結月でございます。
栃木に来て、今いるところには鳥がたくさんいるのである。目の前に大きな栗の木があって、そこにはたくさんの鳥が群がっていて、その鳴き声はジャングルのようである。
わたしが鳥が好きだから、その鳴き声は快く思っていて、さらに庭先にはオナガがよく来る。
鳥の名前は詳しくないが、やけに尻尾が長い鳥で水色がかっていて綺麗な鳥なのである。愛娘の図鑑で調べたら「オナガ」だとわかった。
大変綺麗であるのに鳴き声は美しくない。ガァー、ガガガみたいな感じで容姿と声があまりにもかけ離れている。
しかし、その他にもたくさんの鳥がいて、いつも仕事しながら鳥たちの声は美しい。
仕事の合間に和室の畳に寝転がると愛猫がトコトコとやってきて、お腹の上で寝る。そんな猫を撫でながら空を見上げるとオナガがいる。
さて、クルマをとめているのはいいが、その上にはちょうど電信柱があってオナガがいつも寛いでいる。そのせいでいつもクルマにうんこを落とされ、わたしは日々、洗剤をスプレーし拭き取らねばならない。
好きな鳥であるからそれほど嫌ではないけれど、少々面倒ではある。
ともかく大きな栗の木があるためにここには鳥が多い。
わたしが一番好きな鳥は雀で、ありきたりであれど雀が一番可愛らしい。
栗の木の中には雀もたくさんいる。
夕方になると何百羽もの雀が栗の木から飛び立つのが見られる。
パリのリュクサンブール公園ではよく寛いだ。パリも雀が多い街で、ノートルダム寺院の広場では雀を集めるおっさんがいて、写真を取る代わりに金を取る。
リュクサンブールの近くの売店でビールのハイネケンとサンドウィッチを買って公園のベンチで食べる。すると雀が寄ってくる。
パリの雀は日本の雀と顔が違っていて、パリジャン、パリジェンヌの顔をしている。
サンドウィッチをつまみ、雀たちに放ってやる。
京都では雀の丸焼きが特産物として売られている。伏見稲荷や錦市場で売られている。
骨と皮ばかりでそんなに美味しいものでもない。小さな頭蓋骨が小さなヘルメットのように丸く、食べるとその中に脳みそがある。
日本では野鳥は獲ってはいけないから、中国から雀の肉を輸入しているそうである。
それほど美味しいものでもないし、食べる人もそんな多いものでないから、わざわざ中国の雀を減らしてまで食べなくともいいと思う。雀が好きだから可哀想に感じるのだ。
中国の文化大革命時だったか、雀が農作物を荒らすというので雀を捕まえろという政府からのお達しで人民は雀を大量殺戮したが、すると農作物につく虫を食べる雀がいなくなり害虫が大量発生し、逆に農作物の収穫が激減し、ただでさえ貧乏な文革時に余計食べ物がなくなったという愚かな話がある。
ちゃんと生態系など科学的な知識で政策をやらないとそういうことになる。
そういえば、鬼滅の刃で炭治郎たちはカラスなのに善逸だけが雀である。頼りない善逸には雀が合っているのはわかるが、5歳の愛娘からは「善逸だけどうして雀なの?」と訊かれる。
ところで愛娘の鳥の図鑑を見ると、鳥の祖先は恐竜である。恐竜が進化して鳥になった。なるほど鳥の足を見ると恐竜に似ている。
猫をお腹に乗せながら畳の上からオナガを見ると、サッと飛んでいく。鳥というのは飛ぶのがすごいんだなといちいち感動している。
鳥だから飛ぶのは当たり前であるけれど、自力で素早く飛べることそのものに感動する。
鳥が好きなせいか、わたしは飛行機も好きである。旅客機でも乗るのが楽しい。
空を飛べるなんて素晴らしいじゃないか。
セスナでいいから飛行機を運転してみたい。
だから、宮崎駿の映画で一番好きなのは『紅の豚』である。ちなみにあの映画の原型は『華麗なるヒコーキ野郎』である。原型というよりパクリに近いかもしれない。
さて、オナガにウンコされたクルマを洗って出かける。
相手が鳥だと腹も立たないのは、鳥が空を飛ぶからだろう。