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ペンギン池に落ちてもおもしろくない。

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結月です。

スーパーに野菜や納豆を買いに行くと、カップ麺などが山積みされているのを見る。

「カップ麺というのは、うまいんだよね」

と、懐かしく思えるのは減量を始めて2ヶ月近く、カップ麺なる代物は口にしていないからである。

かと言って、カップ麺を食べたいとも思わない。ついでに近所にある家系ラーメンの前をクルマで通り過ぎ、何度か娘を連れて行ったことを思い出し、確かにあれもうまいんだよね、と思うも食べたいとはではいかない。

体重が落ちていくプロセスを眺めることが楽しみだから、わざわざうまそうなカップ麺などを食べて台無しにしなくないと思うからで、これぞ価値観というもの。

お酒に関してもほとんど口にしなくなって、人と会うときに飲む程度。先日も奥日光で小さな同窓会でホテルに宿泊し、いつもの料理を食べながらお酒は飲んだが、無料サービスの冷酒とハイボールを追加しただけで事足りてしまった。

昔ならそれの3倍から5倍は飲んでいたのに、今はちょっと飲んだだけで体がキツいし、眠たくなるしで、軟弱である。奥日光ではそんなグロッキーが嫌だから、事前に「ウコンの力 super」を飲んだが効いた実感はなく、グロッキーまでいかずともちょっとキツかった。

大した効き目がないならsuperがついたちょっと高いやつでなく、普通のやつでよかったと些か後悔する。

お酒を連日飲んでいた昨年までは月額5,000円はお酒代に使っていたと思う。そこに飲み会が入るともっとだし、銀座にいた初期は週に4回はバーに行っていたからかなりの出費。しかも昔は安いお酒はあまり飲まなかったから月にいくら使っていたのかよくわからない。

ともかく、栃木に来てからは多分月額5,000円ラインだと肌感覚でわかるのだが、それが今ではほとんどなくなって安上がりである。

サントリーもかなりの値上げをするらしく、あの角瓶が2,000円近くになるというのだからドリンカーたちはますますストロング系の缶酎ハイに流れることだろう。

さて、お笑い芸人がペンギン池に落ちて批判されているが、それも時代だなと思う。

動物愛護の精神は高まっているし、そもそもノリで池に落ちることがおもしろいと思われたのはせいぜい90年代までなのである。だから、テレビの価値観が昭和平成のままだということで、あんなお約束な展開に笑う視聴者は少ないだろう。

オールドメディアなど「オールド」と冠がつくようなジャンルは価値観が昭和的で、だからこそ「オールド」と言われる。

そんなオールドはテレビ以外にもたくさんあるが、ちょうど今はそんな昭和的オールドもまだ生きているから境目の時代なのである。

その境目だからこそ批判が出るわけで、スシローペロペロを批判的に報じていたテレビが同じような迷惑動画さながらの演出をするのだからオールドは困ったものだ。

ただ、動物園側の「動物の尊厳」という言い回しもちょっと大げさであるとも思う。

とは言え、収録場所の那須どうぶつ王国はわたしも何度も愛娘を連れて行ったが、大変動物を大事にする動物園で、清潔だし、飼育員にとっては育てているペンギンもわたしにとっての愛猫くらいの想いがあるかもしれない。

ここではカピバラを触れるのだが、そのプールにはカピバラたちのウンコがぷかぷかと浮いていて、飼育員がそれを長い柄杓みたいなものですくいとっている。それを外から見る子供たちが、

「あっちにもウンコ、あるよ〜」

なんて余計な指示をしていて、わたしは飼育員の兄ちゃんに同情してしまった。

しかし、それくらい那須どうぶつ王国は清潔だし、動物を大事にしている。だから、ウケると思って池に落ちる場所としてはよろしくなかった。

栃木には宇都宮動物園という古い動物園があるが、ここは昭和のまま残されたようなところで、典型的な檻に動物たちが入れられ、今の時代からすると動物たちが可哀想に見える。不衛生だし、ちょっと劣悪な感じがする。園内の臭いもひどい。

運営力の差だと言いたいが、それはもう仕方がないことでどうにもならない。宇都宮動物園は彼らなりに頑張っているのだろうが、あの古さを改修する予算もないのはわかるし、昭和のままでいくところまでいくに違いない。

今、テレビはコンプライアンスがうるさくて、すぐに批判やクレームが飛んでくるから気の毒である。がんじがらめになって、特にお笑いは自由がなくなって笑いをとるのが難しくなっている。ただ、動物の尊厳という仰々しい言葉以前にペンギン池に落ちる芸は単純におもしろくなかった。おもしろくないものはおもしろくない。

しかし、動物の尊厳というのであれば、そもそも動物園に動物を連れてきて展示していることが動物の尊厳に反しているのである。那須どうぶつ王国で人気のスナネコもガラスの部屋に入れられてノイローゼ気味だったし、問題になったフンボルトペンギンだって南米の沿岸にいる動物で、それが海もない内陸の那須にいること自体が動物にとっては強制連行みたいなものと言える。

動物を大事に飼育しているのは見てわかるが、そもそも、そもそも動物園で動物を飼育することに動物の尊厳があるのかよくわからない。どうもスッキリとしないものがある。

動物という存在に尊厳をどう認めるかは哲学的なことだけれど、容易に尊厳という言葉を使えて、しかもそれが支持される思考停止なところも気になる。動物に尊厳があるなら、マクドナルドやケンタッキーは食べられないし、じゃあ菜食主義になればいいかという単純な話でもない。

動物園が動物の尊厳という言葉を使うのも偽善的な気もするし、しかし動物が好きで可愛がっている事実も知っている。大事に育てているペンギンが怪我するようなことはするなと思う気持ちもわかる。ただそれが動物の尊厳という「尊厳」なる哲学的な意味がある言葉がふさわしいかどうか、違和感がある。

わたしは自分の3匹の愛猫をこよなく愛しているが、あの猫たちに「尊厳」なんて言葉は使わない。使うなら「愛」。

だから池に落ちたことが問題なのは、フンボルトペンギンが主体ではなく、飼育員たちの愛に関わることなのではないか。尊厳は人間がペンギンに勝手に与えているだけで、ペンギンはそれを認識する能力がないのだからやはり哲学的には誤謬に思える。

尊厳の対象になるのはその尊厳を主体的に認知できなければただの一方通行になって成立しないから。

それゆえに人間には尊厳が成立する。

そして時代的に動物が怪我しそうなシーンは心地悪く、動物の痛みに対し人間側が想像力を持った状態、つまり動物の痛みを擬人的に捉える時代であるから嫌な気分になる。

ともかく今は動物にも尊厳を感情移入する時代だし、同時に牛の値段がつり上がるほど牛を殺して大量に牛肉を食べている時代でもある。

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