結月です。
毎日面倒だなと思うのは、何を食べるのかを考えること。正直食べたいものなんてない。それに何を食べてもおいしいと思わない。
味覚障害ではなく、しっかりと味は感じているのだけれど、とりわけおいしいと思わないのである。つまり、舌の上の感覚に興味がなくなっているわけで、何を食べても「どーでもいい」と思っているからおいしいと思わない。
いつからこうなったかは定かでなく、次第にそうなったわけである。おそらくこの症状は6年くらい前から現れた。
食として見事なものは結構食べてきて、特にフランスと中国という美食大国ではそれはもうおいしいものをたくさん食べて、狂ったように美食家だったのである。
そんな過去が嘘のように思えるほど今は何を食べても感動しないし、いいものを食べてもなんとも感じない。
「まあ、こんなもんだよね…」
と、達観してしまっている。
お酒に関してもいい酒を求めて飲むことはすっかりなくなって久しく、安いやつで十分という路線だった。しかし、お酒を飲むとやけに体がくたびれてしまってキツい。そこに5歳児もいるから余計にキツい。飲酒後はグロッキーになって体が重い。それが億劫になったものだから、あまり好んでお酒を飲まなくなった。おいしいと思うのは「氷結」を氷を敷き詰めたタンブラーに入れて、最初の一気をやるときだけである。
とまあ、食べるも飲むもこんな感じで、惰性で食事をしている。もし5歳児が一緒でない生活ならば、きっと何も食べない、何も飲まない仙人モードのなっているに違いない。愛娘がいるから何か食べさせないといけないから一緒に食べている。
ちなみにわたしは何も食べずに1ヶ月は過ごせる自信がある人間で、そう言えば昔、自分のYouTubeチャンネルで1週間何も食べないというものをやったがなんてことなかった。
というわけで、飲食に興味がなくなったものだから、飲食を楽しんでいる人を見ると、
「まだ、そんなことやってんの?」
と、上から目線であり、仙人目線もちょっと入っている。
ところが最近見つけたYouTubeで瞬間的に好きになってしまったチャンネルがある。それは「サイボーグAI飯岡チャンネル」。
この女はすごい。飲む量と食べる量が半端じゃない。それでいてデカ盛りハンターのように下品でない。しかもいつもお一人様。宅飲みのときはブラックニッカの2リットルボトルでハイボールを飲みまくる。あのデカいサイズでウイスキーを買うところなど、まるでわたしと同じで、ひとりでああやって飲み食いするのはあまりにも自分に似すぎていて親近感がある。ただ、さすがにわたしはそこまでの量は飲み食いはしない。
外食のときは先にビールやハイボールを三つ注文する。「どうせ飲むので頼んどくスタイル」というもので、あれをやってくれる女がいるなんて嬉しくてたまらない。わたしも「どうせ飲むので頼んどくスタイル」で銀座にいるときは結美堂のその直下にある日比谷バーではハイボールの大をいつも二杯最初に頼んでいた。
1杯目はすぐに飲み干してしまうし、そこからバーテンに作ってもらうとハイボールが手元にない空白ができるのが嫌で2杯頼む。
居酒屋では最初のビールと日本酒の熱燗、もしくは冷酒を徳利で頼んでおく。もちろん、注文から届くまでの空白をなくすため。
しかし、ハイボール3杯は頼まない。この女、性質は自分と同じだけれど、わたしを遥かに量がしていて、
「すごいね〜!」
と、感心する。その豪快ぶりに瞬時に好きになってしまい、チャンネル登録。
動画は女がひとりで飲み食いするだけなのにこういうタイプの女が好きすぎて見入ってしまっている馬鹿なわたし。
自分はもう飲食には興味がないというのに「サイボーグAI飯岡チャンネル」は楽しんでいるというおかしさ。
しかし、この世にはとんでもない女がいるものだ。職業はテレビのADらしいが、一体どんな生活をしているのだろう?
ただ、あんな飲み方をしていると将来の健康面はヤバい。今はよくても20年後は普通でいられるわけがない。
「趣味・病院」であるわたしはお酒に酔っ払って楽しむことよりも体が楽なことに快感を感じている。その快感を知ってしまったのだ。血液検査は年に二度はやっていて、γGTPが正常値であるのも自慢である。
栃木に来ておらずずっと東京にいたままで「趣味・病院」でなく無頼派の放置で居続けていたならば、高い確率で5年以内に死んでいた。
と、随分と変わったものだが、美食の豊饒を過ごしてしまったから今は収束で無関心である。きっとほどほどに食を楽しむ人であれば末長く食を楽しめるのであろうが、猛烈にやりすぎるとその反動で今度は極端に関心がなくなる。
とまあ、そんなおもしろくない食生活を過ごしつつ、「サイボーグAI飯岡チャンネル」を見て楽しんでいる。
しかし、すごい女っているものだね。一度でいいからサシで飲んでみたいものだね。即でぶっちぎられるだろうけど。