結月でございます。
毎日3歳の女の子と暮らしていると、まあ落ち着くことがないというか、保育園に行ってくれている間だけが落ち着ける時間。
歯磨きだって素直にやってくれなかったり、パンツを替えてあげたり、道路で走らないように注意し続けたりとまあ、忙しい。
「べんきょうする〜」
と、ひらがなや数字の練習帳を持って来られると、
「勉強しなくていい」
とは言えないから、それに付き合う。
一生懸命書いたひらがなをジャッジしてハナマルをつけたり、時にはバッテンをつけたり、書き方を教えたりしていると、3歳という恐るべき若さがこちらにも伝わってくる。
と、わたしもそこそこ若いのだけれど、3歳の子がいなければもっと老けていたかもしれない。
3歳児にとっては世界のすべてが新鮮であるから、生活に鮮度があってわたしも感化されるのである。
一般的な年齢からはかなり遅れて4年前に自動車免許を取ってクルマを運転するようになって、「これは若返ったな」と思ったけれど、さらに3歳児のおかげでさらなる若返り。
3歳以前はまだ言葉もまだいまいちで、話す内容も簡単なものだった。その時はそれほど感じなかったのが、3歳になってかなりコミュニケーションになって明らかに「人格」ができあがって、「相手」として接することができるようになったのが大きい。
ともかく、3歳の子といると、時代の過去ではなく、時代の未来を共に生きるからわたしのほうは逆行して若くなる。
10年前の自分のほうが明らかに古い体質だったと振り返る。
やはり年寄りと話すより、自分より圧倒的に若いひとと話すほうがいい。
先進的な年寄りならいいけれど、時代の過去のままの年寄りといると、こちらまで老けてしまう。
価値観は常に新しく。最新の価値観をアップデートしておく。
そうやって生きているから、3歳児にも新しい価値観で接することができている。
親が古いままだと子供が成長しない。
今、コロナのせいでちょっと前の価値観が簡単に覆ろうとしている激変期だから、数ヶ月前のコロナ以前の価値観で生きていると、マジかよ!っていうくらい短期間でズレた人間になるよ。
これを悲劇と考えるか、喜劇と考えるかで結果が変わってくる。
同じ現象を目の前にしても考え方次第で結果は真逆になるんだよね。