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音楽だけでないステージへ

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結月です。

毎日エクササイズして体重落としているせいか、体重計に乗ると「体年齢」なるものが表示されてそれが実年齢より6歳くらい若い。ちなみに減量前は実年齢より4歳ほど上に出た。

もともと体力は乏しいし、スポーツはできないがために体力が落ちたなって感覚はなく、なぜなら最初からないからであるが、でも頭のキレとか言語能力とか、そういったものはじわじわ衰えているなという実感はある。

頭のキレはむしろ昔よりはこれでも丸くなったせいかもしれないし、言語能力は読みたい本もなく、かつてのように猛烈な読書量でないから言葉が劣っているのはあるかもしれない。

それよりも若いときのように知識が迸るってことがなくなってきたのは、それらが消化されて輪郭がなくなっているからだろう。映画監督や作品名、音楽の指揮者や曲名もパッと出てこない。

映画も音楽も見ることも聞くこともなくなってしまったせいもある。昔は毎日、DVDやビデオで映画を見ていたし、音楽もずっとBGMでかかっていた。今はそこに興味がなくて、全然。

逆に大局的に視野が広がったとも言えそうで、昔はわからなかったことが今はよくわかるなんてことは多い。

仕事としては音楽はまだやっているけれど、8年前に比べると取り組み方が全く違う。あの頃はもっと絶対音楽というか、音楽だけの美を求めていて、要するに音楽だけの世界で音楽を考えていた。

今は音楽がどうとかはほとんど考えない。音楽的には一緒にやってくれる演奏者たちが一流ばかりなので、まるで心配することがないせいもある。任せておけば大丈夫だし、想像していたよりも素晴らしい演奏をしてくれるから信頼だけでOK。

だから信頼というのはスピーディーだし、楽だし、いいもんだなって思う。これがないと大丈夫かどうか疑ったり、事前に確認したりしなければならないから気が気でないし、大変なのである。

とまあ、いい演奏者たちのおかげでわたしは音楽から離れる余裕ができる。

プロデューサーのわたしが音楽だけ目指したって仕方がないとも思う。だって音楽は任せておけば大丈夫だから。

なので、今は予防医療、つまり健康維持を音楽と共に伝えたい気持ちが強くて、音楽活動だけど音楽の外側にアプローチしたい。

有名人が自殺なんかすると「いのち」がどうとか言われがちである。確かに自殺はしてはいけない。でも、軽々しく「いのち」と言われるのも違うと思う。

なぜなら、自殺はしなくても不健康な生活で自分の「いのち」を軽んじている人がたくさんいるから。

心筋梗塞や脳梗塞では思いのほか人間は簡単に死ぬものだし、実際に死んでいる。看護師をやっている人に話を聞いても病院ではそういう急患は別に珍しくもないという。

生活習慣が悪ければそうした血管の病気で突然死するわけだが、それを意識しないで不摂生を続けるのは「いのち」を軽く扱っているようなものである。

と、そんなことを言うのは、かく言うわたしが自分の「いのち」を軽んじた生活をしてきたからで、動脈硬化が進行するような乱れた生活をしていて、音楽で感動を!なんて恥ずかしい限りである。

自分の「いのち」を、自分の「いのち」も大事にできない奴がどの口で言うことか。死んでしまえば感動なんて感じることはできないじゃないか。

そんな事実に気づいて、予防できる病気、いや病気の大半は予防できることを知らせようと思った。

そして、健康な肉体で、そこに宿る健康な精神でコンサートホールで大いに感動してほしい。

今はクラシックファンが高齢化して、コンサートホールはまるで老人会のようなときがある。さらに音楽が好きな人はインドア派が多いから、高齢者で体の具合も悪そうな雰囲気が観客席に漂っている。お世辞にも肉体が清々しく健康だという空気は感じられない。

こんな不健康なコンサートホールは嫌だな、とわたしは思い始めた。もっと元気なほうがいい。

持病を抱えるなんてよろしくない。いや、持病というのは大半は予防できるものなのである。ライフスタイルを考え、加齢と共に筋肉が低下すれば運動を積極的に行い、食生活も正す。それだけで持病は随分減らせる。

音楽聴きにくる暇があったら体をちゃんとしたほうがいいとも思う。でも、主催者としてはコンサートに来てほしいから、予防医療を伝える場としてもコンサートをやりたい。

なぜなら、病気を防ぐ話なんて色気がないからできれば聞きたくないし、でも素敵な音楽があるなら楽しさもあっていいのではないか。そして健康なら気持ちよく音楽も聴ける。それに健康寿命が延びれば、末長く音楽を楽しめる。

このことは演奏者も同じである。

ずっと楽器を弾きたかったら、健康であることは必須。音楽は感性的なものであっても、それを奏でているのは物質である肉体なのだから。

そんなことを考えているから、わたしにとって音楽の仕事は音楽でなくなってきている。

これも年を重ねないとわからないことだったのである。

若いときは音楽、音楽と言っているだけでよかった。でも「いのち」の衰退を感じると、それだけだと人間は駄目なんだとわかる。

よく短く太く生き切る、なんて言って不摂生を改めない人がいる。長生きは望んでいなくて、楽しければ人生オッケーなんて声もある。

でもそれはそういう現在がとりあえず健康であるからそんな無責任なことが言えるに過ぎない。一度病気になれば苦しくて、苦しくてそんな景気のいいことなんて言ってられない。自分の「いのち」をリアルに感じ、死にたくないと思う。

そもそも太く短く、楽しく人生を終えようと思っても思い通りにはいかないものだ。脳梗塞になれば半身不随になって車椅子生活。死にたくても死ねない。心筋梗塞でタバコも辞めねばならず、酒も飲めない。でも運よく死なずに生きている。太く短くどころか細々と生きるしかなくなる。

だから、充実した人生を送ろう、そしてその果てに死のうと思ったら未然に病気を予防し、運動をして筋肉を維持し、健康体でいるしか方法はない。

何がやりたい、何を楽しみたい、そういうことは基盤となる肉体が健康であってこその話だ。

それゆえにわたしは過去の生活を改め、体重も落とし、肉体を健全化して音楽に取り組む。

コンサートを開催するのにプロデューサーのわたしが心筋梗塞なんかで倒れることなんて許されない。

多くの人に音楽を届けるのは自分自身が健康体で生きていることが大前提なのである。この意識は演奏者にも今後、しっかりと伝えていきたい。それを実感するにはみんなまだ若いかもしれないけれど、少なくともみんなが体の不具合が出てくる年齢になる前に気づいてほしいと思う。

30代まではどんなに不健康な生活でもそう死にはしない。しかしその不摂生はしっかりと体の中に蓄積されていて、40代あたりからじわじわと来る。そして50代あたりからドカンと来る。

その意識を持つことが「いのち」を守るということじゃないか。

だからわたしは音楽をすることで、「いのち」を守ることを伝えようと思う。それがうまくいくかどうかはわからない。多分、そんなには伝わらないだろう。でも少しは伝わるかもしれない。それによってそのまま行けば脳梗塞になっていた人が、癌になっていたであろう人が未然に防げて余計な死に方をせずに生きていけるかもしれない。そしたらまたコンサートに来れる。

そう考えると、音楽だけしかやらないことはつまらないと思える。ベートーヴェンがどうだとか、シューマンがどうだとか、それだけだと趣味に過ぎず、人間が生きること全体にはつながっていない。

人間がどうやって生きていけばいいか、それを考え、正解かどうかはわからないが自分なりの提案を音楽でやっていく。そのテーマがあるかないかが音楽の優劣じゃないか。

音楽だけをやるのではなく、音楽で何をしたいか。何を伝えたいか。世界をどうしたいのか。そういうことが正解でなくていいから真摯に考える。その上で音楽をやる。

そしたら多分、やってよかったなと思える公演になる。

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