結月でございます。
わたしは3匹の猫と暮らしていて、最初の猫がやって来たのが確か6年ほど前。それから順に増えてしまって3匹になったんですね。
ともかく、わたしは猫がいないと生きていけないほど猫が好きで、猫依存度が著しく高いです。
さて、猫を飼うことになって、というか猫と生活するようになって、そのメリットとデメリットがわかってきました。
でも、本来はわたしは猫に関してメリットとデメリットという損得のスケールで考えるのが好きではありません。
どうも昨今、世の中が損得勘定が主流になってしまっていて、家は買った方がいいのかどうかとか、結婚で得すること損することとか、食べてはいけない食品がどうかとか、つまり自分が得することばかり考える世の中なんですよね。
あえて自分から損を選ぶことはないとは思いますが、損得で考えるようなものでないことも損得に落とし込まれているってどうなのかな?と疑問は持っています。
ですから、猫と暮らすことをメリットとデメリットで捉えるというのは、猫好きなわたしとしては不本意なのですが、世の中の思考がそういう説明をしないと理解できないという具合なので、あえてという感じです。
猫を飼うメリット
退屈しない
日本は大変恵まれた国なので、暇をどう潰すかを考えて、さらにそれを生きがいにしてしまえるほど裕福な国です。紛争地域や国家的に経済が貧困なところだと、そんな悠長なことは言っていられません。
ともかく、日本は仕事の時間以外、例えば帰宅した後の時間、週末の時間など、その退屈をどうやり繰りするかに楽しみを見出せます。
今はスマホという素敵なものがあるので、YouTubeで動画を見たり、猫を飼うメリットの話を読んだり、他人のリア充をSNSで見たり、スマホがあるだけで結構、時間が潰せます。
しかしながら、バーチャルなものだけだと、人間はちょっと荒んでくる。肉体を忘れていることに気づく。だから、バーベキューをやってみて、肉を胃袋に叩き込む肉体的快感を得ようとしたり、わたしみたいに体力もないくせに山に登ってみたいと思ったりします。
とはいえ、そういうことは頻繁にできないのですが、猫が家にいればそのふわふわの毛を撫で、時には爪で引っ掛かれ、お腹の上に香箱座りをしている猫の体の重みを感じることができます。
また、猫という生き物は見ていて見飽きることがないもので、意味不明なことに一生懸命になっていたり、そうかと思えばお腹を出して寝ていたり、とにかくその行動すべてが自由で退屈することがありません。
ですから、猫が家にいれば、無駄に肉を焼いて胃袋に負担をかける必要もないし、外に出かけなくとも猫といるだけで充実感を得ることができます。
人間性が向上する
猫といれば人間性が向上します。なぜなら、猫の気まぐれに付き合いきれる寛大な心を得られるからです。
事実、わたしは猫のおかげで随分、寛大になれたと思います。
一昔前のわたしは極めて神経質で、音にも敏感で、テレビの音でさえ聞くに耐えないノイズに思え、我慢がなりませんでした。いつもピリピリとして、神経過敏で、静寂を求めるか、認めるのはモーツァルトなど美しい音楽だけでした。
ところが1匹の子猫がうちに来ることになって、わたしは人間が変わっていきます。
猫は特に子猫のうちは落ち着くところがありません。明け方にはいわゆる猫の運動会で部屋中を走り回り、壁紙にも容赦なく爪とぎをし、料理を作ればいつの間にか皿から食べてしまっている。
さらには持ち前の運動能力であちらこちらにジャンプするため、陶器の置物を落として破壊し、愛蔵書をかじりまくり、とにかく破壊力が凄まじい。
そんな騒々しさにわたしは睡眠不足に陥ってしまい、過度のストレスを抱えたものでした。
それはイライラとなって爆発し、猫に対して説教しているわたしがありました。
しかし、その時、気づいたのです。
「猫相手に怒って、説教しているアタシって、アホじゃね?」
相手は猫であって、人間ではない。日本語が通じる相手でもない。猫は猫ならではで生きているだけであって、悪気があるわけでない。猫は猫なのである。そんな猫に人間基準を求めて、
「あんた、やめなさい!」
なんて真剣に言っている自分のアホさに気づいたのです。
話してわかる相手ならいいものの、相手は猫なんだからわかるはずもないという簡単な事実に気づいていない人間の愚かさ。
猫が置物を壊すのは、猫がジャンプしたいところに物を置いているわたしが悪い。壊されたくなければ、そこに物を置かなければいいだけの話だし、猫なのだから明け方に走るのは当たり前で、要は当たり前のことを気にするからいけない。猫に要求するからいけないわけで、気にしなければそういうものだと受け取れて、ぐっすり眠れるようになりました。それに猫は持久的な体力のある動物でないので、実際に騒ぐ時間は10分もありません。
育児ストレスを感じない体質になる
ともかく、そんな猫が3匹もいるので、気まぐれに騒がしいことにすっかり慣れてしまいました。神経過敏だった体質が、
「どーでもいいことは、どーでもいい」
と大らかに考えられるようになったのです。
大らかでいられることこそ、人間性の向上のひとつなのだから、わたしは猫たちのおかげでイライラ体質が改善されたのです。
わたしには一歳半の愛娘がいますが、もし猫たちがいなければ、虐待まではしないけれどかなりイラついていたと思います。
睡眠を妨害する夜泣きはもちろん、あちらこちらをハイハイする落ち着きのなさ。そうしたものに一昔前のわたしが耐えられたとは到底思えません。しかし、猫たちによって鍛えられ、一晩に何度も起こされることなど今では普通なので、赤ちゃんの気まぐれには動じなくなっていました。
また、猫に説教しているアホさも同様で、この世に生まれてまもない人間に対して、
「なんで夜泣きするの!」
とキレるアホさに気づいていました。
赤ちゃんってそういうものなんだから、それに腹を立てても仕様がない。だから、赤ちゃんの気まぐれや要求は素直に認められました。
それに赤ちゃんは猫のように戸棚にジャンプすることもなく、せいぜい床をハイハイしている程度であって、猫に比べるとその破壊力は小さなものです。また、猫はちょっと油断した隙に外へ逃げ出してしまったら大変で、だからわたしはベランダに出るとき、そして玄関を開け閉めするときは細心の注意を払っています。
その危機管理の経験は人間の赤ちゃんにも生かされています。
猫を飼うデメリット
だらしのない人間になる
猫というのは不思議な能力を持っていて、さあ、起きて仕事へ行く準備をしようかなと思った瞬間に、お腹の上にやってきて寝てしまったりする。
こちらは睡魔を断ち切ったというのに、猫の気持ち良さそうな顔を見ると、二度寝したくなってしまいます。
つまり、猫には強力な麻薬的効果があって、人間をだらしなくさせます。仕事に行こうとしても思わず猫を抱っこしてしまい、
「まあ、もうちょっと寝てからにするか」
など考えて、二度寝する。
これはデメリットとも捉えられるし、一方でメリットとも捉えられます。
猫の麻薬効果で、不眠症や神経が苛立って眠れないひともきっと猫の寝顔を見れば眠れるようになるでしょう。
いつも仕事でテンパっていて、ストレスに苛まれているひとも猫を眺めれば癒されるはずです。
人間は中庸がいいのであって、ピリピリしているひとは猫麻薬で中庸を目指すべきです。
しかし、思うに猫好きというのは、根本的にだらしのない人間のほうが多いような気がしますけれど…
別れを覚悟しなくてはならない
猫と暮らしていると、猫が生活の一部となり、そして人生の一部となります。
家で飼っている猫の平均寿命は16年ほど。ということは人間の寿命が長くて80年としても、1匹の猫を飼うだけで人生の5分の1を共に過ごすことになります。わたしのように3匹だとおそらくは20年であって、人生の4分の1です。
この長い間、一緒に布団で寝て、一緒にご飯を食べ、一緒に生活をする。
これは人間同士だとほとんどあり得ないことです。
結婚相手だって今は離婚が多く、20年も離婚しないでいる夫婦などおそらく半数くらいではないでしょうか。
うちの愛娘だって、今は一緒に寝ていても、20年後には成人して一緒には住んでいないだろうし、20年間一緒に布団で寝ることはありません。
20年来の付き合いの友達がいても、それは毎日一緒にはいないし、時々会う程度の20年です。それは日にちで圧縮すれば365回、つまり1年もないでしょう。
でも、猫は生活にずっと密着している相手です。
そんな猫だって寿命があり、それは人間より短い。
その死による別れはおそらくは自分の親よりも悲しい。なぜなら、親が死ぬ頃は自分はいい年になっているし、普通は親といっても年に一度か二度、会う程度です。猫ほどの密着度はありません。
わたしも将来、猫たちと死別しなければならないことを考えると、急に寂しくなるのですが、おそらく猫というのはお役目を持ってその飼い主のところに現れるものだとわたしは思っています。
猫たちがいなかったら、神経過敏体質でのべつイライラしていたわたしが赤ちゃんを受け入れることができなかったでしょう。でも、その体質を克服させるお役目を背負って猫たちはわたしのところにやって来ました。
そして、わたしが日々、退屈しないよう、日々、気持ちよく過ごせるお役目を背負って猫たちはここにいます。
まとめ
猫にメリットもデメリットもない!
猫とはそんなお役目を持った生き物だから、やはりメリットやデメリットで考えるべきものではないでしょう。
猫とは運命であり、損得で考える対象ではないのです。
もし猫たちがわたしの元に来なかったらと想像すると、ゾッとします。一昔前のような神経過敏体質のままだと今以上に周囲に迷惑をかける人間だったでしょう。猫のおかげで、少しはマシになりました。
猫を可愛がることは愛であり、「愛する」ことを知るようになれます。
何かを無償に愛することは、思いのほか、人間にはないものです。我が子であっても虐待する親はいるし、険悪な親子関係もあります。
友人に対して無償に愛せるようなことは普通はありません。
ですから、この身で愛を知るのはチャンスとしては少ないのです。そういう対象となるべきものが少ないのですから。
愛には損得勘定がないのだから、やっぱり猫を飼うことはメリット、デメリットではなく、そんなセコいものを超えた、身近だけれど奥深いものなのではないでしょうか。