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歯磨きしたつもりでも虫歯にはなる。

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結月でございます。

ふぅ… やっと三連休が終わった。連休後に保育園に行き、一人になったときの解放感はいつもながら格別だぜ…

と、三連休は3歳児とずっと一緒で、昨日は愛娘にとっての初クラシックコンサート体験。

本来なら未就学児童は入ることのできない場も、スペシャルな親子室に入れてもらえて3歳児のくせに弦楽四重奏を見るというアダルトな体験ができた。

そんなコンサートから帰り、晩ご飯を食べ、ようやく寝てくれて、わたしもやれやれと床に入ったときは保育園がない三日間に心底疲れてグッタリとしてしまった。

とにかく、3歳児は目を離すことができず、常に神経バリバリの状態。それでも駐車場でいきなり走り出そうとしたり怖いったらない。さらに無間地獄のようなママゴトがあったり、誰に似たのかDVDをレンタルしたら、休みなしに三本立てで映画を観たりとやることが過激すぎる。

ちなみに映画はアナ雪の1作目で、これはすでに一度観ていたのだけれど、エルサのことが好きすぎてもう一度観たいというリクエスト。

「まあ、前回は英語で観たから、今回は日本語吹き替え版でいいか」

と、それに付き合う。

エルサの歌が大好きで、3歳のくせにいつもアダルトな歌詞を覚えて歌っている。

そして劇中、エルサが捕まろうとするとき、エルサに感情移入して号泣。

というわけで、3歳児といると自分の時間を生きることができないので、これは実に疲れるのである。

とは言え、行動の節々に明らかな成長が見られ、それがあると納得できる。

きっと老人介護と異なるのは、この成長の有無だろう。

年寄りの介護は成長よりも衰退に付き合わなければならないから、これはキツい。

さて、三連休は二度、栃木の那須方面へ行ったが、千本松牧場は賑わっていたし、コンサート帰りの国道4号線も渋滞していた。

コロナがこれだけ言われても、外出する人は多い。

わたしはこれを健康的なことだと思っている。

確かに感染拡大地域では病床の枯渇がリアルになっていたりするようで、それはそれで大問題ではあるのだけれど、だからと言って外出を控えろと自粛を促してもあまり届かないように思う。

そこが様々な現実の絡み合いで難しいところとは言え、

「自粛なんてもうやってらんない」

という気持ちが多数を占めているからでないか。

それは緊急事態宣言で日本は法的な命令ではなく、社会的空気に任せた「自粛」を選んだせいで、いわば善意に委ねたボランティアの要素が強すぎた。

一度はいいけれど、二度はできない。いい加減にしろ、となる。

そう思えることが実は精神が健全である証拠で、そうでなければ肉体でなく精神が病気かもしれない。

「いい加減にしろ」とならないと、発狂してしまう。自分がやばいことになりそうという防御本能。

だから、病院で働く現場にとっては、GoToもやめて自粛してくれと願われつつも、それは響かない。

病院内部のことは表に出ないから伝わりにくいし、それ以前にもう我慢しきれないという気持ちの方が強い。

あとは、感染学的に自粛が求められても、もう一度緊急事態宣言みたいな状態になると経済、つまり生活のための仕事がマジでヤバいことがリアルに感じられたこともあるだろう。

それに感染対策はこれまで散々言われていて、感染症にできることは限られていることはすでにわかっていて、それを今までやっても収まらないのだから、

「もうしょーがねーよ!」

と薄々わかってきている。

だったら、旅行でも行って、外出して遊びに行って金使ったほうがいいじゃないかと思うことも人間的には正しい。間違ってない。

そもそも人間は感染学が主張する非人間的な対策には従えない。なぜなら、わたしたちは生きてるからで、つまり「生き物」だから。プログラムを組んだらその通り動くものでなく、感情があり、非合理的な生き物として生きている。

予防策なども、これは歯磨きと同じ。歯をちゃんと磨かないと虫歯になるし、歯周病になるよと専門の歯医者は主張する。ハミガキのやり方もレクチャーする。しかし、虫歯も歯周病もなくならない。

それはハミガキをちゃんとしない人はやっぱりしないし、ハミガキしてもやり方が悪い人はやっぱりちゃんと磨けてないから。

マスクをしろとか専門家会議が言っても、そもそもマスクの品質もバラバラ。つけ方もまちまち。その上、通気性がいいマスクが売れていたりする。さらにマスクは毎日同じもので「いつものやつ」が不潔な装いでカバンに入りっぱなしだったり。

だから、正しいハミガキをいくら啓蒙しても、毛の広がった歯ブラシをいつまでも使っていたり、ハミガキしたつもりでも奥は磨いてないとか、そういうことなんだよ。

それでもってマスクを着けることが大義名分化してしまって、とりあえず顔にくっ付けていればオッケーみたいな免罪符になっていて、さらに屋外で人も歩いていないようなところでなぜかマスクすることにもなって、本質から遠ざかっている。

「ここはマスクいらないでしょ」という場所の判断ができない人がたくさんなため、いつでもマスクみたいな状態。さらに効果ゼロのフェイスシールドまでしてたりと、もはや喜劇化してる。

それでいて感染がちょっと広まるとまあ大騒ぎなんだから、

「もう付き合ってらんねー」

そういう気持ちの表れが三連休の賑わいだったのだと思う。

しかし、飲食したら咀嚼していないときはマスクとか言い出して、

「おいおい、アタマ、大丈夫?」

な有様。

ハミガキで言えば、デンタルフロスをしろと言われるのは理解できるけど、歯周病になるからご飯を食べて咀嚼するたびに歯磨きしてくれって言われるようなもの。

要は現実離れしちゃってるわけよ。もうそれくらいしか言うことがないのだろうけど。

学問的に強烈に合理的に考えたアイデアは生身の人間には適応できないという「当たり前」が理解されてないのよね。

逆に社会が自粛したら、自分の会社がヤバいとか、バイト先が潰れるとか、そういうことは当たり前として理解しやすい。

だから、感染対策がいかに学問的に正しくても、生身の人間ができることには限りがあるってこと。

育児だって三連休でヘバるほどのもので、これを2ヶ月とかそれ以上を保育園や学校を閉鎖して家で子供の相手してろというのもできることの「リアル」を飛び越えてる。

いやいや、人間にはそんなこと、無理なんだって。

そう考えたら、連休で観光地が賑わうのは「気の緩み」ではなく、自粛は精神的に無理!っていう意思表示だよね。

だから、もうそれでいい。わたしはそう思う。それが健全だから。

あとは政治がどうバランスを取るかであって、病床が足りないというのも感染が収まっているときに準備しなかったからとも言える。中国みたいに突貫工事と人海戦術で巨大な病棟を作っちゃうみたいなことをやっておけばよかったのだけれど。

とは言え、いろいろと複合的な問題、それは行政の予算だったり、面倒な根回しだったり、利権が絡み合っていたり、まあ、それは煩雑極まることがあって、中国みたいに強権で「えいや!」ってやれないのが日本なのだから仕方がない。これは言っても仕方がないものなんだよ。

だから、現状は日本としてできることをそこそこやった結果が今なのであって、ゼロリスクはないってこと。

そして、マスクや消毒など感染対策がしっかりとした知識でやられているわけでなく、

「後でなんかあったらメンドーだから」

という日本的空気のためにやっているポーズを見せるだけという無意味さ。

そんなアホらしさはもうみんなわかってるよね。口にはしないだけで。

いやいや、マジでワイドショーを信じてる人も多いか…

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