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猫といるだけでいい

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結月です。

うちには猫が3匹いて、今月中に半年に一度の健康診断に連れていく。3匹いると連れていくのも大変なのだけれど、健康診断の重要性は人間と同じであって、病気の発生源があるかどうかは早い段階で知る必要がある。

わたしは猫といる時間が最も幸福で、正直言って猫さえいればいい。

6歳の愛娘の面倒は日々看ているけれど、それは早くわたしから離れてほしいからでもある。早くなんでも自分でできるようになって、もっと広い世界を見て、わたしとは関係なくひとりで生きていけるようになってほしい。

親の役目なんて子供が自力でしっかりと生きていける人間にすることに違いなく、だからさっさとわたしから離れてほしいのである。

でも猫は違っていて、ずっと一緒にいてほしい。

玄関に入ると茶トラが2階から走って降りてくる。

そして部屋の扉をそのガラスから覗くと2匹の猫がこちらを見て座って出迎えている。

エクササイズとしてエアロバイクを漕いでいるときは猫が交互にわたしに飛び乗ってくるから猫を抱きながら漕いでいる。1セット30分だから猫を抱きっぱなしだと腕が疲れる。重いから手を離すと、畳の上に落ちるとすぐにジャンプしてわたしの膝に来るものだから諦めて抱き続けてエクササイズしている。

人間は愛娘といえど鬱陶しいことが多々あれど、猫はそうでない。

愛娘は早く大きくなって勝手にしてほしいものである。

小津安二郎の映画は決まって娘が嫁に行くことの寂しさが描かれるが、わたしは早くひとりになりたくて仕方がない。正確にいえば猫と一緒に。

しかし、猫の寿命があるからいつかはお別れだが、3匹もいると3度も哀しさを覚えなくてはならないと想像すると気が滅入る。

3匹とも寿命が尽きていなくなってしまったら大きな空白ができるようで、そんな状態で生きていけるのだろうか?

週刊プレイボーイ元編集長の島地勝彦さんは大学生の頃まで一緒だった猫のことが今でも忘れらず、猫は好きだがその後は猫を一匹も飼っていない。

中には猫が死んだら次の猫を飼うチェーンな猫好きもいるが、わたしはそれができそうになく、島地さんと同様に今の三匹の猫のことが忘れられないだろうから猫は飼わないだろう。

今日も猫を抱きながらエアロバイクを漕ぎ、ジェネオケの企画を考えていた。そして、こうして猫を抱いていたことがあったよねって10年後か20年後に振り返るのだろうと感じた。

その頃のわたしは何をしているかわからないし、どこにいるかもわからない。でも猫を抱きながらできたばかりのオーケストラのことを考えていた時間は確実に存在する。

儚いものだな、と思う。

これまで生きてきて大したことしてこなかったなと思うし、こんなもんか…と昔思い描いていたこととは違うことをやっている。

意外と人生ってしょーもないもんだなと感じているのであるが、思い返せば大変なこともたくさんあったし、自分でしかできないこともやってきた事実もあるにはあって、でもそんなに感慨深いものでない。

多分それは忘れてしまうからであって、わたしのことを見てきた他人だってわたしのことを憶えているわけもなく、わたしだって他人のことは憶えちゃいない。

でも、猫がいたこと、猫と過ごしたこと、猫と一緒にいた幸福感はきっと忘れない。

わたしだってそんなに大きな寿命が残っているわけでないけれど、猫がいてくれたことで、

「よかったわ。この人生」

と、死ねそうである。

とまあ、猫もまだ元気なのにそんなことを考える。猫と過ごすことが最高の時間になっている。

そして、わたしもまだ元気なのにそんなことを考える。

あと20年くらいは生きられるとは思うのだが、過去20年を振り返るとあっという間だった気もするし、20年間でやってきたことは意外とショボかった気もするから今後20年間はそんなに期待していない。

と同時に過去20年間は自分が若くて、物事を知らなさすぎて馬鹿で、実力も乏しかったゆえにショボかったとも言え、だからこそ、今後の20年間のほうが充実している可能性はある。

それも20年後にしかわからない評価だけれど、大きくなった愛娘のことは将来忘れるだろうが、三匹の猫のことは忘れない。だから今から毎日猫を抱きしめている。

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