結月です。
日本人の特性っていろいろあるけれど、「ちゃんとしてからでじゃなくちゃ」って思いすぎるところかな。
だから、外食したって、買い物したって、店員がウザいくらいに細かい説明をしたり、余計なほどちゃんとしようとしたりする。
客のわたしが「もういい」って言ってるのに、決められたことや決められてないのに勝手に過剰に丁寧にしようとしたりする。
銀座にいる頃は毎日、何人も着付けを教えていて、皆さん着物を着たいから通ってくれるのだけれど、総じて「着付けがちゃんとできるようになってから」を口癖に着付けを教わり、なかなか自分で着物を着て外に出かけようとしない。
着付けはちゃんとしなきゃと思いすぎていて、さらにちゃんと着付けできていないうちは外に出てはいけないように考えているわけ。
わたしはいつも「下手でもいいから自分で着てみて、着物着て外歩きなさい」と口を酸っぱくしていたのだけれど、なかなか実行する人はいなかった。
着物は着ながら覚えて、着ながら上手になるものなのだから、下手でもいいから着ないことには上手にならない。わたしのところに来て教わっているだけだとその一歩先には行けない。自分でやってみる試行錯誤と失敗を経験できないから。
ともかく、着付けがちゃんとできないと着物デビューできないと考える人がものすごく多かった。日本人的なんだよねといつも思っていた。
着付けに限らず、何か新しいことを始めたいと思うとき、その準備をやたらと完璧にしようとする人は多い。大変勉強熱心ではある。ところが準備が整わないと物事を始められないと考えている人は得てしてチャンスを逃す。
今やったほうがいい!というチャンスはどんな人にも巡り回っていて、しかしその回数はそれほど多くない。だから、回ってきたときにサッとつかみ取らないとまた次来るのはずっと先になる。
そもそも準備が完璧になることはなく、なぜなら行動は起こしてみると不測の事態は起こるし、予想外はあるし、結局準備をたくさんしたつもりでもまったく足りやしない。
だったら、準備を整えてからやろうと思わず、やりたいと思ったその時に行動するのがいい。そして不測の事態を経験し、それを克服することで戦闘力が上がってきて、徐々に力がついてくる。
準備を完璧にしてからなんて思っていたらいつまで経っても発進できないし、今そこに巡っているチャンスを準備不足という認識のせいでスルーしてしまう。
宮崎駿が『風の谷のナウシカ』のナウシカは、走りながら考える少女と言っていたが、確かにナウシカはとりあえずダッシュで行動し、行動しながらどうしようか考えている。
行動しながら考えると、リアルタイムに行動による結果が出てくるからすぐにそれを検証でき、次の行動につなげられる。だから準備をちゃんとしようとするばかりで行動をしないのはいけないのである。
人間には「運」という不思議なものがあるが、これは行動する人にたくさん訪れるもので、自分がまだちゃんとできていないと思い込んで自分の行動を起こさない人のところにはあまり運は来ない。
しかし、悪いことに行動を起こさない人に限って運を求める。
行動を起こすとなぜ運が訪れやすいかというと、それだけ人に会うようになるし、その行動が注目されてくるからで、そうすると詐欺ではない思いもよらない「いい話」が来たりする。もちろん詐欺的な話も同時に来るからここは注意しなければならない。
行動を起こすと物事は一足飛びに行かないことを知る。壁にぶち当たる。ぶち当たってばかりにもなる。苦労が増える。
そうなるとやはり行動は起こさないほうが無難だと考えるだろうが、そうすると何も行動しない準備だけの人になってしまう。
そうではなくて、行動によって苦労が増え、克服すべき課題が次々と現れ、それを解決しようと頭をフル回転させる。そうすることで少しずつ上にいくものである。だからそれに応じて運もくっついてくる。
だから、やりたいと思ったらやること。躊躇はいけない。とりあえず始めてみる。決して問題を空想するのではなく、問題は起きてから考える。そうやって前に進む。
山登りをしたいと思ったら、とりあえず登ってみること。山登りしたいと思っているのに装備品ばかり買い揃え、その知識ばかりを身につけ、いつまで経っても山に登らないのでは何もならない。
山に登ってみたらキツい。本当にキツい。やめておけばよかったと思う。しかし、山頂にたどり着いてその絶景を見ると感動する。ここまで登れた自分に驚く。体はボロボロである。ところがそれによって筋力が増し、山登りする前の自分とはまるで違うほど肉体が強くなっている。すると次はもっと高い山に登れるようになる。
そういうことなんだ。
苦難やトラブルをやる前からビビっちゃいけない。そういうのはナウシカのように走り出してから考える。
すると不思議とチャンスがやってくる。
本当に不思議とチャンスが来るものなのである。