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やっぱり上方には文化があるね。

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結月でございます。

欧陽菲菲の「菲菲」ってどうして日本では「フィーフィー」とされているのだろう?

中国語だと「フェイフェイ」であるからして、「オウヤン・フェイフェイ」が正しいはず。

それはそうと、YouTubeで欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」を見てしまって、もう欧陽菲菲は歌が上手すぎちゃって、ありゃ、たまらん。

と、彼女の歌を聴いていると、

「これはメルセデス・ベンツだな」

と思った。

欧陽菲菲って、声を懸命に張り上げてるわけじゃないのに、太い声でどこまでも噴き上がる。あの感じ、メルセデス・ベンツ。ベンツってあんな風に安定感抜群で、ちょっと湿り気があるヌルッとしたところがあって、それで無理もせずエンジンが噴き上がって、どこまでも力強く加速する。これはベンツを乗ったことがあればわかってもらえる感覚。

そんなベンツの上質感、欧陽菲菲の声に感じてしまったわたし。ギスギス、キンキンしたところがまったくない。踏めば踏むほど自然吸気で加速。

それはいいとして、「雨の御堂筋」を聴いていると、大阪って街の名前を聞くだけで匂いと情景があるよねって思うわけ。

歌詞の中には「本町」「梅田」「心斎橋」と出てくるけれど、それぞれ街の風景と雰囲気があって、それぞれに文化がある。それがしみじみと感じられるのは関西の匂いじゃないかな。

東京にも新宿、渋谷、池袋、銀座、六本木などあって、確かにそれぞれみんな風景も質も違う。でも、関西のような匂いと情念が乏しい。関西には「〜臭さ」みたいなものがあって、東京はそこがちょっとドライなんだよ。

だから、演歌にするには関西のほうが合うし、関西弁は演歌にしやすい。関西弁の持つ匂いがそのまま文化になる。

「やっぱ好きやねん」

これで歌になるのだから。

「雨の御堂筋」という世代的には歌が古くてリアルな記憶がないわたしも令和になって改めて聴いて、

「心斎橋」

と言われちゃ、何というか、アイデンティティともちょっと違って、特定の街の好きさがじわっと体臭のように出てくる。

実は関西人のわたしは高校が大阪だったため、大阪と言えば「ミナミ」の人間であり、難波、心斎橋、御堂筋、道頓堀、千日前、もうこの辺りは庭であって、

「やっぱ、ミナミやんな」

と感じる。

梅田もそこそこ庭だけど、やっぱりミナミやね。ミナミが好き。好きやねん。梅田のほう、つまりキタはちょっと硬いというか、お洒落というか、高級っぽいというか、一方、ミナミは泥臭い。その泥臭いのがええんや。

あとはね、高校があった阿倍野や天王寺かな。天王寺もまあまあええね。高校3年の時は塾が天王寺にあったし、天王寺図書館の自習室にはよく行った。ミナミほどジワッと胸には来ないけれど、思い出深いよ、天王寺は。

思えば、街への哀愁というか、情念が湧きやすい大阪、それってパリに似てる。

パリもシャンゼリゼ、カルチェ・ラタン、サン・ミシェル、サン・ジェルマン、モンパルナス、モンマルトルなどなどパリという街の中に匂いがまるで異なる地域がたくさんある。

大阪だとミナミが好きだからキタにはそこまで愛着を感じないのと同様に、パリでは左岸派のわたしはカルチェ・ラタン界隈はものすごく好きだけれど、モンマルトルには行こうと思わない。

そういう点で大阪に似たパリは、昔からパリの地域を感じさせるシャンソンがある。

上方文化。そんなものが大阪にはあって、喋りはどんな人でも大阪の話術がある。だからこそ、在京キー局のバラエティもほとんどが吉本芸人になるわけで、それは吉本の事務所としての力以前に、関西人の話術のレベルが他の地域とは歴然とした差があるから結果的に関西出身がテレビを占める。

しかし、この感覚は関西弁をネイティヴとして話せる人は共通してわかるだろうが、そうでないと等身大にはわからない。

わたしも関西を離れて長く、東京で過ごすようになってから関西の特殊な文化がわかるようになった。

明らかに文化がある。関西人が集まって話すだけで上方文化になっている。

さらに栃木に来て、栃木の人のあまりの話芸のなさ、トークの成立しない地味さを体感して、正直に申し上げて文化は感じない。

お店と人と話したりしても、こちらがトークが盛り上がるような投げかけをしているのにまったく反応されない。交渉というのは互いに盛り上がってからこそ、買い物が楽しくなるし、また来ようと思うものだが、ちょっとした冗談も通じず、キョトンとされる。

東京だとまだ反応がいいのにわずか距離にして100Km離れただけでこんなに地味になるのか。

「文化を感じない」と言えば語弊がある。文化は人間がいる限り必ずある。それはレヴィ=ストロースの民族学である。

ただ大阪やパリのような独特の匂い。いや臭い。そういうものを形成する地域は限られている。ものすごくドメスティックな文化。歌の歌詞に「心斎橋」と聞くだけでじわっと来る愛着。それを知っている人だけに共有される土着の強さ。

上方漫才があるからそうなるのではなく、吉本新喜劇があるからそうなるのではなく、上方の気質が漫才を生み、新喜劇を生んでいるのである。

料理なんかも上方はやっぱりとんでもない文化力がそこにある。京料理を見ても食べても超一級の文化が滲んでいる。他の地方にもおいしいものはたくさんある。いい料理はたくさんある。ところがなんだろう、文化の匂いと底力みたいなものがモワッと立ち込めるようなものは上方なのである。北海道の魚介類がうまいと言っても、それは文化というより鮮度のうまさ。

さて、わたしは長らく関西人とまともに話していない。ちょっとは話すことがあれど、取引先であったりする程度で要件だけ。

久しぶりに上方の女の人とたっぷりふざけて話したいね。きっと盛り上がる。

ええ人、どこぞにおらんやろか。

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