結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

サラダよりドレッシング

【スポンサーリンク】

結月です。

このところキャベツの千切りサラダがマイブームで、これは定期的にやってくる。

スーパーでは一袋で100円ほどで安く、そのまま食べられる。キャベツだけだと色気がないので、そこにパプリカや人参、紫キャベツのスライスがブレンドされたものを買う。

そこにごまドレッシングやフレンチドレッシングをかけて食べると実においしく、一度で一袋近くは食べてしまう。

しかし、わたしの場合、サラダが好きというよりドレッシングが好きなわけで、ドレッシングまみれのキャベツの千切りを食べるのが好きなのである。

であるからして、トンカツ定食をまれに食べることがあっても、そこに添えられた千切りキャベるにはかけすぎるくらいのドレッシングをかけて、キャベツが浸透圧でふにゃふにゃになるのがいい。キャベツのシャキシャキ感は青臭くてどうも好きじゃない。

銀座に結美堂があった頃は同じビルの地下にあるバーにそのまま階段を降りて通っていたが、そこのフライドポテトがわたしのお気に入りだった。そこではタルタルソースが添えられているのだが、タルタルをたっぷりとポテトにつけて食べる。だから、わたしがオーダーするとタルタルは大きなボウルに大盛りだった。

「結月さんって、ポテトじゃなくタルタルと食べてますよね」

と、なじみの女バーテンによく言われた。

牛丼屋は吉野家よりもすき家がお気に入り。とは言っても牛丼は滅多に食べることはない。しかし、訪れると紅しょうがを山盛りかける。牛丼は肉が見えずに真っ赤である。これは紅しょうが丼である。

すき家の紅しょうがの容器サイズであれば、軽く半分以上は使っている。一度では乗り切らないので、食べて減ってくるとまた紅しょうがを山盛りにする。

だから牛丼を食べているのではなく、紅しょうがを食べている。

しかしながら、じゃあサラダはドレッシングだけでいいかというと、それだけを飲むわけもなく、キャベツはなきゃいけない。

タルタルだけ食べたいかというとそうではなく、フライドポテトがないとタルタルは食べられない。

牛丼だってご飯の紅しょうがだけでいいわけでなく、あくまで牛丼の上に大量の紅しょうがでないと食べられない。

そういえば、サイゼリアでボロネーゼスパゲティを食べるときも粉チーズをボロネーゼの色が見えなくなるまでかけて食べる。でもパスタと粉チーズだけでは食べられず、ボロネーゼソースがあるからこそ、粉チーズ山盛りなのである。

さらにお蕎麦を食べるときは天かすがたっぷりである。ふやふやになった天かすの中にかろうじて蕎麦が見える。

とまあ、そんな過激派なのだが、握り寿司を端っこだけ醤油をちょこっと付けてパクッと食べるなんてこともできない。

あんな食べ方がおいしいのだろうか? 寿司としてはネタの味を損なわないというわけだろうが、上品圧力のせいじゃないかとも思う。

わたしは醤油はべったりとつけないと食べる気がしない。

同様にざるそばで椀に入った蕎麦つゆに蕎麦を浸すことなく、その先端だけ濡らすとズズッとやるのがいいと聞いたことがあるが、どこがおいしいのだろう?

やはり蕎麦は蕎麦つゆに全部浸して食べるに限る。

大阪の新世界では昔から串カツが有名だった。今は新世界は観光地化されて、串カツ屋も清潔になって観光客も訪れるようになったらしい。

そんな串カツ屋はソースがなみなみと深底のトレイに入っていて、客が各々、そこに串カツを浸して食べる。

「2度浸け禁止」

はそれで有名になったのである。ソースが共有だから、口をつけた串カツをつけられると困る。

今はそんな共有のソースかどうかは知らない。

しかし、わたしが高校で大阪にいるときは、新世界といえば柄が悪くて、日雇い労働者の溜り場で危険極まりないところだった。ヤバい空気が漂っていて、いつ絡まれてもおかしくないような場所だった。

アーケードは薄暗く、串カツ屋も日雇い労働者が多く訪れ、客層がギスギスしていた。

みんな肉体労働だから疲れているし、泥だらけの作業着で仕事が終わって熱燗を飲みながら串カツを頬張る。あとは地元のチンピラが水商売の女を連れてやってきたりと、カタギの人間が入るにはちょっと無理な時代だった。

でも、わたしはそんな新世界が好きでよく行った。串カツは安くてうまかった。

串カツばかりが有名になったが、実はどて焼きがうまい。

白味噌で牛すじを煮込んだもので、大阪の味である。

ともかく、串カツはソースのトレイにドボンと浸して食べるのだが、そんなことをやっていたからわたしはサラダよりドレッシング、蕎麦つゆもドボンなのかもしれない。

高校は実家のある京都から大阪に行ったことが今の自分の転換期だったとも言える。もし京都の高校に行っていたら、今のわたしはなかった。きっともっと普通な人間だったに違いない。

京都から大阪に行ったのは、その頃から同じ環境に飽きる性格だったからで、変化を求めていたし、自分のホームを離れることで異邦人になれることを欲していた。

よそ者扱いされる快感があったし、自分の文化と異なるものに出会いたかった。

ともかく、ソースにドボンという感性は大阪で身についたものだと思う。

とまあ、サラダに大量のドレッシングという理由が書き連ねているとはっきりした。

どうでもいい話題で書き始めただけだったけれど、自分のルーツがいきなりわかった。

発見は行動の末にある。

なんて言ってみる。

ちなみにわたしが最も愛するサラダは、奥日光の行きつけのホテルの朝食に出るサラダである。

レタスとパプリカのスライス、ミニトマトにコーンの粒というシンプルなものだが、ここにフレンチドレッシングを水浸しになるくらいにかけて食べる。しまいには皿に溜まったドレッシングをレタスで寄せて吸っているくらいだ。しかし、これがうまい。

いや、この食べ方でうまいと思っているのはわたしだけである。

もっと言うと、奥日光の風景の中であるからこそ、このサラダがおいしい。あれと同じものを家で食べたって大したことはない。

というわけで、新世界で串カツが食べたくなったが、観光地化し、安全になって清潔になった新世界なんてわたしにとっては新世界でないから興味がない。

あのヤバい雰囲気の中で、ヤバい客層の中でカウンターで食べる串カツがいいのだ。

しかし、それはもう失われたものだから、思い出の中だけで味わうことにする。

【スポンサーリンク】