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人間のことを語れるのは大事

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結月です。

ビジネス的に人間を語る人はまあまあ見ることができ、そういうのがトレンドである気もする。ただ、そういうのは人間を要領的に見るところがあって、人間の本質や剥き出しの姿を語っているわけではない。だから「だよね」とは感じても胸に重く突き刺さるような話題には聞こえない。やはり軽いわけ。

本当に実力がある人、それはどんなジャンルでもいいのだけれど、そんな人と話すと共通して話がおもしろい。観点が人間の本質にあって、さらに深く考えているから言葉に重量感がある。クルマ的に言い換えればトルクがある。ビジネス的な饒舌なトークやテレビのコメンテーターの話はそのトルクがない。

特に芸術分野なんかは人間のことをどれくらい語れるかというのが実力に比例している気がする。わたしがいる音楽界を見ても、一線を超えた人というのは話が深いし、おもしろい。人間なるものが一体どういうものかを常に考えていて、それが芸術表現につながっている。

器楽奏者でもそれがないと単に楽器を弾くのがうまいというところに留まってしまって、それ以上はいけない。

感性が際立っていて、技術もある。それでも十分、というかそこまで到達するのもすごいこと

なのだけれど、さらに上に行く人間はそこに哲学が加わる。人間への興味がみなぎっている。

そういえば、今度ジェネオケの第九を指揮してくれる大植英次さんはとても話がおもしろい人だった。確かに巨匠だと思った。大植さんはそこに人間が関わっていれば、くだらないことにまで興味を抱いていて、くだらないテーマであるはずなのに人間の本質がその根底にあって話がおもしろいのである。それは大植英治さんに哲学があるからだ。

画家もただ絵を描けばいいというのでなく、うんざりするような人間の深みを見つめている。だから凄みのある絵を描く画家は話がおもしろい。話が異常であったりもする。

映画監督もそうだ。人間への興味がずば抜けていて、哲学になっている。そういう人でないとおもしろい映画は撮れやしない。

ビジネス界でも集客だけがうまくて、安っぽいセミナーをしているようなのもいるが、一世一代で大きな仕事をしたような人は話がおもしろい。哲学が形成されている。まさにカンブリア宮殿の世界である。

人間の本質をしっかりと考えて、考えて、考えて、それでもわからなくて考えて、考えて、考えているような人は当然、思考が深く、深く、深くまで沈んでいくものだから薄っぺらな話はしない。ちょっとしたことでも深さが垣間見える。

それがなぜ大事かというと、問題提起できるからだろう。

表層しか見ていなくて、人間の本質を捉えようとしていない薄っぺらな意見はヤフコメ程度の問題提起というか、床屋談義の文句程度になってしまうが、人間を深く掘り下げて考えていると物事の本質、社会の本質が見えてきて問題提起ができる。

そんな問題提起が常にある人は話がおもしろい。

そして、為すことがおもしろい。

人間としての「迫力」が出てくる。

しかしまあ、そこは仕事ができるとは別問題であって、要求する仕事をソツなくこなせる能力があればよろしいという場面は多々あって、そこは「迫力」は要らない。

ただし、大きい仕事をするのなら、人間の本質を深く掘り下げるだけの興味がないとできやしない。それによる「迫力」がないと支えきれやしないから。

そういえば、近頃支持率を著しく落としているらしい岸田首相であるが、ちょっと「迫力」は乏しいように思う。問題提起がないのもそのせいだろうか。

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