結月です。
明日で3月も終わり。来年のジェネオケ公演をどのような方向で行っていくか、さらにジェネオケの長期的にどのような取り組みをやっていくかを考えた3月だった。
これからどこに行ってもプレゼンできて、誰に会ってもプロジェクトの魅力と意義を語れるように煮詰めていく。
今まで音楽を音楽としてしかやってこなかったけれど、生活習慣病の予防といった健康維持を音楽の活動に織り込むことでようやく自分としてはどんな人にもアピールできる社会性を得られたなと思う。
着物だって、クラシック音楽だって結局のところ、ものすごく閉鎖的なものでニッチであり、願いとしてそれらを楽しんでくれる人が多くなればいいなというのはあれど、社会性がないものは最初から無理筋なのである。
それらは非日常であり、なくても困らない。ないと困ると思うのは呉服業界だったり、音楽関係者だったりで、要するに自分の仕事がなくなるから困るだけで、社会的にはなくても困らない。
でも一方でそうしたものはないよりはあったほうがいい。そういう楽しみというか、美的な文化がないと社会は殺伐としてしまうから。と同時にそれらは非日常であるから、当事者以外はそれらに日常的には付き合いきれない。
そんなジレンマをずっと抱えていたが、予防医療の活動をしようとすることでジェネオケの活動はこれから一気に社会性を帯びることになる。単に音楽だけをやるのではなく、ジェネオケの公演に来てくれる人、そしてその情報を見る人、さらに演奏者にも肉体的な健康の重要性を知ってもらう。そもそも健康でなければ音楽を末長く楽しめやしないのだ。そしてもちろん音楽は超一流をやる。
とまあ、そんなことをやりたいから生活習慣病についての見識を深めるために今日もいろいろ調べていた。特に糖尿病。
知ればするほど糖尿病は恐ろしい病気で、それでいて重症になるまで真剣になれないところがあって、そうやって糖尿病になっていく。
糖尿病は血管の病気で動脈硬化を引き起こすが、それが元で心筋梗塞や脳梗塞を発症させる。
今はコンビニに行けばいつでも高カロリーでおいしいものは買えるし、飲食店も美味しさを追求しているから「うまいもの」が多い。そのため例えば40年前よりも糖尿病になりやすい。
ペットボトルの清涼飲料水は数多くあり、手軽。わたしが子供の頃はコカコーラは瓶で売られていて、ジュースはバッグにいつでも入れられるようなものでなかった。でも今はいつでも買えて、いつでも持ち歩けて、いつでも飲める。糖分の摂取量は飛躍的に高くなっている。
またケーキ類もコンビニでいつでも買える。これまたわたしの子供時代はクリスマスケーキですらバターケーキなる不味いものが売られていた。生クリームのケーキなどそう手に入るものでなかった。
ラーメンにしても今はバラエティに富んで、しかもうまい。昔は不味いラーメン屋は普通にあって、そんな喜ばしいものでもなかった。
とにかく、今は食のレベルが高すぎて普通にしていても糖尿病になりやすく、よほど気をつけないとそれを予防できない時代なのである。
それでいて糖尿病は自覚症状がないし、健康診断でもその数値の意味を理解できる人はそう多くない。医者の説明も不足しているように思う。
今日、ヤフーの記事で糖尿病のものがあって読んでいた。ヤフコメは程度が低いことで知られていて、確かにひどい内容ばかりなのであるが、糖尿病の記事に対してはたくさんの糖尿病の人たちが自分の体験をリアルに書き込まれていて、参考になる体験談が多かった。
亭主が糖尿病で低カロリー食を奥さんが作っているのに自分の部屋に引きこもると夜中にお菓子を食いまくる亭主。
糖尿の合併症で目が見えなくなってきて、スマホを見るときは誰もが驚くほどの超拡大のフォントサイズの人。
糖尿病を放置していたせいで治療のための薬代が月額2万円の人。
どれも悲劇的な話ばかりで、でもそれは珍しいものでなく、それくらい糖尿病は生活習慣化している。
かく言うわたしも生活を改善させなければ糖尿病になっていたに違いない人間で、気づいたおかげでセーフだった。
だから、気づけばセーフになることを早急に伝えたいのである。
そんなことを考えながら、公演の試みが社会性を持つこと、そしてそれをやる意義をプレゼンできるようにしている。
思えば今年になって1月は昨年末の公演の事後処理に追われ、来年のことを考えられるようになったのは2月から。その頃は予防医療を活動にすることは考えもしなかったので、この2ヶ月でまあまあの進歩だと思う。
そして隗より始めよで減量は続行中。今日もエアロバイクを夕方までに合計2時間弱、夜に90分行なった。
体重は減量を始めて2ヶ月時点でマイナス8kg超の段階。さらにあと8kgは落とす。
こうして自分のことはできるのであるが、予防医療の難しいところは「他人の人生には介入できない」ということなのである。いくら不摂生な生活でもそれはその人の人生であり、そうならざる得ない環境もあるし、人間としての弱さもある。
だから、生活習慣を改善しろとは言えず、検査しろとも言えない。せいぜい近しい人には、
「検査したほうがいいよ」
と、少しだけ言える程度である。
100人に対して情報を発信して、理解してもらえるのは1人もいないかもしれない。それくらい生活習慣病は習慣化しているから自覚がないし、生活を変えようとしないものだし、不摂生は美味しいもので楽しいものなのだ。
でも、500人に対して情報を発信すれば、1人はそれを理解して生活習慣病を未然に防げるかもしれない。
健康の情報は得てしてつまらないもので楽しいものではないけれど、音楽を楽しむついででいいからちょっとは気に留めてもらえればそれが予防のきっかけになる。
ジェネオケの公演があるときに健康診断のことを思い出してもらってもいい。公演のたびに健康の意識を盛り上げて、ダイエットしようかなだとか、酒を控えようとか、食べ過ぎをやめようだとか、運動始めようかなと思ってもらえるといい。
小さな意識改革によって死なずに済むことはあるし、未来の治療費で家計が困ることもなくなる可能性がある。
そこにジェネオケのコンセプト、
「生きてることに、歓喜しよう」
につながっていくのだ。