結月です。
テレビをふとつけると、ダウンタウンの浜ちゃんが司会をしていて、ものすごく老人な顔になっていたのに驚いた。普段テレビは見ないから浜ちゃんを見たのも軽く10年以上は経つのであり、調べてみると59歳。59歳にしては随分老けていると思ったが、病気でもしたのか、それともテレビの仕事は忙しいせいかよくは知らない。
しかし、テレビは浜ちゃん世代でまだ出ているタレントがいて、若い世代もいるとはいえ、老けながらもメンツが変わりないのを見るとテレビ局の中にずっといると「変わらない」ことが時代遅れになっていることに気づかないのだろうなとわかる。時間と共に老けているのに10年前、20年前の感覚でいる。
時代に先駆けて生きていれば肉体年齢は年を取っても「老けた」という感じはしないもので、70歳すぎても若々しい経営者もいる。
いわばずっと毎日同じことばかりしていると「老け」る。
常に過去の自分、すでにやってしまったことやその実績、経験をぶち壊して新たな自分を生み出す新陳代謝があれば老けないわけである。
浜ちゃんが異様に老けて見えたのは、お笑いも確立して、新しい芸を開発することもなく、何年も同じようなバラエティをやっているせいかもしれない。大御所になると周囲が、
「それ、古いですよ」
と言わなくなるし、最新の情報も入りにくくなる。
だから、毎日同じことを続けるのではなく、自分がやったことがない分野に入っていくのがよろしい。たとえジャンルが同じであろうが、その中にも試みとして「新しいもの」はあるはずだし、やったことがないものがある。もしそれもないくらい開拓し尽くしたなら、そのジャンルからは足を洗って他のことをやってみる。
大学院まで行ったら、もう一度小学1年生になるような試み。そうして新鮮さを感じて生きていれば、そんなに老けて見えやしない。
さて。
先日、近所のイオンに行くと、怪しげな製品が並べられたコーナーがあって、そこにはメーカー不明のBluetoothヘッドホンや時代遅れになりつつある非接触式体温計、そしてスマホスタンドなどなど。
すると、YouTubeの配信に使うリング状の照明が980円であったので、一応買った。すっかりYouTubeも配信しなくなったわたしであるけれど、もしかするとまたやるかもしれないから安いので買っておいた。
あとは歯垢検査用ライトで、ペンライトの形状のそれは紫色の光が出て、それを歯に当てると歯垢の部分がピンクに光るという。値段は500円にも満たなかったので、性能的に怪しいと思いつつ、それでも安いからいいかと思い、買い物かごに入れた。
6歳の愛娘が興味を示してやりたがったので試しに光を当ててみた。すると、歯医者に虫歯になりそうだと1年前から指摘されていた箇所がピンク色に光った。まだ虫歯にはなっていないが、3ヶ月に一度の検診でその進行具合を診てもらっている。
そこを集中して歯ブラシで何度も擦ったが、ピンク色は光ったまま。子供の乳歯はギザギザだからブラシが届かないようだ。あとは奥歯の隙間もピンクに光った。
そして、自分も歯磨きをして光を照らすと、数カ所、歯茎との隙間がピンクに光った。照らしながら歯ブラシで擦ったがやはり届かない。
怪しいと思っていた検査用ライトだがしっかりと磨き残しを可視化してくれて、これはなかなかいい。
歯医者からは歯磨きのお墨付きはもらっているものの、どうしてもブラシが届かないところがあり、定期的にクリーニングしてもらっている。
歯医者目線の汚れが自分でもいつでも見ることができるこのグッズ、これは必携である。
実はわたしは子供の頃からずっと長らく歯磨きがダメダメな人間で、銀座に店を出してその向かいにあった歯医者に通うようになって、その歯医者にそのダメダメぶりを叱責されたのである。
何度も歯磨きの仕方を教わったが、やはりダメダメ。まるで磨けていない。そんな状態が何年も続いたが、ある日、自分の中で革命が起きて、歯磨きの方法を理解したのである。それは自分にぴったりな歯ブラシとの出会いからで、それからは叱られることがなくなった。
一番ひどかったのはおそらく映画学校にいた頃で、脚本を書いている最中はパイプ煙草を1日に何時間も吸っていて、さらに映画の企画ミーティングの合間は紙巻きタバコも吸いまくる。歯は茶色になっていて、それでいて映画人たちは得てして健康意識はないし、だらしがない人間の集まりであるから不潔であることがカッコよかったりもした。
しかし、銀座の歯医者に出会ったおかげで歯肉炎は凄まじかったが歯周病は回避し、意識改革後に愛娘は生まれたおかげで栃木に来てからは3ヶ月ごとに歯医者に連れて行っている。
歯周病の恐ろしさは歯医者が口を揃えて言うが、歯周病が心筋梗塞や脳梗塞、糖尿病に関連したりすることは明らかになっているから、どうやら歯だけの問題でなさそうである。
歯を大事にしようという意識が高まると、タバコを吸いたくなくなる。せっかく清潔にしたところにタバコのタールでベトベトにするのはもったいない気がするからである。それにタバコを吸うと口の中が気持ち悪くて耐えられない。
逆にタバコを吸いまくっているときは口の中の気持ち悪さが感じないもので、それだけ口内が不潔であるのだからゴミ屋敷みたいなものである。ゴミ屋敷ではどんなにゴミが増えようとも気にならない。
しかし今から思えば、あんな口が気持ち悪くなるものを毎日吸っていたものだと驚くけれど、今でも企画を考えたり頭を過剰に使うと、
「ふぅ…ちょっとタバコでも…」
と思うが、吸ったあとの不快さを想像するとビビって、というか面倒で吸わない。それでもごく稀に吸ってしまってものすごく後悔する。ダッシュで歯磨きするも臭いは取れないし、1本吸っただけでも翌日まで消えない。それほどのものなのに昔は気にならなかったのだから、不潔というのは恐ろしいものなのである。
とは言え、仲間がちょっと一服しているとそこは否定しないで、
「一本、頂戴」
と、一緒に吸う心地よさはいいものである。
そんなタバコであるが、ゴミ屋敷にはゴミが増えても気にならない理論はお酒にも言える。
それほどの量のお酒を飲めなくなった弱体化したわたしは人と会ったときに飲むのは飲むが、アルコールを見るだけで飲酒後のグロッキーを思い出してしまって、ちょっとビビる。
さらにグロッキーになっている数時間の時間的無駄がもったいなくて、残りの人生も後半戦で、そんなに時間の余裕があるわけでないことを考えるとグロッキーになっていられない。
しかし、ちょっと前までグビグビ飲んでいた頃はどんなに飲んでも気にならなかったわけで、今では不思議な気がする。
とは言え、最初からタバコも吸わず酒も飲まずだと、人間という生き物の駄目さを理解できなかったから過去の不摂生はそこまで後悔はしていない。
これからやろうと思う予防医療も自分がダメダメだったリアリティを説得力にして行っていく。お酒を飲んだことない人に「酒を控えろ」と言われるとムッとするし、同様に「タバコやめろ」と言われるとカチンと来る。
飲みたくなる気持ち、吸いたくなる気持ちがわかった上でないと伝わらない。
でも、たまには飲も。たまには喫おう。ガチガチにやめろと言われたら腹が立つし、楽しくないからたまにはいいでしょ。それくらいのアプローチでいく。
そんでもって健康診断して、大丈夫だったらよろしい。でも、大丈夫だったからといって、ガバガバ飲んで、スパスパ吸ったらきっちりと病気になる。肉体は機械と同じだから、無理なことやって故障がないわけがない。
そういう意識を持ちながら、新しいことを挑戦していこう。そしたら老けない。同じことは続けるな。やったことがないことをやろう。
すると肉体も精神もいい状態でいられる。