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子持ち銀河、撮影した。

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結月でございます。

今日の午後は宇都宮。

行きつけの神社、二荒山神社にお参りするのは時間があるし、行っとこって感じ。

すると、前にいるおばさんがやたらと長い。一体、何をどんだけ拝んどんのや。願掛けすぎや。神様がそんな粘着質な願い事を聞いてくれると思うな。さっさと済ませ。

と、後ろにいるわたしは胸の中で悪態をつくのであるが、神社なんて願掛けするような場所でなく、

「頑張るんで、見といておくれやす」

くらいの決意表明でさらりと済ませるのがよろしい。そもそも神様が何かしてくれるわけがない。1日に多くの人が参拝するのに、みんなの身勝手な願い事なんか聞いてられるか。その立場は神様も人間も同じなのである。

しかし、人間同士でも「やる気のない奴」を助けることができないのは鉄則である。最初から他力本願だったり、自分でリスクを負おうとしないだとか、自分でやり遂げる意志がないとか、そういうのは助ける術がない。

であるからして、神社で願掛けするようではそもそも自分で解決しようという気がないのだから、そういう人間を助けることは不可能なのである。

目標設定を自分でできない人なんかも救うことはできない。自分が何をやりたいかがないんですなんてのもよく聞く話だけれど、やりたいことがない人に生き甲斐を提供するのは無理なのである。

でも、自分で目標が作れなかったり、やりたいことがないことに悩むなんて人は思いのほか多いもので、こればっかりはいい年した大人がどうこうなるものでないから諦める。好奇心がない人間を好奇心を持たせるのはできない相談なのだ。

さて、急速に減量中であるわたしはマイナス10kgを目標にしていて、減量開始から20日間ほどでマイナス3kgの段階まで来ている。

4月下旬の結美堂山ガール部での山登りまでにマイナス10kgを達成したいところで、計算上は達成可能。

目標はマイナス10kgであるが、さらにマイナス2kgくらいまではいってもよろしい。

食べるものはほうれん草のおひたしや絹豆腐を冷奴のみ。今日は宇都宮のドンキで菜の花が売られていたからそれを辛子和えにした。これから菜の花がたくさん出てくるから楽しみである。栃木は新鮮な朝摘みの菜の花が道の駅ですぐに買えて、しかも安い。これを辛子和えにすると大変なおいしさなのである。

そして1日1時間半のエアロバイクをやると、背中や肩のコリも随分なくなって、血行が良くなったようである。

と、そんな順調すぎる減量。栃木に来てからのクルマ生活で極度の運動不足になった肉体を改革する。

ところでジェネオケの次回コンサートの企画をいろいろ考えているが、いつも大変なのはソフトではなくハードである。

ソフト、つまり音楽の中身みたいなものは実に簡単で、やりたい音楽をどういう組み合わせでやればいいかを「感性」で捉えればいいだけ。感性に委ねるジャンルは容易い。難しいのは現実的なハード面で、リハーサル会場の確保など、そういったことが容易でない。

あちらこちらに電話をかけまくって空き状況を確認したりするが、それも競合があるから面倒なのである。しかし、そうした会場が確保できないと、いくら感性で素晴らしい音楽をイメージしてもそれは実現しない。

とまあ、そんなことを週明けから取り組まねばならず、正直言っておもしろくもなんともない業務である。

そんなハード面のことを考えつつ、どんな意味でコンサートをやるかも考える。ジェネオケのコンセプトは、

「生きてることに、歓喜しよう」

だから、これをもっと具体的にやろうと思う。

ただ音楽をやるだけのコンサートだと音楽を聴くだけで終わりだし、それはマニアは満足させられるかもしれないが、ニッチだけを相手にしてはいられない。

もっと音楽を体感することで生きていることに歓喜できるように伝えたい。

そこで考えたのは、病気の予防をアピールすること。

そもそも病気になれば音楽を楽しむどころでない。予防できる病気は事前に予防することが大事であるが、それができない人がこれまた多い。

わたしは栃木に来てから生まれ変わったように病気の予防に意識を高めていて、その重要性を友人その他、愛する人に伝えるようにしている。

なぜなら、一緒によく遊んだ写真家、そしてオリジナルチーズを作ってくれた北海道の牧場主が急死してしまったからで、それらは共に予防できたはずであるからである。

彼らが生きているときに人間ドックや検査に行くように言っておけばよかった。そのライフスタイルから見るからにヤバいのはわかっていたのにそれを言わなかったことにものすごく後悔している。

とはいえ、それを言ったところで病院へ行ってくれるような人でなかったにせよ、気づいていたのに言わなかったことは失敗だと思った。

そこでジェネオケのコンサートに来てくれるお客さんに対して、病気の予防をアピールできて、何か特典がつけられないかと考えている。

音楽を聴いたって、病気になれば生きていることに歓喜はできない。不安と憂鬱ばかりになる。

不可抗力の病であれば、それでも生きることに歓喜しようとする美しさがあるが、ただの不摂生で病気になるのでは歓喜できない。それはただの自己管理の悪さだし、要するにだらしないだけなのだから。

その他にも着物イベントも兼ねたコンサートにする案もある。コロナも区切りがつきそうで、わたしは着物姿にマスクなんて美的でない姿は認めないからコロナで騒いでいたここ数年は着物のことはやらなかったが、ようやく気にしないでできそうである。

とまあ、音楽だけやってもただのコンサートにしかならないし、ダサい。クラシックコンサートのダサさ、これはどうにかならないものかと思うわたしはもっと音楽以外のことで躍動感を得られるものにしたい。そして、生きてることに歓喜する。

そのテーマはドンキの歌の人、田中マイミさんに「JOYFULL」という素敵な歌にしてもらったので、その歌詞を通してアピールしていく。

と、そんなことを考えつつ、リハーサル会場の確保が毎度の心配事で、ここがうまくいかないとやりたい曲もできやしない。

昨年だって実は第九だけでなく、ベートーヴェンの「合唱幻想曲」というレアな曲もやろうと思っていたが、リハーサルの場所がひとつしか確保できず、リハができない都合で断念した。

さて、電視観望に6歳児は向かないことがわかったわたしは、愛娘が寝静まってからそそくさと服を着替え、天体望遠鏡を担ぎ、クルマに乗り込んだ。愛娘にはわたしがいないときはお星さまを観に行っているからと伝えておいた。

昨日行った運動公園に夜中の0時すぎに行くと、誰もいない。天空は星がいっぱいである。

三脚を立て望遠鏡をセット。操作の仕方がわかったため、すぐに完了。クルマのそばに望遠鏡を設置し、そこからWi-Fiで飛ばし、車内でスマホで操作する。これだをそれほど寒くないし、座っていられる。露光時間が長いと外で待つのはなかなか辛い。

というわけで本日撮影したのはまずは「ふくろう星雲」。

大変わかりにくいが真ん中のやや左下にぼやけた円がある。これが「ふくろう星雲」。かなりくらい天体なので露光時間が長くかかる。これで9分の露光だが、他の天体も観たくなったので切り上げた。もっと長く露光すればもっと明るくなる。

次はアークトゥルス。牛飼座α星である。

赤色巨星で星の年齢は71億年というから気が遠くなる。ちなみに宇宙そのものの年齢は137億歳である。

そして、今日一番の感動は、子持ち銀河M51を撮影できたこと。今まで図鑑でしか観たことがなかった。

直径が10万光年というのだから、銀河のスケールがデカすぎて思考停止になりそうである。光の速度で10万年かかる大きさが宇宙の中ではこんなに小さい。

わたしたちの天の川銀河も同じく巨大なものだが、その中で太陽系は些細なものだし、そこにある地球は塵よりも小さい。そこにいる人間。なんとも情けない限りで、そんな存在が日々、悩んでいることは宇宙から見れば取るに足らない。

そう思うと人間は虚しくなるから、パスカルは『パンセ』で、

「人間は考える葦である」

と慰めた。

さて、ひとりでクルマの中で行った電視観望。これは実に快適で真っ暗闇の中、天体が滲み出てくるのを待つ時間は至福である。

1時間半ほどの観測だったが、途中から雲が空一面を覆ってしまってそれ以上はできず、撤収。しかし、居住するマンションからクルマで8分ほどだから楽でいい。そしていつでも来れる。

季節が変わるごとに見ることができる天体も変わるため、これは年中楽しめる。

わたしの次の欲望は天の川銀河をデジカメで撮影することだが、これはこれで大変そうだからもう少し勉強してからにする。

くだらない悩みがあるなら神社で願掛けなどせずに、星空を眺めろ。宇宙のあまりの大きさに自分の悩みの小ささが馬鹿らしくなる。そして自分を考える葦だと思って、悩みの種を解決するべく行動するのがよろしい。

わたしはそう思う。

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