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説明を超越する猫、その行い。

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結月でございます。

今年の夏場から猫砂は「檜素材」のものを使っていて、これは木の香りがある分、消臭効果が高い。それは使ってみて実感があった。

しかしながら、紙タイプのものと違い粘り気がないため、粉になりやすい。であるからして、ちょっと掃除が面倒なのである。

もう涼しくなったものだから、従来の紙タイプに戻してみると、猫のおしっこ臭が目立って、粉になって散らかっても檜素材のほうがいいなと思った。

次回は檜素材に戻す。

さて、「どうして山に登るのか?」という問いかけには「そこに山があるからだ」と答えられる。

それは合理性もなく、納得できる説明になっていないのに「そういうものだ」と押し切れる。

何も山だけでなく、わたしがやっているクラシック音楽の公演も最終的には「音楽があるからだ」としか答えられないし、演奏者だって同じ答えをするだろうし、猫を飼うことだって「猫がいるからだ」と答える。

どうしてそんなに苦労して、割に合わないことをやるのか? その答えは「存在」に尽きる。

今は利口な時代だから、割に合わないことを避けるのが賢明で、統計学も駆使して成功することだけをみ出そうとする。

コンビニの商品だって、日々統計を取って売れないものはすぐに撤収し、数字があるものだけを置こうとする。

その逆は専門店であり、その店のオーナーが「これが自分の好きなものだ!」という一方的な思いで仕入をする。そして、その良さをわかってくれる人を探し、売ろうと考える。

効率を合理的に分析するととりあえず成果は出やすい。しかしドラマは生まれない。

ドラマとは合理性を重要視しない熱情と愚かさに宿るものであるから。

なので、コンビニの商法がおもしろいかというとそうでもなさそうで、効率の世界である。

猫を飼うのに効率で飼う人はいない。

猫を飼ったら癒されるとか、幸せホルモンが出て長生きするとか、そういうことはよく言われるけれど、自分が長生きするために猫を飼おうという人は見ることがない。

猫は飼うと世話が大変であるのに猫が好きでたまらないとか、飼う気はなかったのに拾ってしまったとか、どういうわけか棲みつくようになったとか、得てして合理性とはかけ離れている。

でも、そこに猫がいるから猫の世話をし、猫を溺愛する。

それゆえに猫と人間にはドラマが生まれるものなのである。

物事に辻褄を合わせようとするのではなく、説明不能なことをやる。

そういうものが人間には必要であって、アルゴリズムだけじゃ人間でいられない。

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