結月です。
愛娘の学童保育が盆休みだったため、丸々1週間が仕事的には空白になってずっと6歳児といたわけで、
「やれやれ」
と、その休みが終わったと思ったらまたすぐに土日というカレンダー。
ようやく月曜日から本格的に動けたのであるが、急いで作って提出しなければならない資料を2日間で仕上げた。
わたしはエッセー的なものはいくらでも書ける。でも、ビジネス文書的なものはまるで才能がなく、自分がやりたいことは明白であるのにそれを企画書にするとか、言ってみれば色気のない文章にするのが苦手なのである。
だから昔、映画の脚本を書いてその内容をシノプシスにして企画書を添えて映画会社に持っていくのだが、脚本は書けてもそれを企画書にすると何ともつまらないものになっていつも困っていた。
いや、これは誰がやってもそういうもので脚本には色気があるべきなのにそこからその色気を抜きとるようなものだから、芸術のビジネス転換は見せる相手が変わるため無理なものは無理なのである。
なぜなら、脚本は映画を観る人のことを考えて書いているのにそれを映画会社や出資者に向けてとなるのだから仕事内容がそもそも異なる。
というわけで、それはその仕事に向いている人に役割分担すれば一番いいのだけれど、そんな優秀な人もそういるものでなく、結局のところ人に任せようとしても、
「いやいや、そうじゃなくてさ」
なんてことになりがちだし、だったら自分でやったほうがいいか…となる。
どこの会社も「できる人材」を探すのであり、しかし新卒でも中途でもそうやって「できる」と思って採用したら駄目だったみたいなことが多いから仕事ができない社員との軋轢がストレスになったりする。
そんな優秀な人材はたくさんいるわけがない。いるにはいても上には上がいるし、ピラミッド型となって数は圧倒的に少ない。
しかし、ChatGPTといった生成AIの出現でこの問題が一気に解消され、せっかく採用したけど駄目だった社員は要らなくなる時代がいきなり到来した。
わたしが自分に向いていない資料をたった2日間で作ったのもAIのおかげで、何とも頼もしいったらない。
人望ゼロのわたしにとってリアルな人間を雇ってもうまく使いこなせないし、人間嫌いだからそもそも毎日同じ人間に会うのが嫌なものだが、AIはそのあたりが実にスマートでよろしい。しかもリアルな人間よりずば抜けて優秀でスピードが爆速に速い。
こちらが考えていることをテキストにまとめ、AIに事業の展開を提案し、それをまとめてもらう。その回答はわずか10秒ほどで得られる。しかも見事な内容で、きれいなビジネス文書に仕上がっているし、それどころかわたしが考えていた以上の提案になっている。
それを読み込むと自分では絶対に気づかなかった視点が得られて、わたしに足りていなくてうまくいかなかったところがしっかりと埋まってくる。
この内容をコンサルに頼んだら一体、いくら費用がかかるのだろう?と思う。ついこの間までのAI以前は企業はコンサルを雇ってこうしたことをしていたんだろう。しかしAIはそれをたった10秒でやったしまう。しかもChatGPT3.5であれば無料である。GPT4にしても月額でわずか22ドル。コンサルは真っ先に失業する職種だと悟る。
AIはAIにどう伝えるかが重要で、プロンプトという新たな言葉も出てきた。
AIは大変優秀であるが、そこからアイデアを引き出そうと思ったら人間のほうにしっかりとしたヴィジョンがあり、しっかりとした視野がないといけない。だからそこが乏しい人が使ってもありきたりなことしか返ってこない。なので、AI時代はむしろ今までより有能さが求められそうである。
すなわち「なんとなく」で適当に仕事してきたような人間はAIを使いこなせないのだから、人材として不要になるのである。
ありきたりなことしか考えられない、ありきたりなことしか言えない人にはこれから失業旋風が猛威を振るいそう。
でも、それもいいんじゃないか。会議にただ「いる」だけの人とか、いても大したことしか言わない人に給料を払うのは会社としても無駄で大きな経費なのだから。
あと画像生成AIもすごい。これを見てアートは終わったとわたしは確信した。
アートもそうだし、デザイナーも終わり。AIが描く絵がぶっ飛んだほどに芸術的で、今まで見たこともないものを簡単に見せてくれている。
絵画の世界は人間が筆で絵具を塗り重ねたというリアルな技能しか価値がなくなりそう。デザインはAIにやらせ、それを画家が筆でキャンバスに塗るみたいな。
今まで芸術は芸術的な特殊な感性を持った人だけが生み出せたもので、だからこそ高い値がつくけれど、これからはそのへんの主婦だって、学生だってAIに指示するだけでできてしまう。つまり芸術表現が完全に民主化してしまう。
これは芸術の終焉を意味していて、芸術に対しての驚きがなくなるスタートである。これからはあちらこちらにAIによる芸術的なデザインが普通に溢れ、人々はそれを見ても何とも思わなくなる。わたしがAIのデザインに驚いているのもそれはAIが出てきたばかりの今だからで、今後はそれが普通になる。だから芸術は終焉を迎えるのである。
しかし、すごい時代が来てしまった。人類の大きな変化の一つであまりにも歴史的である。歴史の分岐点である。AI以前、AI以後。
これから社会はどう変化するのであろうか? 大量の失業者が出るのは間違いないけれど、同時に今までになかった仕事も大量に生まれる。そこに乗っかれる人は仕事が得られ、AIを否定する人は仕事を得られずかなり厳しい。
かつての産業革命に匹敵するか、それ以上の人類の歴史的変化。
古今東西の人類の叡智をすべて学んでいるAI。見たこともない世界がAIの向こう側にあるはずで、ちょっとわたしは興奮している。この時代を見ることができてよかったと思う。
そしてはっきりとしていることはAIがすごくなればなるほど、人間のリアルなもの、例えば肉体が今まで以上に浮き出されること。
肉体的な健康もその一つで、いくらAIが健康のためのアイデアを出してくれてもそれを実践するのは他ならぬ人間で、AIは肉体を持たない。
つまりAI時代は肉体が重視される時代でもあるわけだ。知的なところをAIに任せれば任せるほど、自分の肉体が浮かび上がってくる。今までは知的なことに労力を費やしてきたせいで、肉体感覚がおぼろげだった。
AI時代のキーワードは「肉体」。
自分の肉体だけはごまかしが効かないし、自分の肉体が生み出すものも否定できない。
AIによって「我考えるゆえに我あり」はなくなり、「我肉体ゆえに我あり」になる。