結月です。
人間は権威化すると新しいことができなくなるもので、権威化するまでに時間がかかるから権威化したときはすでに年を取っていたりする。
新しさの卵みたいなものは得てして粗雑でくだらなくて、でも実はそこにビッグバン以前の点のようなものがあって、それがインフレーションを起こして新しさが大爆発する。
今では一流大企業になっていても、創業時はプレハブだったり、雑居ビルの一室だったりするのもそんな小汚いところに新しさの核があるからだろう。
斬新さを求む、なんて言っていて、それを選ぶ人たちが年寄りばかりというのが日本にはありがちで、意識されない年功序列がまだあるからだと思ったり。
人間とは自分が年老いたと自覚できるのは難しいのかもしれない。だから時代錯誤な老人はたくさんいる。
そう言えば、名古屋の河村市長が、住民票は奥さんが役所に行けば取れる、と発言して話題になったらしいが、確かに奥さんが役所に行く感覚は昔の専業主婦時代の話で、80年代くらい、もしくは90年代くらいまでは通じた話のように思う。
他人の金メダルを噛んだのも無理矢理若作りしようとして、その結果、時代の感覚からは「最低…」と思われたわけで、それも自分が偉いと無自覚に思っている人間らしい振る舞いなのである。
ところで作家の百田尚樹さんとジャーナリストの有本香さんが日本保守党というのを立ち上げた。
わたしは思想どうこうよりも新しいものをベンチャーで立ち上げるのは好きだから、今後どうなるかちょっと楽しみにしていたが、当初「百田新党」と言われたものが正式名称が「日本保守党」でネーミングが古臭かったので、新しい行為を始めるのにしてはダサいなと思った。
でも、選挙などでは尖った名前より、一般的なもののほうがいいのは事実で「政治家女子48党」はふざけすぎなところもあり、やっぱり惨敗した。
そんな日本保守党の結党では共同代表に河村市長が出てきたのを見て、さすがにこんな老人だとちょっとね…と悪手なんじゃないかと思うのは、やはり他人の金メダルを噛むような人は生理的にアウトだと感じるからだろう。
有本香さんは政治的な実務経験がないから起用したようなことを言っていたが、実務経験がないからこそ素人感覚で新しいことができるのになんでそれをわざわざ捨ててしまうのかしら。
手前味噌なことを言うと、わたしはクラシック音楽のコンサートを手がけているけれど、コンサートの実務経験はゼロ。何も知らない状態から始めて、今でもよくわかっていない。
知らないからその都度、詳しい人に訊いたり教えてもらったりしていて、ちょっとは詳しくなった。
でも、業界の常識みたいなものは興味がなく、公演を行うために必要な実務だけは人に訊いたり頼んだりするけれど、そのコアにある自分の自由だけは絶対に譲らない。
自分が業界人でもないから独立を保てる。
それでも何とか公演を開催してきていて、無知ゆえにヒヤッとしたことはあるけれど、そうやって現場でわかってくるものである。
だから、政治の実務経験がないから既存の政治家に来てもらうなんて発想が新しいものを立ち上げた鮮度を落としてしまってもったいないなと思う。
新しさは無所属の素人から生まれるものであり、制約がない、というか制約そのものを知らないからこそガツガツと前向きになれる。知ってしまうと気を遣ったり、ビビったり、ペコペコしてしまったりして輝きはなくなる。
しかし大事なことは、いつまでもただの素人では駄目なことで、自分たちが創り上げた新しさを社会に定着させるには実務的なところはしっかりとできるようにならねばならない。
ただ、いきなりそれを得ようとして新しさそのものを失うのはよろしくない。
頭の中に制約がないことがおもしろさを生む。
「こんなこと、やっちゃっていいよね?」
ではなく、そもそもそういった意識すらない。あとから、
「そうだったんだ」
と、その常識破りを指摘されて気付くのがいい。
重鎮になるのではなく、権威になるのではなく、いつも無知な新しさを持つこと。
そのためには自分の中で権威化した意識があるなら、それを自分でぶっ壊さないとね。
すると同じようなことを繰り返さず、常に新しい挑戦ができるから古臭い人間にはなりにくいと思うよ。