結月です。
「かわいい!」とか「ヤバい!」とか「すげえ!」とか「おいしい!」とか、何かと使ってしまいやすい言葉。
こういう言葉は便利だけれど使いすぎると頭が悪いと思われるので、わたしはあまり使わないようにしています。というか、こんな言葉を連発するような人間になったら終わりだなって結構、シビアに思ってるんです。
つまり、それらの言葉って、その先がないんです。言っただけで完結しちゃって、それから先の思考がないんです。
守備範囲が広すぎてしまって、何にでも使えてしまう言葉。
ガッカリすることがあって、それは京友禅の反物を見せたりすると、
「かわいい!」
とか言われること。
肯定的だからいいのですが、一応、その反物ってそこに至るまでものすごい工程があるんですよ。白生地を作るひとが糸から織って、そこに手描き友禅で絵を描いて、糊を置く職人がいて、染める職人がいて、蒸すひとがいてなどなど。さらにそこに描かれた古典柄って日本画と言っていいもので、その文化が築き上げられるまでにこれまたものすごい時間、つまり歴史があるわけなんです。
だから、その反物に含まれている文化って、そりゃもう特濃なんですよね。それをたった一言、
「かわいい!」
でやられちゃうと、逆にわたしなんかは絶句しちゃうわけです。
それだけ? そんな大雑把な感動しかないの?
ご馳走に出会ったときも同じで、
「おいしい!」
しか言えないのって、どうなんだろう?
でも、安っぽい言葉をこねくり回したような賞賛はもっと最悪だとは思う。
「舌の上で濃厚な味わいが広がり、それでいながら上品さを伴う食感。伝統を感じさせると同時に革新を味に秘めこませた最高の一品!」
みたいなね。
こういうのって書いているだけで嫌になってきちゃって、ああ、気持ち悪!
それだったら、アホっぽく、
「おいしい!」
のほうがいいけどね。
つまりわたしが言いたいことは、反物を見て「かわいい」としか思うのでなく、その着物を着て自分がどうなるのかっていう先のことも考えたほうがいいんじゃないかってこと。だって、それだけ手のこんだモノなんだから、それを身にまとうことの素晴らしさを考えたほうがおもしろいよね。
着物って、テレビとかで見て、
「かわいい!」
って思うから、着物を着てみたくなって、着付け教室に通うわけです。でも、着付けって覚えても結局着物を着ないひとが圧倒的に多いんですよ。それはね、
「かわいい!」
でしかないから。それって猫が、
「ニャ!」
っていうのと同じレベルで、その先まで考えられてないから着物を自分の人生に取り込めないわけで。
手前味噌で着物の話をしたけれど、そのときだけの「かわいい!」とか「すげえ!」で消費してると金だけ使って、あとは何も自分に残らないよ。
その典型例が「おいしい!」を求める消費なんだけど。
だって、どんなご馳走でも「おいしい!」って言っも、あとは翌朝にトイレで排泄されるだけでしょう? 何も残らない。刹那ですよ、それ。何も残らないから、また食べたくなる。中毒ですね、これ。
大雑把すぎる刹那でモノを買うと、家の中がモノに溢れてしまう。家中、いらないものばかり。しかも、そういうのって安物が多い。100円ショップってそんなんだよね。
そういう消費ってしないほうがいいと思う。そのためにはなんでもかんでも「かわいい!」とか「ヤバい!」とか「おいしい!」で片付けないで、もっと考えて、もっとボキャブラリーを選んで、自分がどう思うのかっていう自分のキャラをちゃんと出すことじゃないかな。
だってさ、「かわいい!」とかって、どんなバカでも言えるから。
要は浅はかなもの、奥行きがないものって、単純なワードなどで片付けられる。だって、それを語る歴史や手間がないんだから。つまり安物ってそういうもの。
逆にパリのオルセー美術館でルノワールの美人画を見て、
「かわいい!」
なんて言ってたら、バカだと思われるよね。こいつ、何もわかってねーなって。ルノワールを見て、それだけか?ってね。
つまり、よくできた芸術とかって一言で片付けられない奥行きと複雑さがあるから価値がある。工業製品だって、いいものってそこに含まれているアイデアや手間、原材料が全然安物とは違う。だから価値がある。
そういうものに多く接していると、自然とね、「かわいい!」なんてアホな言葉は使うことがなくなるんです。だって、「かわいい!」なんか単純な言葉で片付けられないものに接しているから。
だから、何から何まで「かわいい!」しか言えないってことは、それだけ奥行きのあるものに接していないっていう証拠でもあるんですよ。
そうなると、モノの良し悪しが判別できない。だから騙されるしね。極上のものに接していると、目が肥えるからそう簡単には騙されません。
例えば、悪徳なエステに行って、おもちゃみたいな洗顔機を何十万で買っちゃうとか、騙されてることに気づいてないみたいなね。
身近な工業製品、冷蔵庫とか電子レンジとかでもいいけど、まともなものに接してその作りの良さがわかると、おもちゃみたいなものに何十万っておかしいとすぐわかるはず。わからないのは、「かわいい!」でしか生きてないからかもしれない。
とにかく「かわいい!」だけの消費って金の無駄で、その先がない。ただ買ったおしまい。
安物買いの銭失いって言葉がある通りで、要は安物には奥行きがないから、奥行きがない人間が買うのかもしれない。きつい言い方しちゃうと。
そうならないためには、文化をちゃんと知ること。本物に接すること。安物はどーでもいいものだけに費やすこと。
だから、「かわいい!」とか「ヤバい!」とか「おいしい!」って自分の中で禁句にしてみるといいかもよ。
思わず使っちゃいそうになったら、グッと堪えて、もっといい表現がないか考えてみよう。もっと自分らしい言葉がないか考えてみよう。かわいいなんて誰でも使うアホな言葉でなく、もっとナイスな表現がないか探してみよう。
そうするとね、きっと変わってくるよ。
そもそも「かわいい!」なんて3歳児の言葉ですよ。