結月です。
教育現場ではChatGPTに否定的な声が多いようで、それはそうだろう。わからないことはAIに訊けばいいとなると学校の先生は教えることがなくなるし、先生よりAIのほうが的確に答えてくれるとなれば先生たちは「存在の耐えられない軽さ」になってしまう。
そもそも日本の学校教育現場は古臭いままで、ちょっと前まで組体操をしていたくらい。それに学校の教師は社会経験がないまま大学卒業後に直通で学校で先生をしてしまうから世間知らずだし、世間知らずのまま教育現場の古臭い環境に入るから変化しようがない。
時代がどんどん進化しているのに何も変化しないということはすなわち退化であり、ますます時代錯誤が深まって学校に価値がなくなってくる。
とはいえ、世界を見渡せば先進的なことをどんどん取り入れていく学校が普通であったりもするので、この話はあくまで日本に限られることかもしれない。
しかしながら、いくら学校の先生がChatGTPを危惧したところで社会の流れには逆らえるわけがなく、今後、ChatGTPがスタンダードな社会になる。
新しい技術を活用して新たな試みをしようという考えが日本の学校には欠落しているので、学校が置いてけぼりで子供のほうが進化していく。
思い起こせば、Googleなど検索エンジンが出てきた頃も同じようなことが言われていた。でも検索エンジンは社会に定着した。おかげで調べ物がものすごく早くできるようになった。わたしはこの2ヶ月間、生活習慣病の知識を深めたが、もしネットがない時代に同じ知識を得ようと思ったら図書館に通って本を借りまくり読みまくりで軽く1年以上はかかっていたに違いない。
検索エンジンの登場で暗記していることの優位がなくなった。わからないことは検索ですぐわかるし、忘れてしまったことも検索ですぐに思い出せる。
それによって調べる力が乏しくなるなんていう図書館時代派は憂えるわけだが、アナログの苦労を愛するのはスポ根と同じでウサギ飛び100回で体を鍛えようとするようなのものである。
というわけでChatGPTによる新しい感覚の社会がこれから進んでいくわけで、人類はまたしても未体験な世界に突入する。
でも、社会の仕組みや考え方は変わっても人間そのものが悩んだり、悲しんだり、喜んだりする原理は変わらないわけで、どれだけ明快なAIがあったとしてもメンヘラはメンヘラだし、愚痴っぽい奴は愚痴っぽいままだろうし、人間の愚かな部分はその人の性格にもよったりしてそこは容易には変わらない。
だって、Google検索でこれだけ膨大な知識を得られても愚かは愚かなままなのだから。
ただ学校みたいな閉鎖的で進化できないところはそのシステムの中にいる教員などは社会からあまり相手にされない存在になるように思う。
なんせ学校というのはいまだにPTAなるものが存在して、令和になってようやくそれを廃止するという動きが出始めたほどの時代遅れぶり。
しかしながら、学校というのは基礎学力を身につけるにはまあまあ要領のいい場所であり、学校に行かずして同じ程度の学力を身につけさせようとするとものすごい労力と金がかかるという点で学校はあったほうが便利であるとは思う。
自分という人間の個性を発揮するかどうかは学校に任せる問題でないので、学校は余計なことをしないでただフツーにやっておいてもらえればよろしい。そもそも学校の先生には人間の個性を発揮させるだけの能力なんてないのだから。そんな能力がある人は最初から学校の先生なんかにならない。
とまあ、わたしはこれからのChatGTPがスタンダードになる新しい世界を楽しみにしている。
おそらくは人間は今以上に利口になっていくのだろうが、あくまでそれは思考面であって、キャラがおもしろくなるわけはない。それはGoogle検索と同様に。
どんな時代でも時代を創ったり、魅了したりするのはキャラのある人間なのである。ズバ抜けたキャラを持つことは才能であり、後天的なものでない。
となれば、一般社会となるとズバ抜けたキャラを持つ人の数は当然少ないわけで、ChatGPTをみんなが使えても思いのほか差別化は図れない。
そういう意味でもChatGPTを危惧するなんて馬鹿らしい話で、ただ今後、AIによってなくなっていく職種の人は心配なんだろうなと思う。
人と同じことをしようとする人と人と違うことをやろうとする人、この境界線こそが重要で、自分がどちらか?に尽きる。当然、人と同じことをしようとする思考では自分のキャラは立たない。
むしろネット時代になって社会は、そして世界はフラットになっていて、濃いキャラの人は少なくなった。その事実がいいことか悪いことかなんて言えるものでなく、どこの視点からいいか悪いかに過ぎないわけだが、
「あんたはどうなの?」
という問いかけにどう答えられるかである。
さて、人間は見たいものしか見ないもので、だからこれだけ世界中を検索できるようになっても見たいものしか検索しないから個人の中の世界は広がらない。
その象徴がSNSで、SNSは世界が広がるツールと思われていたが、実際は同じものを見たい人たちだけが集まる閉鎖的な場となっている。
右翼的な人はSNSで右翼的な空間を作り、左翼も同様で、アニメオタクはアニメオタクの話題だけのSNS空間を築き上げる。
であるからして、AIにいろんな質問ができ、回答が得られたとしても人間は自分の世界にあるものしか質問しないからChatGPTが万能だとしても世界が広がることはない。むしろSNS同様閉じていく。
要するに自分が知らないことにこそ興味を抱く好奇心がないと優れたAIがあってもそこまで人間が変わることはない。しかし、好奇心旺盛であるならばAIによって興味を広げられる幅とスピードが格段アップし、より一層パワーアップすることができる。
というわけで、技術が進歩しても結局はその人次第。
その人次第な人が多いからこそ学校など教育現場は時代錯誤のままでいる。行政や役所などもそうだろう。
しかし、中国なんかは日本と真逆で政府や行政のほうが進歩的なものを煽るくらいで、頼もしいといえば頼もしい。だから社会が驚異的なスピードで進化する。
そういえば先日、スーパーの中に和菓子の屋台が出ていて、桜餅がちょっと美味しそうだったから買おうかと思った。そして、
「ペイペイ使えますか?」
と、尋ねたら、
「現金だけなんです」
と言われた。
わざわざ駐車場まで行って車から財布を取りに行くのも面倒だったから買わなかった。
ペイペイなんか簡単に導入できるのにそれすらやらない時代遅れ感。手数料をケチっていたとしてもそれによってわたしから360円の売り上げを失った愚かさ。
中国なんか田舎のクソ汚い屋台だってスマホ決済で、むしろ現金お断り。
進歩しない奴はどんな技術があっても進歩しやしないよ。