結月です。
「スマホがない時代はよかった」
もしくは、
「ネットがない時代はよかった」
なんて言うと、年寄り臭く聞こえていけないけれど、ふとパリへ初めて行ったときのことを思い出すとスマホがなかったからよかったと思える。
シャルル・ド・ゴール空港からバスで凱旋門に着き、地下鉄の乗り方がよくわからなかったのでタクシーでサン・ミシェルまで行った。ホテルはサン・ミシェルと決めていたからだった。
タクシーの運転士にホテルの住所は伝えたがホテルの場所まではわからなかったので、
「この辺りだよ」
と、降ろされた。
そこがサン・ミシェル大通りで「地球の歩き方」にあった地図を見るもどこかわからない。ふらふらと歩いていると、突然ライトアップされた巨大な建造物があり、それはパンテオンだった。そこにはアンドレ・マルロー、ヴィクトール・ユゴー、ジャン=ジャック・ルソー、エミール・ゾラ、ヴォルテールなどなど憧れの歴史的人物たちが埋葬されている場所で、いきなりそれが目の前に現れたときはそれはもう呼吸が止まるほど圧倒された。
ようやく見つけたホテルはタクシーが降ろしてくれたすぐそばで、キュジャ通りという小さな通りにあった。確かにここは車も通りにくいし、カーナビもない時代だからタクシーだってわからないはずだ。
当時は空き部屋があるかをフロントで訊き、空いていれば宿泊カードに記入し、鍵をくれる。その鍵は絵に描いたような鍵らしい鍵だった。
ホテルの廊下は狭くて真っ暗闇。なぜ電気がつけられていないのか不思議で、壁に手を沿わせながら歩き、薄暗い中でかろうじて見える部屋番号のドアにかろうじて見える鍵穴に鍵を差し込んだ。後から知ったが、廊下の電気はその都度スイッチを入れ、時間がたては消えてしまうのだった。
暗闇でたどり着いたそこは細長く、数畳ほどしかない部屋でベッドと小さな丸テーブルがあった。12時間ほど飛行機に乗って、右も左もわからないパリで緊張もあり、疲労もありでベッドに横たわったが、すぐに空腹を感じた。
ホテルを出てサン・ミシェル大通りを下っていく。たばこ屋やレストラン、キャフェのタングステンの光がまるでベル・エポックのようで涙が出るほどほど感動した。
そして、下り切ったところはセーヌ川で、その手前にあるキャフェに入った。何をどう頼んだらいいかもわからなかったが、やってきた給仕に、
Jambon de paris et un verre de vin rouge,s'il vous plaît.
と、知っていることだけを告げた。
Jambon de parisとはフランスパンにバターが塗られ、そこにボンレスハムのスライスが挟まれたシンプルなサンドウィッチである。それを赤ワインをグラスで。
それは日本で食べるパンとはまるで違うもので、そのおいしさには憧れていたパリの本物の味があった。
パリの風景すべてが幼少の頃から望んでいたもので、それが自分の目の前にあった。
それからパリの街を何日も歩いたが、スマホはなく、地図を見て歩き回った。距離にすれば驚異的なほど歩いて歩いた。
今のように容易に情報が入らなかったから、ひとつのものを見つけるのも大変だったし、知らないものはアナログで調べなければならなかった。しかし、数としては多くない情報だったが、それを得るまでの苦労が大きかったせいで重く殴られたようなインパクトを脳裏に与えた。
もしあの頃スマホがあればGoogleマップですぐに調べられるし、わからないフランス語はこれまたGoogle翻訳に入力すればいい。そして動画を回してライブ配信だってできる。
ホテルに帰れば日本のニュースをネットで見ることができ、ライン通話で日本に電話することができる。
わたしがいた頃はたばこ屋でテレフォンカードを買い、公衆電話で日本に国際電話をかけていた。テレフォンカードは1枚50フランだったように思う。当時、1フランが20円だったから1,000円である。しかし、それもあっという間になくなってしまうから、日本への電話は早口で喋り、1分か2分で話を切り上げた。
だから、日本への電話は貴重であり、相手の声を聞くことに価値があった。
ホテルに帰ればバッグに入れてあった開高健のエッセーを読んでいた。開高もパリが好きで、エッセーにはサン・ミシェルのことが書かれていた。そしてわたしが滞在していたすぐそばに開高も滞在していた。
さらにわたしの行きつけのキャフェも開高と同じで、それは出発という名のキャフェだった。
スマホがないからこその重くてゆっくりとした時間があった。そしてスマホの画面を見ることがないから、常にパリの街を見ていたし、あとは読書の活字、さらに裸電球に照らされた古い天井である。
スマホでネットサーフしないせいで、当時は常に考えていた。本を枕元に置いたら眠るまで何かを考えていた。自分に向き合っていた。
YouTubeでくだらないチャンネルを見ることに時間を浪費したりはしなかった。
日本を離れたら日本のことにはアクセスできやしない。日本で何が起きているのか、総選挙があるのか、プロ野球はどこが優勝したのか、そんなこともわからない。
ちょうどその時、「たまごっち」というものが日本で大流行していたことを後から知った。でも、パリの街で美術館に通い詰め、名画座で映画を観、教会でコンサートを聴いたりしていると「たまごっち」の内容を聞いて馬鹿らしかった。
今、自分が生まれて初めてパリに行く人間だとしたら、スマホがあるためにあの頃の自分のような感動は間違いなく得られない。パリに着いたら、
「着いたよ〜」
なんてLINEしてる。
パリの風景を動画撮影して、それをFacebookに投稿してリア充自慢している。
つまり、パリにいながら日本にいるようなものである。視線の半分以上はスマホ画面に向かっているに違いない。
きっと感動はない。
スマホが、ネットがない時代に幼少から憧れていたパリに行けてよかったと思う。
スマホがあるおかげで読書量が減った。読書しかないから読書していた頃と違い、スマホにはSNSもあればYouTubeもあり、退屈しない。
スマホによって知識が圧倒的に増えたとは思う。しかしそれは自力で得た気がしない。ミシュランの地図を何度も見ながらパリの街を朝から陽が暮れるまで歩いて得た筋肉痛がスマホにはない。
カメラがなかったから写真も動画も撮れないから、見た風景を脳裏に叩き込んだ。しみじみと見た。
スマホの時代になって増えたおもしろさは確かにある。しかし、感動はなくなった。
つまりダイナミズムがなくなった。
でももう元には戻れない。時代とはそういうものであるから。