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歯が汚いのは学校の先生らしい

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結月です。

昨日はとあるイベントのために表参道へ。6歳の愛娘も同伴で、というのは連れていかないと間に合わないからだったが、6歳時にはいろんなところへ同伴してもらっている。今日は法務局も一緒に来てもらった。

それはまだ一人にできないからであるが、こうして子連れ狼状態でいると、

「シングルですか?」

と思われるようで、きっと口にはしないがそう思っている人は多いに違いない。

シングルってわけでないけれど実質シングルみたいなものなのは事実で、これからは面倒だからシングルってことにしておこうと思ったり。

しかし、昨晩は会場をあとにすると雨が降り出して、駐車場までおよそ15分、6歳児と結構びしょ濡れになったのである。相変わらずの雨女ぶりを発揮しつつ、栃木に着いたのは夜中の0時近くであった。

ともかく、いろんなところに同伴であるから、6歳の年齢の割には見聞が多いのではないかと思い、それはそれでいいんじゃないか。家にいたってどうせ大したことはしないのだから、それならわたしの仕事についてきてなんとなく見ておくとよろしい。

さて、昨日は歯医者をやっている方と知り合いになったが、

「一番歯が汚いのは学校の先生なんです」

と言っていた。

なるほど。それ、わかる気がする。もちろん、学校の先生がみんな歯が汚いわけでないだろうし、同じくらい歯が汚い職種があるかもしれないが、でも3万人も患者さんを診てきたという歯医者さんが言うのであるから説得力がある。おそらく肌感覚的にも、統計的にも学校の先生は歯が汚い人が多いのだろう。

どうして学校の先生の歯が汚いかを考えてみると、まず学校の仕事はブラックで手当てがろくに出ないくせに朝が早く夜が遅い。すなわち歯医者に行く時間はない。

あとは学校の先生は大学の教育学部を出てそのまま先生になっているので外の世界を経験していない。ずっと内向きの世界で、さらに相手にするのは「先生」と呼んでくれる子供たちと同僚くらい。

普通、会社に勤めていたらクライアントに会ったり、接客したり、取引先に営業に行ったりするから歯はちゃんとしておこうと思う。しかし学校の先生はそうしたことがなく、しかも大して偉くもないのに「先生」と呼ばれるものだから、自分の汚れを見つめない構造になっているのではないか。

あとは学校という場は、おそろしく前近代的というか、情報の更新がなされない。であるからして、世間ではちゃんと歯磨きの意識が高まっていても学校内部はそういう気運はないのだろう。

と、そんな推測をしてみたのだが、ともかく3万人を診てきた歯医者さんが、

「学校の先生の歯は汚い」

というのだから、統計的な事実なのだろう。

さて、かく言うわたしも昔は歯磨きがヘタクソで、さらに毎日パイプ煙草を吹かしていたものだから、前歯は茶色になっていた。ちょうど映画学校にいた頃である。

歯の意識なんてゼロであって、今から思うと自分で身の毛もよだつ有様だった。

その頃はパイプを一日に何時間も吹かせて、脚本ばかり書いていたのであり、そこに大量飲酒も加わり、酒飲んで寝て、起きたら脚本書いてという状態で生活リズムはまるでなく、歯磨きをしっかりするわけがなかった。

銀座に店を出して、前歯の差し歯が取れたゆえに斜め前のビルにあった歯医者に行ってから歯の意識が変わり始めた。

その歯医者からはくどくどと説教されて、クリーニングしてまた数ヶ月後に行ってもまた歯肉炎になっていて説教され、また歯磨きのレクチャー。

それでも歯磨きは上手にならず、もう自分は歯磨きは上手くならないと諦め、

「歯医者で定期的にクリーニングでいいよ」

と、宣言した。

一応、歯磨きをちゃんとしようとパナソニックの電動歯ブラシも買っていたが、それでも歯医者からは「ちゃんと磨けていない」と言われ、電動歯ブラシの出費にムカついていた。

そんな頃、シングルではないけどシングルだと思われているわたしの家人が「デンタルプロ」なる歯ブラシを買ってきた。それを使ってみると、歯間に入る感覚が実にいい。

その歯ブラシに感動してしまって、歯磨きの試行錯誤を続けていると歯磨きのコツなるものが見えてきた。そしてついに歯医者からは、

「ちゃんと磨けてますよ」

という信じられない言葉を頂戴したのである。

さらに今年になってから歯垢が見えるライトを買ってみると、これがかなりの優れもので磨き残しが全て可視化される。磨けていると思っていても磨けていない場所が見えるのであり、やはり歯磨きは見えないとどうしようもない。

歯医者がいくら口を酸っぱくして歯磨きの仕方をレクチャーしても自分で見えていないものはよくわからないのである。

そして磨き残しが可視化される光を当ててみると、歯磨きではどうやっても、何度やってもダメなところがわかった。そこは歯ブラシでは物理的に届かないのである。ずっと使っていた歯間ブラシでも届かない場所もあり、そこはさらに糸ようじを使うと取れたわけだが、それも角度があって可視化されないとその角度は見出せない。

というわけでこのライトのおかげで歯がスッキリ爽快で、これは広めたいアイテムである。

とまあ、そんな歯磨きだが、歯の健康状態は寿命にも関わってくる。しかしながら、多くの人はたかが歯磨きとも思っていて、よほどの革命が自分の中に起こらないと歯磨きは上達しない。磨けているつもりで磨けていないのである。

その意識革命なるビッグバンは何かのきっかけがないといけない。環境も重要で接客業なら意識は高まろうが、内輪向けで生き続けている学校の先生だと歯をきれいにしようと思う意識の爆発は起こりにくいだろう。

あとは例えばトラックの運転手などクルマの仕事だろうか。長距離、長時間の運転だと生活規則はないようなものだし、帰宅すると疲れてバタンキューで寝てしまう。歯磨きどころではない。

わたしも大昔、渋谷の今はなき東急東横店の地下食で肉体労働をしていたときは、あまりの肉体的疲労で精神は荒んでいたし、歯磨きどころか健康なんて考えなかった。

そう思うと、健康を意識するにはある程度の安定した環境が必要であり、そうでない人に向かっていくら説き伏せても伝わらないのである。むしろそう言われることに反感を覚えてしまう。

とまあ、統計的に学校の先生は歯が汚いという話を聞いて、もちろん歯をしっかりとケアした先生もいるだろうが、思い返せば大学時代、文学部の教員たちは歯が汚かった。

そもそも文学部の研究室が連なるそこは薄暗くて、カビ臭くて、教授たちは引きこもりだし、社会とは交わらない気持ちの悪い場所だった。

あんなところにいて歯磨きをちゃんとするわけがない。

わたしは当時は文学部であることを誇りに思っていたが、今は真逆で文学部出身であることが恥ずかしいなと思う。あんな世間知らずの集まりで、本ばかり読んで、というか本しか読まない人たちに人間や社会の何がわかるのだろう?と思うからで、今なら世話になった教授たちには、

「本ばっかり読んでないで、ちゃんと歯磨きしろよ」

と言ってやりたい。

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