結月です。
先日、5歳の愛娘と一緒に宇都宮某所に某用事のためにいて、それが終わると次の用事までに2時間半の時間がある。次の場所も車で5分ほどの場所であるから暇つぶしに困る。
と、検索してみると、宇都宮競輪がちょうど開催していて、カーナビを見ると車で3分で行けるというわけで、
「競輪でも行くか」
と、5歳児には、
「自転車、見に行く?」
と、翻訳して宇都宮競輪に。
競輪場は思えば20年以上は来ていない。実はわたしは以前は競輪をよくやっていて、車券は中学生の頃から買っていたという不良なのである。まだ中野浩一が現役で走っていて、滝澤正光が全盛期だった頃。さらに言えば鈴木誠が出てきて、その番手についた滝澤正光は負けるわけがなかった。
そして、高校、大学ではとにかく競輪場にはよく行った。それは滝澤正光が全盛期を過ぎてきた時代で、すると新たなスーパースター吉岡稔真が出てきて、競輪はF1時代に突入。しかし東の横綱として神山雄一郎もとてつもない力を発揮し、競輪は「吉岡対神山」時代になったのである。
ともかく、高校のときは競輪だけでなく、競馬、競艇もやったが、やはり競輪が一番。大学のときは熊本競輪があったので、チャリでよく出かけた。
しかしながら、東京に来てからはほとんど行かなくなった。最初の頃は練馬に住んでいたので西武園競輪に時々行ったり、立川ケイリングランプリに年末に行ったりもしたが、次第に行かなくなった。
そしてめっきり行かなくなって思えば20年以上も歳月が過ぎていたのである。
そんな宇都宮競輪場。実は宇都宮競輪場には高校生の頃は来てみたかったのである。なぜなら、競輪国宝の神山雄一郎のホームバンクだからで、わたしにとって神山雄一郎は滝澤正光に次ぐスターだったのである。
しかし、吉岡稔真はとっくの昔に引退したというのに神山はまだ現役で、54歳なのにS級で走っている。今回の開催では残念ながら神山は出場していなかったが、宇都宮を走るときはその現役の姿を20年ぶりに見たい。そして神山を頭に流すよ、車券は。神山が勝てなさそうでも神山を買う。そんな買い方だからわたしは競輪で稼げないのだけれど。
さて、宇都宮競輪場に行くと、思ったよりは人は多かったと言えるだろうか。しかし、昔と比べるとものすごく少ない。もっともっと少ないと予想していたから思ったより多く感じただけである。そして、来ているのは100%高齢者ばかり。
今はネット投票があるため、現場まで来ないというのはあるが、競輪は20年前から客の高齢化が予測されていて、その危機感から一時は古舘伊知郎を実況に使っていたりした。
しかし、客の激減によって2000年代から見ても10近くの競輪場が廃止になった。高校生のときによく行った西宮競輪もないし、大好きだったびわ湖競輪もなくなった。東京では花月園もない。
客が年寄りだけになって、競輪場がガラガラになるというのは競輪好きだと知らない人はいない漫画『ギャンブルレーサー』で予測されていたことで、作者の田中誠がおもしろおかしく揶揄していた風景が今は現実のものになっている。年寄りしかいない競輪場。見たところ平均年齢が75歳から80歳である。
わたしがよく行っていた頃の競輪場は大変賑わっていた。年齢層も20代から80代で50代の現役世代が一番多かっただろうか。そしてわたしのようなガラスの十代。
競輪場は活気があって、柄が悪かった。ロクな奴がいなかった。社会のクズの溜まり場といった様相だった。そこにダミ声でデタラメなことを言う「予想屋」があちらこちらにいて、100円渡すとサッと小さな紙を渡してくれる。そこには「2-3 3-6」など予想の連番が描かれている。
しかし、先日の宇都宮競輪にはそんな予想屋も姿を消していた。
暇つぶしに競輪場に来たはいいものの、わたしも競輪熱はないし、車券を買う気もしない。しかも知らない選手ばかりで予想がつかないし、ユニフォームも昔と色が違ってわからない。とはいえ、せっかく来たのだから適当に買うことにした。
「何色と何色がいい?」
と、5歳の愛娘に訊くと、
「黄緑と黄色〜」
と言うから、6-5を200円、マークシートに記入。しかし、浦島太郎状態のわたしは今の競輪のマークシートの記入法がよくわからない。多分こうだろうと記入した。
そしてわたしはオッズを見て、そこそこの本命1-5を200円。取れたとしては1000円ほどにしかならない。でもまあいいか。1000円で飯でも食えるじゃないか。
と、レーズが始まった。A級戦である。ジャン(打鐘)がなり自転車の連なりがスピードアップする。わたしの1-5のまま来ている。これは行けるかもしれない!そのまま白(1番)が逃げ切れば1000円ゲットだ!
しかし、ラストの直線で差された。競輪用語でズブズブというやつである。結果、7-5。
まあ、仕方がない。宇都宮は500mバンクだから先行不利である。豪快に逃げ切るには全盛期の滝澤正光、吉岡稔真、そして地元神山雄一郎くらいでなければならない。
神山はどちらかというと脚質がスプリンターだけれど、滝澤と吉岡、スタイルは違うがその逃げ切りの強さといったらそれはもうとんでもなかった。後続を何メートルも引き離してぶっちぎる。特に吉岡稔真の逃げは本当にF1だった。
とまあ、車券はハズれたけれど、そもそも熱意がないからなんとも思わない。次のレースはまるで買う気はしない。
「昼ごはん、食べに行こうか」
と、愛娘の小さな手を握って、競輪場内にあるレストランへ。特観席のそばにあって、とてもきれいである。しかも昼時なのに客はいない。ものすごく快適である。
愛娘はカレーのお子様ランチ。わたしはカツ丼。
しかし、競輪場で自転車が走る光景は美しい。これは今でも変わらない。ただ、より一層美しく見えるのは客がいないからで、昔のようなヤバい人種が集まったような肥溜め感がなくなったから。あと数年も生きていないような老人ばかりで、生気がない。
そして野次もない。
競輪場の野次は凄まじいものであったが、レースが終わっても野次がないのである。客が年寄りばかりで野次る力もないのだろうか。もしくは栃木県民の内気な性質はもともと野次を飛ばさないのかもしれない。
わたしが知る中で最も野次がひどく、柄が悪い競輪場は大阪の岸和田競輪である。さすがだんじり祭りの場。大阪は天下茶屋より南に行くにつれて柄が悪くなる。南海電車である。
同じ大阪でも南海電車と阪急電車は客層が違う。まるでミラノとナポリである。
と、そんなことを思い出しつつ、愛娘は自転車が走るバンクを眺めている。5歳の女の子同伴でも安全になってしまった競輪場。
思えば、日本の少子高齢化はずっと言われ続けていた。でも政府も国民もその対策は何もしてこなかった。そして、予想通りの日本の姿になった。
高齢者ばかりの競輪場を見て、
「クラシック音楽界と同じだ…」
と思った。
でも、至るところで年寄りしかいない光景はある。
「このままだと10年後はひどくなる」という予測はあるのに進行しているときは気づかない。それは髪が伸びていることは伸びて邪魔になったときにしか気づかないことや自転車のタイヤの空気が抜けてきていることを意識できないのと同じである。ひどくなってしまってもそれを現状として捉えてしまうから、
「こんなもんだよ」
で、スルーしてしまう。だから余計に対策が打てない。
しかし、10年前、20年前と比較するとその惨状がよくわかる。中野浩一が走っていたときの競輪場を思い出せば、今の状態がどれだけ絶望的かがわかる。
街だって廃屋が増えたり、昭和時代の看板が錆びついた状態で放置されているような廃墟がちらほら見られる。東京の中心地では見られなくても、ちょっと離れればそんな風景がある。
宇都宮競輪に来ていた老人たち。75歳が平均だとする。そして競輪の全盛期が「吉岡対神山」時代の1990年代だとする。約30年前。するとあの老人たちは当時45歳。わたしが高校生のときに競輪場で見ていた現役世代だ。
ということは、あの頃競輪場に来ていた50代はほとんど死滅してしまっていて、それより若い世代は競輪場には来ていない。つまり、継承に失敗しているのである。そして時代に取り残されているのである。
わたしは今、自分が身を置くクラシック音楽界も同じ危惧を猛烈に抱いている。競輪ほどひどくはないかもしれないが、同じ路線だ。
今、コンサートホールに来てくれている高齢者は80年代にカラヤンが日本で公演していた頃の世代なのである。あの頃、若かった世代なのである。
しかし、それより若い世代に継承できていない。ほとんどが高齢者、若くて60代のパイでなんとか成り立っているのがクラシック音楽界。
10年後はない、といっても大袈裟でない。いくつかのプロオーケストラは存続できないだろうし、公演回数が減って演奏者の所得は下がるだろうし、失業者も出るだろう。
ずっと昔の比較で思い出すなら、80年代は結婚式でパッヘルベルのカノンをBGMで弾いているだけでギャラが20万もらえたと聞く。今の若手奏者だとおとぎ話に聞こえるだろう。そうして見ると、やっぱり衰退しているわけである。今はそもそも結婚式で生演奏などほとんどされない。あったとしても20万円などもらえるわけがない。
となると、昔はプロオケのオーディションに受からないレベルでも結婚式のBGMで飯が食えたけれど、今はそんなことはない。すなわちそれだけ音楽家の道を諦めている人が多い計算になる。
これを同じ構図がきっとあと10年でプロオケにも迫ってくるはずで、
「10年前は年間100公演はやってたんだよね…」
みたいな会話になっているのでないか。それは少子高齢化の人口分布と日本の経済状況、さらにクラシック音楽界が若い世代へのアプローチを怠ってきたことを方程式に入れると導き出される予測なのである。
それが嫌なら、今からアクションを起こさねばならないわけで、新規を増やさず現状にあるものでやりくりするのでは先がない。
問題を先送りした姿。それが競輪場。
いや、実は競輪界もファンを増やそうと頑張っていた。ガールズ競輪の導入もそのひとつだし、一時期はちょっとチャラめのテレビCMも盛んに流していた。
でも駄目だった。
それは時代がギャンブルという時代でないし、若い世代は車券を買う金もない。昔なら金がないなら博打で一発狙う!という精神があったが、今は金がないから節約という思考である。
それが時代であり、時代にそぐわないものはいくら頑張っても駄目なのだ。
とまあ、そんなことをクラシック音楽界にも当てはめて思うわけで、本気になって取りかからないと音楽は少子高齢化で潰れる。
ただ、多分無理だろうとも思う。
なぜなら、どこのプロオケも役員が年寄りが多いようであるからで、それでは新しい発想は出てこない。
本当は古いものをぶっ壊して更地にしてからでないといけないのであるが、それができないからどうしても延長線上のことしかできない。
これは難題であって、同じようなことが日本のあちらこちらに溢れている。
備蓄が尽きたとき、どうなるのであろうか。
でもその惨状も過去との比較でないと見えてこないから、
「こんなもんだよ」
と、シャッター街が気にもならないように惨状が惨状として見えないまま時間が進むのだろう。