦略よりも感情が先に来る力勝負なのである。

その凄みという点では、男性棋士同士より女流の衝突は見応えがある。

これはおそらくテニスと同じで、パワーでは男子テニスがすごいけれど、女子テニスの執拗なラリーは見ていておもしろく、男子とはまるで異なる魅力がある。ただ、女子と男子は戦えば女子に勝ち目はない。将棋もそういう差なのである。

さて、今日AbemaTVで見た女流対決は新春のものの再放送で、両者とも京友禅の訪問着姿であった。

女流将棋は衣装の華やかさがあって、女の着物専門家のわたしとしてはこういう明るいものが好き。

真剣な表情で盤に向かう姿は凛としていて、何よりも頭がいい女性が好きなわたしとしては、たちまち女流棋士に着付けをしたくなる。

ところが麻雀の女流となると、一転変わって、訪問着どころかまるでヤンキーかヤンママという様相で、爪は過剰なメイルで尖っていて、髪の毛は夜会巻きではなく、金髪に染まった獣のようである。

しかし、女流雀士はその指先の動きは実に官能的であり、だからこそルールも知らないのに見とれてしまう。

どうやら将棋を指す女と麻雀をする女は根本的に種族が異なるようである。

どちらが好きかと言えば、両方いい。それぞれの特徴に優劣がつけがたい。

ただし、わたしとしては、結婚したり、仕事のパートナーとして選ぶのであれば、女流雀士を選びたい。

それは雀士のほうが根性がありそうで、何よりも空気を察するのが卓越しているから。

一方、棋士のほうは、一対一の勝負のせいか考えが直線的で、理詰めで次の一手を生み出すのは秀でていても、空気を読みながらの勝負の経験はない。

事実、生活していれば、もしくはビジネスをしていれば、現象が複合的であり、一対一の判断の場面は少ない。むしろ麻雀的な場面のほうが多い。

将棋が毅然とした訪問着であるのに対し、麻雀がヤンキーのようであるのはおそらくは麻雀がヤンキー社会であるからで、ジャージでさえも似合いそうである。

仕事を共にして頼もしいのは訪問着よりもジャージの女であり、わたし自身が将棋的であるから、パートナーとしては雀士の女がほしい。

いろんな夫婦、もしくはカップルを見ていると、わずか4通りに分けられる。

①男性棋士と女流棋士

②男性棋士と女流雀士

③男性雀士と女流棋士

④男性雀士と女流雀士

これらの組み合わせで夫婦として強いのは、

男性棋士と女流雀士だと思う。

よろしくないのは、男性雀士と女流雀士。これでは両者が不倫をしてまとまらない。

女流棋士と男性雀士ではバランスが悪く、おそらく男は女の意向を無視するだろう。

そして思うに、女流雀士はエロい。あのヤンママ風なヤンキー体質は、下半身の緩さが漂う。

しかし、女流棋士にも男好きするのはいても、変に一途なところがあって、その典型例は林葉直子かもしれない。一途さが自身の破滅をもたらしたのではないか。

その点、ヤンキー的女流雀士は、男のフラれたくらいでは堪えず、啖呵を切ってセブンスターを吹かし、股座を掻きながら悠々としていそうである。

それはいいとして、雀士の空気感、そして状況判断は何よりも魅力で、おそらくは「あげまん」という気質は雀士だと思う。

とまあ、このような考察をしつつ、わたしとしては女は雀士であるほうがよく、もしパートナーが女流雀士であれば、迷う物事の最終的な判断は彼女に任せる。

きっと女流棋士とでは思考面で居心地はよくても、おそらくは二人揃って判断を誤り、悪手を指すことだろう。

雀士であれば、その悪手を育ちの悪いヤンキー言葉で諌めてくれるであろうし、気っ風よく差し込んだ一手の過ちによって崩れた人間関係をうまく修復してくれるのではないか。

ともかく、パートナーにするなら麻雀ができる女だとわたしは思うのである。

 

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