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結美堂の結月美妃公式ブログ

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いつの間にか会えない人

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結月です。

昨日と今日はね、ちょっと元気なかった、というか寂しくてね。

久しぶりに佐渡島にいる写真家とおしゃべりしようと思って電話をかけたら「現在使われておりません」となる。電話番号を変えるなんて普通はないし、変えたら連絡はくれるはずだから、もしかしてと思った。

佐渡で彼と一緒に仕事をしていると思われる人(面識はない)の電話番号を探し出し、電話をかけてみた。いろいろ教えてくれた。昨年に亡くなったとのことだった。仕事中に急に倒れて病院へ担ぎ込まれたらしい。心臓発作でそのまま死んでしまった。

まだ若くて50代だったと思うけれど、パイプが好きでフランスのBCのパイプをずっと咥えていた。仕事でパイプを吸えないときはセブンスターだった。生活としてはいつ心筋梗塞になってもおかしくない。健康診断をするような人でなかった。

2年くらいご無沙汰していてそれっきりになってしまった。銀座の5丁目にいたときは毎日のように結美堂(当時はオルフェ銀座)にやってきて、よく遊んだ。写真を一緒に撮ったり、あの頃はちょうど映画の脚本を書いていたからその表紙の撮影も一緒にした。真夜中はよく電話で何時間も長電話をした。仕事の話でない馬鹿話ばかりで楽しかった。

結美堂にしてからはわたしの着物姿を撮ってもらい、京都の京友禅工房の撮影も頼んだ。反物の写真もお願いした。

でも、佐渡のお父さんが病気になり東京を離れなくてはならなくなった。そしてわたしはカメラをたくさん持って佐渡島に遊びに行った。一緒に写真ばかり撮った。

佐渡島は霊的なところで、案内された洞窟の中には得体のしれない祈祷の何かがわんさとあり、不気味極まりない。ストロボを焚いて何枚か写真を撮った。東京に戻ってプリントしてみると(フィルム撮影だったから)、無数のオーブが写っていた。同じくその周囲の場所もオーブだらけだった。

佐渡はその一度きりだったが、電話ではよくしゃべった。芸術家だから話すとおもしろいアイデアがよく浮かんだものだ。

そんな人がいつの間にか死んでしまっていて、昨日と今日は寂しかった。あまり電話はしなくなったとはいえ、いつでも話せると思っていたからだ。それができないとなると寂しい。

基本的に友達というのがいないわたしであるけれど、彼は友達みたいだった。趣味がよく合ったし、ジョークもよく通じたから仲が悪くならなかった。

わたしが栃木に来て「趣味・病院」になって、人間ドックや血液検査など喜んでやるようになり、そのことを電話で話しておけばよかった。

「人間ドック、マジやったほうがいいっすよ」

と、話題にするに違いなかった。

そしたら根が素直な彼はきっとわたしに触発されて人間ドックに行っていただろう。これまでに何度もいろんなことでわたしの触発でやったこと、買ったものがあった。わたしも彼からの触発で同じことをやった。

佐渡で撮った写真をその晩、彼の家でフィルム現像をした。わたしは高校生のとき戦争写真家になりたくて1年だけ写真部に在籍していたのである。そのとき、モノクロの現像、そしてプリントをやった。それ以来のフィルム現像。

酢酸の匂いは懐かしかった。佐渡で一緒に撮った写真のフィルムを洗濯バサミで吊り下げて乾燥させた。

イラク戦争が始まったとき、

「一緒にカメラ持って戦場に行きましょうよ!」

とわたしが誘うと、

「いや〜そんなの怖いですよ。スタジオできれいな姉ちゃん撮ってるほうがいいですよ」

なんて言っていた。

思い出すとキリがない。とにかく芸術で遊ぶのが楽しかった。

あんなに楽しく遊べる人にはわたしの今後の人生、寿命までもう出会えないだろうなと思う。あんな馬鹿なノリは若さゆえのものだし、あんな気が合う人なんてそういやしない。

今になって思えば、いつ心臓で死んでもおかしくないほどのスモーキングライフ。それを死んでから気づく。

もういないとわかると寂しくて仕方がない。

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