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舌下免疫療法、始める。

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結月です。

「趣味・病院」であるわたしは何かあるとすぐに病院に行くので、現在、ほぼ全身の診察券を持っている。持っていないのは眼科だけであろうか。

今日は耳鼻喉科にアレルゲンを調べるための血液検査の結果を聞きに行った。1月から鼻詰まりが続くようになったため、2年前の人間ドックの時のように蓄膿が発覚するのではないかと思った。しかしながら、人間ドックでは蓄膿はなく、ではどういうことか?と思ったので耳鼻科へ行ったのである。

鼻の中を見るとすぐにドクターは、

「鼻炎だね」

と言った。

そこでどんなアレルギーなのかを調べるために血液検査をしたのである。どうやら血液を調べると40種類以上ものアレルギーがわかるらしい。

そして、今日の結果ではわたしの場合、ダニとハウスダストであった。花粉症はなし。

そうなのである。それはもう昔から知っている。子供の頃から喘息持ちであったわたしはハウスダストがある場所に行くとたちまち反応していたから。ダニというのも頷ける。

前回もらっていたアレルギーの薬を飲む話もあったが、ドクターが言うには舌下免疫療法というのがあり、

「すごくいんだよ」

と、キッパリと言う。

医者が「すごくいい」と言うのだから、よく効くのだろう。

しかし、それは3年から5年は続けなければならない。それを聞いて、

「めんどくさいな…」

と一瞬思ったが、考えてみればダニ&ハウスダストのアレルギーは子供の頃から積年のもので、保育園から小学低学年のときは毎晩、寝る時に咳が止まらずひどかった。本当に苦しかった。そんな苦しみに母は当時、咳き込んでいる小さなわたしの胸にヴィックスヴェポラップを塗っていたのである。

アホじゃないか。そんなもの、効くわけないじゃないか。

しかし、当時はその程度の知識だったし、今ほどいい薬もなかったし、そもそも親の知的水準も低かった。それに毎晩の咳のひどさがあるのに病院へ連れていくという概念がなかった。

そんな苦しみが思い起こされ、今はそんな咳はないとはいえ、鼻詰まりがある。特にそれは夏と秋には恒例行事となっている。

そんなアレルギーが3年から5年で治るなら早いものじゃないか。これをやらないと中途半端に鼻炎薬を貰わなければならないし、それは対処療法でしかなく治すものでない。幼少期からの難敵をやっつける時が来た。

というわけで舌下免疫療法の提案に、

「じゃあ、今日からということで」

と、お願いした。

今後、毎月薬をもらいにこなければならないが、診察はいらないらしく薬だけでよろしいとのこと。ただし、6ヶ月おきには診せてほしいとのこと。

今日は初日ということで、舌下錠をしても大丈夫かどうか病院でそれをやり、30分間待つことによってアナフィラキシーショックがないかを確認する。

30分間、スマホを眺める。医学部のランキングを見ていた。愛娘には医者にでもなってくれやしないかと思った。

その間、向こう側では診察が行われていて、その様子を耳で聞いていた。同じアレルギーの患者が来て、ドクターはわたしにした同じ提案と説明をした。しかし、声の主は、

「わかりました」

とだけ答えて、舌下免疫療法をしないで帰ってしまった。

確かに3年から5年と言われると「そこまでは…」と思う。そこまで続けられる自信がない、途中でやめてしまいそうな自分のことがわかる。あとは医者が金儲けのために勧めているのではと思う人もいるかもしれない。

しかし、アレルギーは放置していても治るものでないのだから、何もしないということは問題の棚上げなのである。

得てして、体のことは棚上げするケースが多いものだ。わたしだってずっと棚上げしてきた人間で、ギリギリそれに気づけたからよかったが、その代償は大きく、すでに治らない状態のものはある。だから今後はそれを進行させないことに徹するしかなく、もう無頼派はできない体なのである。

物事にはあえて棚上げしておいたほうがいいことがある。今は無理にそれを解決させようとせずに、機を待っておく姿勢。しかし、健康面では棚上げはしないほうがよく、治せるものは治すほうがいい。自分の体の問題を直視する勇気とそれを解決する根性が求められる。

その勇気と根性は軽いものでなく、検査では注射針など多少の苦痛はあるし、胃カメラや大腸カメラは快適なものでない。金もかかるし、時間も取られる。その手間と面倒を考えれば、スルーしてしまいたくなる。まあ、死にやしないだろうと思い込む。

ただ、内容によっては本当に死んでしまうのである。アレルギー性鼻炎では死なないが、生活習慣病は死につながる可能性がある。心筋梗塞や脳卒中は思いのほか、身近なところにある。

だから、自分の肉体の状況については直視するべきで、そこにある問題はすべて受け入れる。しかし悲観することはない。それを受け入れれば治癒できるから。駄目なのは受け入れずに、見て見ぬふりをして棚上げしてしまうことである。

と、そんな考え方を特にここ1ヶ月で濃縮させた。病院で検査するようになっておぼろげに考え始めたことであるが、それをジェネオケのプロジェクトに組み込もうと思ってからは一気に進んだ1ヶ月。

実は昨日も医療関係者に会いに行って、ものすごく有意義な話が聞けた。その医療技術が使えれば、未然に病気を防ぐ啓蒙を音楽と共にやっていける。

公演という音楽の場に医療も持ち込み、オーケストラメンバーの健康、そしてわたしたちの音楽を聴いてくれるお客さんにも健康を提供する。

これは全国展開できる内容で、ジェネオケのコンサートに来てくれることによって病気を予防できる。

音楽のための音楽はもう絶対にやらない、と決めたわたし。そういう内輪だけのものでは世界は広がらない。それに内輪だけにしか音楽がなされていないことは音楽にとって大きな問題なのだ。

健康について棚上げすることがありふれている現状を見れば、この試みは少しずつ、少しずつ進めるもので、一気に達成されやしない。小さな理解を積み上げて、大きなムーヴメントになり、最終的にはこの試みが「常識」と言われるような段階になればプロジェクトは終了。

戦争カメラマンのロバート・キャパが、

「戦場写真家の一番の願いは、失業することだ」

と言ったことと同じである。

病気は未然に防ぐものという認識が「常識」になれば、わたしのプロジェクトは失業でいい。

しかしながら、わたし自身だってここまで思えるようになるには時間がかかった。気づかなかったら死んでいたに違いないと知ることで考えられるようにはなったが、それでも昨年まではまだ生活習慣も徹底できていなかったし、公演で忙しいと言い訳をしながら運動不足でメタボである。

幸い、糖尿病にはなっていなかったというのは救いで、糖尿病はサイレントキラーである事実以前にダサい。糖尿病になることは自分の美意識が拒絶していた。しかし体重は落とさず、昨年同様の生活習慣だと糖尿病になる未来が見えた。だから1月末日から減量を始めている。すでに7kg以上は落としたが、まだまだである。BMIはまだまだアウトである。しかし、この調子でいけば、2ヶ月後にはBMIはクリアできる。

そんなわけでプロジェクトの内容もかなり奥行きが出てきて、準備スタートである。ようやく誰にでもわかりやすくプレゼンできるところまでまとまってきた。

音楽のことはコンマス以下、オーケストラメンバーに任せる。そしてわたしはいかにジェネオケという活動が社会的に意義を持てるかをやるのである。

随分おもしろくなってきた。こんな試みをするオーケストラなんてないし、音楽が音楽の外に出られて、生きる根幹である健康も伝えられる。

そして未然に病気を防げれば、実は国家の財政にも貢献できる。なぜなら、糖尿病ひとつでも医療費は膨大で、誰かの糖尿病治療のために税金が使われているから。ひとりが糖尿病にならなければ数百万円、いや病状によれば1,000万円以上は浮く。

逆に言えば、生活習慣が悪い人が増えれば増えるほど国家の医療負担は大きくなる。そのために増税なんか言われたくはない。

そんな壮大な意味も含めながら、まずはひとりでもいいから生活習慣病の怖さを理解してもらうこと。ひとりずつ、ひとりずつわかってもらう。たったひとりでも病院に検査に行ってもらうことは容易でない。危ない人ほど病院に行ってくれない。

でも、ひとりずつ、ひとりずつ。そこに音楽を添えて。

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