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消費されすぎると価値は下がる。

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結月です。

クリスマスか…って、クリスマスには何のときめきもないけれど、子供の頃はクリスマスは大変楽しみなものであった。

うちの小さな愛娘を含め、今でも子供にとってもクリスマスはときめくものに違いないけれど、昔に比べればクリスマスの価値はズンズン下がっていて、クリスマスケーキだって売れ残る。

クリスマスに彼氏や彼女がいないと惨めなボッチになることは今は話題にもならず、今はない赤坂プリンスホテルがラブホ化してクリスマスに満室になるなんてこともない。

クリスマスの価値が下がったのは様々な要因があるけれど、やはりクリスマスを消費しすぎたせいなのだろう。

商戦に位置づけられて、クリスマスらしさを大量に流出させすぎて、クリスマスがデフレ化した。

なんでもそうだけれど、消費されすぎると価値は下がる。わかりやすいのは芸能人で、ちょっと人気が出て消費されすぎると飽きられた途端に相手にされなくなる。

であるからして、無闇に消費するというのはいいことではなく、そういうことがわかっていたからジェネオケではあえて年末に「第九」をやり、消費しない第九をやっていい演奏になった。きっと他のオーケストラは第九を恒例の消費材としてしか使っていないので、プロだから悪い演奏でないにせよ、すごい演奏にはならないと思うよ。

さて、消費は何もクリスマスだけではない。人間関係だって付き合いすぎるのは消費しすぎているとも言える。

夫婦なんてそのいい例で、毎日顔を合わせて一緒に過ごすなんて過剰消費で、そんなことをしていると互いに嫌になるし、新婚気分はあっという間に蒸発し、相手のことに興味がなくなったりする。

週末婚なんて言葉があるけれど、夫婦なんて週に一度会うくらいがよろしく、わたしとしては年に一度でいいと思っている。

同じ地域にずっと住み続けるのがどうして良くないかというと、それも同じ場所で同じ人間付き合いのまま変化がないからで、それは同じ地域であることを消費し続けている。すなわちマイルドヤンキー化。

消費し尽くすことはそれを搾り切ることであって、クリスマスなんて搾りかす程度しか残っちゃいない。

老年の夫婦もまさにお互いが搾りかす。

そう言えば、転職もしないでずっと同じ会社に居続けているのもマイルドヤンキーと同じで、同じことばかりして消費し続けている。

資源というのはどんなものでも消費をし続ければなくなるもので、ずっと同じ会社にいるのは自分が搾りかすになっていることとも言える。

であるからして、その資源がなくなりそうと思ったら、別の資源を求めるのがいい。新たな資源は採掘する方法も新たに見出さなければならないから、なかなか消費されにくい。やっていくうちにその方法がわかってきて、消費できるようになる。しかし、もうそれ以上は採掘できるものがないと思ったら、また別の資源を求める。

要するに掘り尽くされた金山で泥を掘り続けるようなことはやめるべきで、だってそこにはもう何もないのだから。

もう消費されるものがほとんど残っていないのにケーキの予約を促すチラシなんか置くのはやめたほうがいいところまで来ている日本のクリスマス。

そう言えば、ボージョレ・ヌーヴォーも同じで、一時期は大量消費され物凄い賑わいであったが、ほとんど消費されし尽くして今はほとんど相手にされない。

さて、クリスマスが終わった翌日、12月26日がとても寂しいものであった子供の頃。雰囲気がガラリと変わって大晦日モードになる。

そこに寂しさを感じていたということは、まだクリスマスは生き生きとしていたわけである。

そもそもキリスト教国でない日本のクリスマスは根っこのないイベントであるから、消費期限があったものだったのだろう。

キリストを信じている国にとってはクリスマスは永久的に消費されないものであるけれど。

ともかく、何事も激しい消費をやらないほうがいい。価値を残しておくくらいに留めておく。どうやらそのほうが人間はきっと幸せを感じやすい。

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